154.まさかのあなたともダンスを
「…アース王子殿下。さすがにそれは…」
お兄さまの声が明らかに怒気を孕んでいて、私は慌ててしまう。このままお兄さまが声を荒げでもしたら明らかに不敬罪になるもの。
「お兄さま、大丈夫」
「だけど…っ!サラ!」
私たちの周りを取り囲んでいた人々もざわざわと動揺をあらわにする。
当たり前よ。婚約解消した令嬢にダンスを申し込むなんてありえないことだもの。一体どういうつもりなのでしょう。でも、アースの目は真剣そのもので。その目を見て私はふと気づく。
…あ。この目は。
「…お受けいたします」
「サラ!?」
お兄さまが慌てている。大丈夫よ、と頷いて見せて私はアースの手を取った。手袋をはめている上からでもわかるほど、アースが緊張しているわ。
「感謝する」
そう言って、アースは私の腰に手を添えた。
成り行きを見守っていて、間奏を少し長引かせてくれていたらしい。アースがダンスの体勢に入ると、音楽が流れだした。さっきと同じ短いワルツ。
「すまない。レイモンド兄さんには私からきちんと謝っておく」
「大丈夫ですわ、殿下。…どうされたのです?」
アースも気を遣ってくれているのだろう。極力体がくっつかない型で踊ってくれている。
「どうか、敬語無しで。気楽に話してくれ。そのほうが本音を言いやすい」
「…わかったわ、アース。どうしたの?」
くるり、と体が回される。そんな間もアースの顔は全然楽しそうじゃなくて。
再び彼の近くに戻ってきたとき、意を決したようにアースは言った。
「…本当に、色々すまなかった」
私はふ、と微笑む。うん、そんな感じがしていたわ。敵意ではなく反省をふんだんにその目に灯して私にダンスを申し込んできたんだもの。
「…私は愚かだった。レイモンド兄さんに言われて、初めて気が付いた。努力したつもりだった。でも、それは努力と呼べるものでは到底なかった。己の能力のなさを他人のせいにし、サラに見下げられたと勝手に劣等感に陥り、他の女性に逃げた。…今日、レイモンド兄さんが皆の前に立った時、愕然とした。自身に満ち溢れ、威厳に満ち溢れ、臆することなく堂々としていた。今まで二十年間一回も民の前に現れなかったとは思えぬほど威風堂々として」
私は昼間のレイを思い出す。確かに、人々の困惑などはねつけるほどの堂々とした風格は見ていて感動すら覚えたもの。
「…この人のこの威厳と自信は努力に裏打ちされたものなんだと、その時痛感した。それと同時に自分がどれほど浅かったかをとことん思い知った。…本当に本当にすべてすまなかった」
下を向いてずっと語っていたアースが顔を上げた。
「約束する。もう直接王政に関わることは出来ないが、これから努力を重ねて立派な人間になってみせる。いつか、サラの治世の元少しでも力を貸せるときが来るよう、王子の名に恥じぬ人間になってみせる。今度はサラが頼れる人間になってみせる。身勝手だとは重々承知している。だが、サラの人生に必要な一人として存在させてほしい。…良き友として」
力強く宣誓して、アースが私と視線を合わせる。ああ、この人ってこんな美しい顔をしていたのね。そして、弱さを認めて迷いがなくなった今の目は、こんなに美しい輝きを灯していたのだと思い出す。
「…あなたとこうやって視線がきちんと合うのは、初めてかもしれないわ」
「…私もそう思う。私がきちんと努力をして、そしてもっとお互い、きちんと相手のことを知ろうとしていたら違った未来もあったのかもしれないな」
「そうね。でも、あなたとのことがあったから、私はレイと出会えたわ。…あなたも、私とのことがあったからベアトリス嬢と出会えたのでしょう?」
ベアトリス、という名が出た途端、アースの頬に赤みが差した。
「ふふ、本当に好きなのね。違う女性に逃げたとはいったけど、違うと思うわ。遅かれ早かれきっとあなたとベアトリス嬢が結ばれることは必然だったのだわ」
「…苦戦している」
「あら、まぁ。どうして?」
「恋心は抱いてくれているようだが、いかんせん畏れ多いと、どうにも向こうが逃げ腰でな…」
くすくすと笑ってしまう。アースとこんな話ができるだなんて思わなかった。
「終わり方はああだったけど、私、あなたとの日々は結構楽しかったのよ。…やはり恋愛とは少し違っていたけど」
「私もだ。甘いものをこっそり持って行った時のサラの笑顔が好きだった。…私もやはり恋とは違ったが」
アースと目線が合って、二人して笑ってしまう。子どもだったの。結婚の意味も恋愛の何も知らない、ただの政治的婚約。幼い二人が右往左往してすれ違っちゃった。それだけの話よ。
曲が終わりに向けてテンポを上げだした。
「すべて水に流しましょう?お互い」
「いいのか?」
「私もあなたと良き友になりたいわ。レイの男心が分からない時は教えて頂戴」
「レイモンド兄さんは分からないような気難しい人間じゃないだろう?だが、そうだな。良き友として何かあったら助けになろう」
「ありがとう、アース」
「…こちらこそ。色々とすま…」
それ以上言いそうなアースの口を人差し指で塞ぐ。
「…もう謝罪はたくさんもらったもの。こういう時はありがとうのほうが嬉しいわ」
私の言葉に、アースが満面の笑みをその顔に浮かべた。
…あぁ、そういう顔も初めて見たわ。本当に私この人のこと何も知らなかったのね。
「…ありがとう、サラ」
そうして、ワルツが終わった。アースが私の手を取り、体を離してから持ち上げ、そっと口づけをくれた。
「一度は道を別たった貴殿とこうして再び友として踊れた。貴殿の広き心に感謝する。どうかこの後も良き夜を」
「アース王子殿下に手を取っていただき、心より楽しいひと時でした。殿下も良き夜になりますよう」
婚約破棄したけど、良き友アピールばっちり。変な噂もこれでどんどん風化していくでしょう。
「またな」
「またね」
こっそり言い合う。そういえばベアトリスちゃんもこの場に来ているのかしら。まぁ、見かけたら声を掛けるくらいはしてみましょうかね。あ、そうするとまた変な噂が出ちゃうか…
なんてことを思いながらふと顔を上げると。
「…あ」
こっちをものすっごい怖い顔で見ている、レイの姿が。
ひやーっと背中を冷たい汗が流れる。違うの!!違うのあれはアースの謝罪のダンスで!!!別にヨリ戻したとかアースにまたひどいこと言われたとかじゃなくって!!!ってどうやって伝えればいいのこれ!!!
「サラ、アレ、やばいんじゃないか?下手したらこっちに来そうな勢いだぞ」
お兄さまが私にこそっと耳打ちして私はこくこくと頷く。今こっちに来て私を連れ去ろうもんなら、せっかく目くらましに他の令嬢とも踊ったりしたすべてが台無しになる。どうしよう、と思っていたけど。
「私が説明してくる」
アースがそう言って颯爽とレイの元に向かっていってくれた。
「んなっ?アース王子??」
お兄さまがぽかんと口を開けてびっくりしている。
「どういうことだ?彼がこういうとき自ら動くだなんて…」
お兄さまの驚愕の言葉に笑ってしまう。確かに今までのアースからは考えられない行動だものね。
「…仲直りしたの。いいお友達になれそうよ」
私の言葉にお兄さまが驚愕の視線を送る。信じられない、とでも言いたげな表情だ。確かにね、いわれのない罪を被せられて、国外追放にまでなって。憎むのが普通なのかもしれない。許せないのが普通なのかもしれない。でも、もういいじゃない別に。今が楽しいんだもん。
「サラは…それでいいのか?」
「勿論よ。アースは、心根はとてもいい人間だもの。努力をすれば素晴らしい人間になるわ。過去の私とのことはキレイさっぱり清算して、努力するために次に進まなきゃ」
なんだか晴れ晴れとした気分だわ。
アースがレイに向かって何か言っている。怒りを隠しもしてないレイの表情がどんどんやわらぎ、むーんという顔をしたのちにアースのおでこをぴん、と指ではじいた。
アースが涙目でおでこを押さえている。ふふっ、本当に仲のいい兄弟みたい。
ふと、レイと目が合う。その目が雄弁に私を好きだと言っていて、たちまち嬉しい気持ちになる。
「…ほかの人の好意はわからないのにね。レイのだけははっきりわかるようになっちゃった」
ぽそっと言う。さすがにどれだけ耳が良くてもこの喧噪の中レイには聞こえないだろうど。
そうして、色々なことがあった中、日を跨がずにダンスパーティーは終わりを迎えた。
レイが団員のセリナとかとも踊った話も混ぜてレイ目線も後日アップします~




