143.いざ
この三週間ほど本当に楽しかった。レイと王都の街中で数回デートして。やたら毎回新しい店を知ってるなって思ったら、セリナ様たちに聞いててくれたらしい。今度会えたら感謝しなくちゃ。
そうして一週間後にレイの王弟としての復活発表を控えた今日!
「…お母さま、マリア、おかしくない?本当に大丈夫かしら…あああ…人生最高に緊張するわ」
「まぁ、自信を持ちなさいサラ。とても美しくマリアが着飾ってくれたわよ」
「お嬢様は今日も世界一美しいです大丈夫です」
お母さまとマリアが太鼓判を押してくれる今日の格好は、グリーンのシックなドレスだ。あまり派手にリボンやレースなどはあしらわれていない。
スカートの裾や腕の裾に美しい刺繍が施され、少し動くと、隠すようにあしらわれた宝石がキラ、と光る。でも全然それが嫌味じゃなくてむしろ控えめで見る人すべてに好印象を与える。
「ドレス選びまで出来るだなんて、本当にレイは訳がわからないです…しかもめちゃくちゃ似合ってるのが微妙に悔しいですわ」
マリアが仕上げにレイがくれた髪飾りを付けながら呆れたように言う。
そう、結局このドレスはレイとお母さまが二人で試案を重ねてできたものなのだ。他のドレスに関しても結局レイとお母さまで全部決めちゃって。私はところどころでつけたい宝石やレースの柄を選んだだけ。
しかもその見立てが全部私の好みドンピシャだったものだから困る。本当に困る。
このままいっちゃったら私レイがいなければ何にもできない人間になっちゃうのではないかしら…
「色々生地のことに関しても熟知していらっしゃったのよ~。もう本当に楽しくって。しかもすべてレイモンド様がプレゼントしてくださったのよ。今度お返しに何着か殿方の服を見立ててプレゼントしましょうか、サラ」
「そうね、私もそれがいいと思うわ。レイってばあんまり服を持っていないのよ。デートの時も似たり寄ったりな格好で。もちろん品が良くて素敵なんだけど、バリエーションは少ないのよね」
「交渉団団長なんてプライベートは寝てるか勉強してるか飲みに行くか、そんなものですからね。自前の服なんかほとんど持っていませんよ」
「そうなのね…。あ、でもプレゼントしたところで、王族に戻ったらお抱えの衣装係もできるわよね…。私があげちゃったら逆に迷惑ではないかしら?」
私が憂うとマリアがくすくすと笑う。
「レイが、お嬢様から貰ったものを迷惑だなんて考えると思いますか?おそらく衣装係は有事以外は付けないで、すべてお嬢様の見立ての服を自分で着ると思いますよ、あの男は」
「そうかしら…それだと嬉しいけれど」
「あらあら、マリアもサラも。おしゃべりはそのくらいにして広間に行かないと。そろそろレイモンド様がお迎えにいらっしゃるわよ。エルグラント様も新居から直接来るんでしょう?」
「ええ、レイと一緒に到着するはずです」
新居、と言う言葉に意識せずに肩が上がった。マリアもお母さまも気付いてないけれど。
そう、マリアは数日前ヘンリクセン家を出て、エルグラントとの新居に引っ越した。引っ越したからって別に何かが変わった訳じゃないの。
朝起きたらマリアがおはようと言ってくれて、就寝の準備までしてくれる。次の日起床したらもう既にマリアは私の朝支度の用意をしてくれていて。
そう、何も変わらないの。何も。
なのにものすっごく、ものすっっっごく寂しい。
夜怖い夢を見て、マリアの部屋の扉をノックしても『どうしました?』と優しい笑顔で迎えてくれて『大丈夫ですよ、私の可愛いお嬢様』と頭を撫でてくれる人はもういない。
勿論成長するにつれそんなことは無くなったのだけれど。無くなったのだけれど、マリアがいつもの部屋にいる。それだけでひどくひどく安心していたの。
マリアが引っ越して行った日、私はマリアの部屋で一人泣き崩れた。空っぽの部屋で。どうしようもなく寂しくなって。
いつの間にかお仕事から帰ってきたお兄さまが優しく背中を摩ってくれたのにまた泣けてしまったの。
お願いだからマリアとエルグラントには言わないで、とお願いして。
だって、今一番幸せな時間なはずだもの。私が寂しいなんて言ったら水を差してしまうから。そんなの嫌だから。
「…嬢様、お嬢様?広間に参りましょう」
はっと我に返ると、マリアがぼうっとしていた私を心配そうに覗き込んでいる。
「どうされました?やっぱり緊張なさってますか?」
「…ええ、そうね」
「大丈夫です。世界一可愛くて美しくて聡い私のお嬢様。あなたを嫌いな人などいませんわ」
「メリーがいたじゃない」
「また懐かしい名前を…あれはまた別ものですから」
本当に思っていることとは別のことを話してしまって少しだけ罪悪感。嘘ついてるみたいだもの。
ーーーーーー
広間に行くと既にレイとエルグラントが控えていた。お父さまとご歓談されていたようで、三人とも楽しそうに笑っている。お兄さまは今日はお勤めの日だから不在よ。
「お待たせしてごめんなさい」
そう言って笑うと、私を見たレイの顔がさっと朱に染まり、眩しい笑みが私に注がれた。わーんイケメンオーラまぶしーーい。
「…全然待っていません。こんなに美しいあなたを見られるならどれだけ待つとしても喜んでそうします。本当に美しいです…俺の愛しい人。お手を頂けますか?あなたの麗しい手に口付けする権利をください」
深々と頭を下げて私に言うレイ。
はいはいはいもうわかってました!わかってたけど!なんなの息をするように王子のような甘いセリフを言わないと死ぬ病気か何かなの?!
「ほんっともう…レイ…自重…」
お母さまとお父さまがにこにこと見ているし、エルグラントは苦笑しているし、マリアは盛大に呆れた顔をしているし。
でも私に向かって満面の笑みで手を差し出してくるレイを無視もできないし、私は顔が火照るのを感じながらそっと手を差し出す。ゆっくりとその手が握られて、レイの唇に向かって持ち上げられる。
ちゅっ、と注がれる口付けにきゅっ、と胸が締め付けられる。
そう、実はアースとの謁見の後に交渉団のレイの部屋でレイに慰めてもらってから一度も二人きりになってないの。だからあれ以来ぎゅっと抱きしめてもらうことも、口や頬に口付けをもらうことも出来てない。
…正直、とっても寂しい。もう少し触れていたいんだもの。もう少し、ぎゅっとして欲しいのだもの。
「…足りない」
私の手の甲から唇を離したレイがイタズラっぽく笑ってこそっと言う。私にだけ届く声で。
もう!もうもうもうそんなのずるいわ!なんなのよその色気!心臓が跳ねるかと思った。
「…私も」
レイは耳がいいから。私自身聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで言ったのに。しっかり聞き取ってくれたみたい。一瞬目を丸くさせてから、ふはっ!と笑ってくれた。あぁもうきゅん!私のきゅん製造器!!!
「それじゃあ行きましょうか。マリア殿、エルグラントさん、今日はよろしくお願いします」
レイが二人に向かって礼をする。
「ええ」
「こちらこそ」
二人がしっかりとした口調で返してくれる。
「それじゃあ、公爵閣下、奥様。行ってまいります」
次にお父さまとお母さまに。
お父さまもお母さまも、もう「義父」と「義母」と呼んでいい、とレイに言ったのだけれどね。正式に私にプロポーズするまではまだ待ってください、と言っていた。
「ああ、気をつけてね」
「気楽にね、サラ。本当にお二人とも人徳者だから、不安に思うことないわよ」
お父さまとお母さまの言葉に私は頷く。
「では、サラ様。お手を」
レイが手を差し出してくれる。馬車までエスコートしていってくれるのだろう。私は素直にその手に自分の手を乗せる。
「それでは、行ってまいります。お父さま、お母さま」
ーーーーさあ!いざ!レイのご両親のところへ!




