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15.ヴォルト酒場【3】

「それで?お嬢様。何が起きているのでしょう」

 マリア殿が有無を言わさずといった視線でサラ様に問いかけている。あのあと俺は大丈夫よと固辞するサラ様をほとんど無理やりに横抱きに抱え彼女の部屋に戻り、今しがたソファーに降ろしたところだった。

「ちょっと待って。せめてお水を飲ませて?」

 そう言ってサラ様はマリア殿によってコップに注がれた水をこくり、と飲んだ。その一挙手一投足すべてが優雅だと、俺は今しがた起こったことにどうも脳がついていかずそんなことをぼんやりと考える。そんな思考を即座に現実に戻したのはサラ様の言葉だった。

「まだ、何がどうとか、どうなっているとか全くわからないの。でもただ一つだけ言えることがあるわ」

 ゴクリ、と喉が鳴る。


「ヴォルト酒場、何かがあるわ」


 サラ様の言葉に目が開かれる。思わず俺は声を出していた。

「あの酒場が、ですか?確かに酒場を出た途端に何人かついてきてはいましたが」

 そう。サラ様が追いかけっこしましょう、と言ったのは後ろに数人俺たちを尾行してきたやつらがいたからだ。サラ様がそれに気づいていることにも驚いたが、その後走り出した後に彼女の後ろを追いかけようとしたら、マリア殿が「三手に分かれるわよ。そっちのほうが目くらましになるわ。お嬢様なら大丈夫」と、俺の肩を叩いて言ったことだった。

 護衛である俺が離れることに一瞬不安がよぎったが、長年サラ様の侍女をしているマリア殿の言葉を信じないわけにはいかない。後ろ髪をひかれる思いをしながら、俺は追っ手を巻くようにして宿に着いたのだった。そして宿に着くと、マリア殿の言った通り、サラ様はへたり込んではいたものの、追っ手を巻いて帰ってきていた。

 なにもかも脳の処理が追い付かない。追っ手を巻く令嬢など聞いたこともない。そしてそれを当たり前のようにやり過ごす侍女もわからない。

 それでも気が付けばサラ様を横抱きにしていた。護衛としてそばにいれなかった焦燥が彼女から離れ、ここのソファに降ろすことさえひどくためらわせた。

「根拠を聞いても?」

 マリア殿の言葉にサラ様が頷く。


「まず一つめ。私に出されたジョッキのお酒。あれには薬が入っていたわ。おそらく利尿剤、しびれ薬、睡眠剤あたりかしら。お花摘みに行ったところをどこかに連れこんで監禁でもするつもりだったのでしょう。しびれ薬が入っていれば目が覚めてもしばらくは動けないでしょうし」


 開いた口がふさがらなかった。いや待て。サラ様にお酒、と…あの時彼女は…思い起こそうとするのに彼女の口からは立て続けに衝撃の事実が語られる。


「あと二つめ。これはもう百パーセント証拠はなくって、私の勘よ」

「構いません、それが一番の証拠になります」

 マリア殿の即答が入る。あまりにも確信のこもった物言いに、俺は理解が追い付かない。

「主犯はドミニクさん。ガロンさん。あとはあの中にいた二人ほどね。二人の名前は聞きそびれたけど、顔は覚えているわ。マリアとレイも顔を覚えているだろうから、特徴を言えばわかると思う」

 サラ様の言葉にマリア殿と俺は頷く。確かに、あそこの酒場にいたほぼ全員を覚えている。


「それから三つめ。あのリヤカー。あれはドミニクさんのものよ」

 リヤカー、とはあの花束が入っていたリヤカーのことだろうか。俺の視線に気づいたサラ様がそうよ、と頷く。

「花束に使われていたろう紙。見てごらんなさい」

 サラ様の言葉にマリア殿が先ほど購入した花束がたくさん入った袋を開け、そのうちの一つを取り出した。俺はあっと声を上げる。

「これは…」

「そう、あのエールの瓶が入っていた箱に底引きとして使われていたものと全く同じよ。それだけじゃ彼のものという証拠は薄いけれど、これは決定的だったわ」

 続くサラ様の言葉を待つ。

「あのリヤカーの木材、エールが入れられていた木箱を利用したものだったわ。ここの市場に降ろされる荷物にはブリタニカと違って伝票なんてものは存在しないのね。宛先を木箱に直接印字するんだわ。そしてあそこのリヤカーに使われていた木材に、はっきりと印字されていたわ。見えにくい場所だったけど。異国の文字で…ドミニク・ヴォルト宛と」

 驚愕以外のどういう感情を抱けばいいのだろう。自分も交渉団団長としてそれなりに仕事ができるという自負があった。だが、目の前の十六歳の少女が持ってきた情報量に対して自分はどうだ。尾行している人間がいる、ということしか情報は持ちえなかった。

「おそらく孤児の話も嘘っぱちだわ。以上の話から導き出すと、…もうここから先はすべて想像の範囲ではあるのだけど」

 脳が考えることを停止している。気が付けば目の前の令嬢の言葉を飲み込むしかいない自分がいた。

「おそらく、ここの町に出回っている人攫いの話はおとぎ話や噂ではなく本当の話よ。子どもを誘拐し『そのとき』が来るまでどこかに監禁して内職をさせ、お金を稼がせる」

「『そのとき』というのはお嬢様…」

 マリア殿の言葉にサラ様は頷く。


「人身売買よ」


 どれくらい沈黙をしていただろうか。次の言葉を発するにも何を言ったらいいかがわからない。ただ、この目の前の令嬢の言葉を世迷言や空想だとは全く思えなかった。彼女がそういうのならそうなのだろうという確信すら持ってしまう。

 沈黙をうちやぶったのは、マリア殿の声だった。

「…それで、どうするおつもりです。まさか乗り込むなどとは言いませんよね?」

「そのまさかよ」

 何を!?俺は自分の目が見開かれていくのが自分で分かった。

「潜入するわ。私をどうやら標的にしたみたいだし、この町に滞在する限り私を狙ってくるでしょう。囮として捕まってみる。花が作られているということは、今現在捕まっている子がいるということだわ。その子たちを見つければ、これ以上の物的証拠はないもの。捕まっている子を開放できるし、有無を言わせず彼らを捕まえることができる」

「捕まってみるじゃありません!何を考えていらっしゃるのです!」

 気づけば大声が出ていた。そんな私にサラ様は笑ってみせた。

「大丈夫よ。へまはしないし、マリアとレイがいるもの」

「そういう問題ではありません。憲兵に任せればいいのです。嫌疑だけでも憲兵は動いてくれます。あなたが動く必要はない!そんな危険なことに身を投じないでください」

「…憲兵が動いたら、ドミニクさんたちはどうすると思う?」

 静かなサラ様の言葉に私ははっとなる。そうだ、そうなってしまったらおそらく…

 私の思考の変遷に気づいたサラ様が頷いてみせる。

「そう、憲兵が動いたらドミニクさんたちはすぐに証拠隠滅を図るでしょう。証拠隠滅、…まず今捕まっている子たちの命はないわ。それこそ、ガロンさんが言っていた通り、海に…と、これ以上はやめましょう。気持ち悪くなってしまうわ」

「だが…それでもあなたが動く必要はない。あなたは大事な命なのです。ヘンリクセン公爵家の大事な御令嬢なのです。私が守るべき方なのです」

 強く言うが、サラ様は静かに微笑むだけだった。マリア殿が長い溜息をつくのが横で聞こえ、私はそちらを見遣る。

「無理です、レイ。この状態のお嬢様に何を言ったところでもう聞いてはくれません」

 その言葉にももう今日何度目かとなる『理解が追い付かない』状態になる。この侍女殿は何を言い出すのだ。それではまるでサラ様の意向を聞き入れるような物言いではないか。

「…わかりました。乗り掛かった舟です。最後まで乗り切ってみせましょう。ですが約束です、お嬢様。どういう状態になっても助け出せるように入念に下調べと策を練ります。打てる限りの策を打ち出しましょう。動くのはそれからです。それまではこの宿から一歩も出てはなりません。わかりましたね?」

 

 もう駄目だ。なにも理解が追い付かない。



――――――



「はいっても?レイ」

 横になる気にもなれず、自分の部屋に戻り、ソファに深く腰掛けていた時だった。こんこん、というノックの音とともにマリア殿の声がする。

 どうぞ、と返すと入るわね。という声とともに度数の強い酒と氷の入ったグラスを二つ持ってマリア殿が入ってきた。飲む?と仕草だけで問われ、いただきます。と仕草だけで返す。マリア殿に今まで自分が使っていたソファに座るように言ってから、俺は備品として置いてあった簡易椅子を動かしマリア殿とテーブルをはさんで向かい合うように座った。

「エールだけだと全然酔えないわよねーあなたもでしょう?レイ」

「…妙齢の女性がこんな夜中に男性の部屋にはいるなど、いただけませんよ」

「大丈夫よ、ここはブリタニカじゃないし、私たちを知ってる人間なんて誰もいない。それに」

 そういいながらマリア殿はコップに並々とお酒を注いだ。

「残念ながら私は貴方に露程も異性として興味がないから」

 ふはっと笑ってしまう。全然嫌な気分にならない。むしろその爽快さが心地よかった。

「それは残念です。いい男になれるように頑張らないとですね」

 俺の言葉にマリア殿はかすかに笑う。カラン、と音をさせて目の前にコップが差し出された。いただきます、と言って口をつける。強い酒だったが、とてもうまい酒だ。そのままなんとなく視線を上げられず、コップの中の氷を見つめてしまう。

「…落ち込んでると思ってね」

 彼女が不意に発した言葉に肩がびくりと震える。顔を上げるとまっすぐにこちらを見て優しく憐れむような包み込むような視線を送ってくれるマリア殿と目が合った。

 そのまま見つめ合うような時間がしばらく過ぎる。どれくらい経ったときだろうか。何もかも見透かしたその視線に耐えられず、ついに俺は弱音を吐いてしまった。

「…落ち込まないわけ、ないじゃないですか…すべての自信を無くしました。こんなんでブリタニカの最高機関の団長だなんて名乗っていた自分が恥ずかしい」

 そう。どうしようもなく俺は落ち込んでいた。

「まさか、サラ様に助けられていただなんて…」

 酒場で酒をサービスだといわれて出されたときに、サラ様はすぐに薬入りだと気づいた。そうとは知らずに、サラ様に酒を飲ませたらいけないという思いにしか至らなかった俺は…

「あの酒を、俺が飲もうとしたとき。サラ様は、わざとジョッキを落とされた」

 そうだ、あのとき、サラ様は確かに俺を制し、自分でジョッキを掴み、わざと落とされたのだ。俺を助けるために。俺に薬入りの酒を飲ませないために。

「それだけじゃない…その後もっ、俺やマリア殿がジョッキに毒を入れられるのを防ぐために…」

 サラ殿にあれ以上お酒を進めると不自然だと感じられる。それを警戒するであろうドミニクたちが次にとるであろう行動は予測がつく。俺やマリア殿に薬もしくは毒を飲ませることだ。保護者然とした二人が潰れてしまえば、サラ様をかどかわすなど大の男たちには造作もないことだろう。

 そして、サラ様はごくごく自然な方法でそれを防いだのだ。何かを混入される可能性がほぼゼロの、エールの瓶を大量に買い取り、それを俺たちに飲ませることで。


「本当に…何者なんですか。あの令嬢は…」


 俺の消え入りそうな言葉にマリア殿は答えた。

「ただの十六歳の令嬢よ。ちょっと、頭の切れる」

「ちょっとじゃないでしょう…ちょっとじゃ…」

 情けない声を出す俺のコップにマリア殿はまぁ飲みなさいと言って酒を注ぎ足した。



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