150.王弟復活公表前夜
「お嬢様、レイから書状が届いていますよ」
「ありがとう、なにかしら?」
いよいよ明日はレイの存命と回復、王族復帰を公表する日だ。
内容は完全に伏せられていたけれど、『国民はその日歓喜に包まれることになるだろう』というエドワード陛下からの通達に国民が沸き立っている。
ブリタニカの王都のみならず周辺の地域からもぞろぞろと発表を聞きに馬車がやってきている、とマリアから聞いたのは今朝がたのことだった。
「…あら、今日の夜こちらに来るらしいわ。大丈夫かしら…今準備でとても忙しいと思うのだけれど」
「そうですよね。明日も会いますのに」
マリアも首を傾げている。
次期女王とはいえ公に任命されていない私は、存命発表後に謁見の間で執り行われるこの国の主要貴族や元老院の前でのレイの正式な挨拶の場に馳せ参じることは出来ない。
でも、その後王宮で執り行われるダンスパーティーには参加することになっている。そこで踊ろうと約束をしているから明日会えるんだけれど…
「なにか火急の用事かしら?」
「ただ会いたいだけという可能性もありますよ」
「そうだったら嬉しいわね」
そう言ってふふふ、と笑う。
「まあなんにせよ夜まではたくさん時間がありますから、さあ、お嬢様!やりますわよ!」
「…は~い」
「お返事はきちんと!」
「はいっ!」
そう、明日は私二年ちょっとぶりのダンスパーティーなのです。
ダンス自体は幼少期から教えられてるから問題はないんだけど、パーティー前日のマリアはとにかく私をつるつるぴかぴかに磨き上げることに命をかけている。薬草湯に入らされ、王宮御用達のエステ隊を手配し、とにかくぺかーんと私を光らせる。
「ああ、楽しみです。悔しいけどレイがお嬢様に送ったパーティドレスは最高でしたからね。それに最高のお嬢様を合わせる。…最高か!?」
「マリアマリア落ち着いて」
そんなこんなでつやつやぴかぴかに磨き上げられ、ふう、と一息つくころにはもう夜を迎えていた。
「そろそろお夕食の時間だけど…レイは食べていくかしら?」
「念のため厨房に一人増えるかもと連絡してきましょうか」
頷こうとしたその時、窓の外に蹄の音が聞こえた。視線をそちらにやると漆黒の鬣を靡かせた愛馬に乗っているレイが見えた。
「レイだわ!もう…護衛もつけないで!」
「今更護衛を付けて出たら逆に怪しまれますよ」
「まぁ…それもそうね。下に行きましょう」
「はい」
マリアと共にエントランスへ降りていくと、レイも丁度中へ通されているところだった。
「サラ様!」
「レイ!いらっしゃい」
私を見つけてぱああ、と顔を輝かせてくる。うううううん!!!イケメン子犬ぅ!殺傷能力高っか!
「レイモンド様いらっしゃい」
お母さまも自室から出迎えに出てきてくれた。
「奥様、突然すみません。明日の準備ですぐに戻らないといけないんですが、その前に一目どうしても俺の愛しい人に会いたくなってしまって」
「あらあらそうなの?…それならマリア、少し二人きりにしてあげたら?」
「よろしいのですか?」
「レイモンド様は信頼できるお方ですもの。お部屋の用意をしてあげて」
「かしこまりました」
お…おおう、寛容な母親だわ相変わらず。というか最近愛しいとか枕詞みたいに使うから、お母さまもマリアもまるで気にも留めてないけど!私は恥ずかしいんですけど!
「お嬢様、レイ、こちらです。今お茶をお持ちしますね」
マリアがそう言って私とレイを応接室に通してくれたけど、レイは首を横に振る。
「本当に時間がなくて。すぐに王宮に戻らないといけないので、俺の分は大丈夫です。ありがとうございます」
「それなら私の分もいらないわ」
私が言うと、マリアはかしこまりました、と言って一礼して部屋を出て行った。瞬間。
ぎゅうううううっと、レイが私を抱き締めた。
ふふふ、レイ私を見た瞬間からそういう目をしていたから、この流れはわかっちゃってた。わかっててもとても嬉しいのだけど。
「…会いたかった」
一週間前にレイのご両親に挨拶に行ってから会えてなかったものね。
「私も会いたかった」
「毎日会えていたこと自体が奇跡みたいなことだったんだって最近痛感してるよ…」
「あの時期に戻りたい?」
あの頃ってのはもちろん、国外追放の間のこと。
レイは首を横に振る。
「勿論あの時期も楽しくて、俺にとっては宝物みたいな日々だけど、…今はサラとの未来が楽しみだから。ごめんね、本当に今日はもう戻らないといけないんだけど、どうしても自分の口から言っとかなきゃいけないことがあって」
腕を私の背中に回したままレイは体を離した。
「どうしたの?」
「明日のダンスのことなんだけど…。ごめん、やっぱりエドワード義兄さんと話して…サラだけと踊るってわけにはいかなくて。不要な争いの火種になっちゃうから。あと二つの公爵家の令嬢とはとりあえず絶対に踊らなきゃいけないだろう…って。その後は交渉団でも明日のパーティーに参加するセリナとかで誤魔化そうとは思うんだけど」
「そう…なのね」
わかっている。ただのダンスパーティーだと思っていたら、実は王弟だったレイが参加。年頃の令嬢たちは皆、見目麗しく特定のパートナーもいない彼に手を取ってもらうのを待つことになるでしょう。
自分の娘をレイに即座に売り込みに来る貴族たちの列が目に浮かぶようだわ。
そんな中ヘンリクセン公爵というこの国において大きな立場を持つ公爵家の娘一人だけの手を取ることがどれだけ大きな派閥間の争いを生むことか。危険なことか。…わかっているんだけどね。
…レイがほかの令嬢とダンスをする。
―――やだな。ちょっとね。ちょびっとだけ面白くない。
「でも、サラだけだから。心を込めて踊るのは。それだけは信じて欲しくて」
「疑うわけないじゃない。大丈夫よ、事情はわかるもの」
「あと…すごくすごく棚上げなんだけど…俺以外の男の人と踊ってほしくない…ってのは、さすがに虫が良すぎるってわかるんだけど…でも、もし可能なら!」
そう言ってレイが私の目をしっかりと見てくる。
「お願いだから、俺以外の男の手を取らないで欲しい。もちろん不測の事態とかは仕方ないけど、自分の意志で断れる相手であれば…お願い」
「…できる限り善処はするわ。基本的にお兄さまと一緒に居るつもりではいるけど」
「それで十分だから」
必死な形相のレイに笑ってしまう。
「そんな心配しなくても、私きっとそんなにお声は掛からないわ。アースとの婚約破棄の噂はまだ残っているだろうし、きっと皆腫れ物扱いよ」
「ほんっとこの無自覚!」
レイがちょっと怒った顔を見せる。
「…いい?今サラは妙齢だ。そして加えてその美貌。アースの婚約破棄で腫れ物扱い?違うんだよ。アースっていう強敵がいなくなったんだ。それだけじゃない。サラの清廉潔白が証明された今、サラを狙ってたやつには好機が来たんだ。頼むから自覚して。サラは男性を惹きつける要素しか持ってないってこと」
レイははああ…と溜め息を吐く。
「本当はダンスパーティーも来てほしくないくらいあるんだから…。俺の選んだドレスを着てるサラを見たいけど、他の男に見せたいわけじゃないんだよ…」
「ど、どうしたのレイ?さっきからなにを…」
「いい!?とにかく分かった?俺とのダンスが終わった後、できる限りロベルトから離れちゃだめだからね」
「ひ、必死ね…?」
「必死になるよこんなん…。今日もなんか違うし。いいにおいするし肌綺麗だし。マリア殿やりすぎだろ…」
ついにレイが頭を抱えだした。だ、大丈夫かしら…だいぶお疲れなのでは…
「安心して。きちんとレイの言ったことは守るようにするから」
「狭量な男で本当にごめん。…早く俺だけのものになったらいいのに」
「?そんなこと言わなくてもあなただけのものよ?」
「…そういうことじゃないんだ。あと、もう一つ。サラ、明日ダンスパーティーが終わったら少し時間貰える?ヘンリクセン公爵にはきちんと話をして許可をもらってるから」
「お父さまから許可を?ええ、勿論大丈夫だけど…?」
よかった、と言ってレイが私の頬をす、と撫でた。
「本当に戻らなきゃ。…会えてよかった。すごく勇気と元気が出た。ありがとう」
「こちらこそ、忙しいのに会いに来てくれてありがとう。あと、わざわざ教えてくれて。何も知らずに明日あなたがほかの令嬢と踊っているのを見たら、きっと落ち込んでしまっていたわ」
「…ごめんね」
「あなたのせいじゃないもの。むしろ、私と生きることを選んだがために、そういう苦手な世界に足を踏み入れさせてしまってごめ…」
みなまで言う前に、レイの唇が私の唇を塞いだ。
すっと唇を離した後にレイが困ったように笑う。
「俺が、自分で選んだことだよ。絶対に自分のせいとか思わないで。次からそういうこと言ったら即座に今みたいに唇塞ぐからね」
「なんて魅力的な塞ぎ方」
嬉しくなって笑ってしまう。
「…もう一度、塞いで?」
そう言って私はレイの体に手を回す。下から覗き込むと、レイは真っ赤な顔をして視線を逸らしている。
「ほんっっっと、末恐ろしい…」
ん!?なんか今穏やかじゃない言葉が聞こえたけど???
どういう意味?と聞く前に再び私の唇は塞がれた。




