139.予行練習
「…様、お嬢様!!」
マリアの声にはっと我に返る。王宮を出て、門のところまで散歩がてら歩きましょうとなり、皆で歩いてるところだった。
「あ…、ああ、ごめんなさいマリア、どうしたの?」
マリアの方を見ると、少し険しい顔をしているもんだから私は首を傾げてしまう。
「…お嬢様、大丈夫ですか?」
「大丈夫?ってなにが?」
笑って返すと、マリアの顔が余計険しくなる。よく見るとマリアだけじゃなくて、エルグラントとレイもどこか心配そうな顔で私を見ている。
「皆、どうしたの?」
「…レイ、この後あなたは仕事?」
マリアが私を見たままレイに問いかける。
「いえ、今日は一日休みをとってます」
「マリア、訳が分からないわ。どうしたの?」
私の問いにマリアは少しだけ険しい顔を緩めて、ふ、と諦めたように笑った。
「こんな時、お慰めするのはずっと私の役目でしたのに。…少しだけ、寂しいです」
…マリア?
私が不思議に思っていると、マリアがレイに振り返って言った。
「四人で、あなたの部屋まで行きましょう。団長用の私室は二部屋あるでしょう?私とエルグラントは隣室で待機してるから」
マリアの言葉にレイがはっとして、それからしっかりと頷く。
「お嬢様。…無理に笑わないでください」
「無理に…笑ってなんか…」
「小さな頃から見て来たんです。あなたはいつもそう。肝心なことこそ全部自分でしょい込もうとする。でももうそれでは駄目です。あなたはこの国の女王になるんだから。そんなことを続けて行ったらいつか潰れてしまいます。…だからこれは予行練習だと思ってください」
「マリアごめんなさい。言っている意味が全然分からないわ。予行練習って、なに?」
マリアは私に言い聞かせるように言った。
「王婿に、本音を全部吐露する、練習です」
―――――――
「…ってマリアは言ったけれど」
私とレイは団長用の、つまりレイの私室のソファにぴとりとくっついて並んで座っている。
「練習なんてしなくても、私レイには結構本音ぶつけてるわよね?」
「…そうだね」
そう言って薄く微笑むレイの蒼い瞳が私を射抜いて、心臓がどきり、と音を立てる。色恋でときめくのとはまた違う、なんだろう。捕食者に捕まるような、感覚。
「…今の感情、うまく俺に吐き出せる?」
すっと、耳に入ってくるその美しい声。決して無理強いしている物言いではないのに、絶対に話せ、と言われているような感覚に陥ってしまう。
「ちょっと…びっくりしたの」
「うん」
「レイが、能力の低さにがっかりするっていうのも、一歩間違えれば劣等感に苛まされそうになるかもっていうのも」
「うん、確かにまだまだ能力が足りないとは思ってる。でも、俺は劣等感に絶対に支配はされない。そのための努力を続けるし、そうでないとサラの隣には立てないからね」
「ありがとう。…あとね、アースのこと」
「うん」
「…私ね、アースはベアトリスちゃんに恋をしたから、私から離れていったんだと思ってたの」
「うん」
「でも、違ったのね。…原因は私だった。ベアトリスちゃんはそんなときにたまたまいいタイミングで現れただけのこと」
「…」
レイの手が伸びてきて、私を優しく抱きしめる。ひどく安心すると、口からすらすらと言葉が出て来た。
「アースの言う通りだわ。口では確かにアースを敬っていた。…でも、実際に私はアースを見下す行動を取っていた。言われて初めて気付くなんて。アースが劣等感を抱くのは当たり前よね。…私がもっと思慮深く行動していれば。私がもっとアースの気持ちに気付いていれば、今回のようなことは起こらなかったかもしれない。アースに人前で謝罪させるなんてこと、そんな王族として死ぬよりもつらいこと、させてあげなくて済んだかもしれない」
「責任、感じてるの?」
レイの言葉に私はこくんと頷く。私は泣きそうになりながら言う。
「とても…とてもとても感じているわ。…劣等感を抱かせていただなんて全然気付かなかった。いいえ、違うわね。気付こうともしなかったのよ。ベアトリスちゃんと幸せになってほしいから自分から身を引いたつもりでいたけど、それもただの傲慢だったのだわ…」
ついに私は両手で顔を覆ってしまう。
あんなに朗らかで大らかだったアースを劣等感の塊に変えてしまったのは、他でもないこの私だった。責任しか、感じない。
「サラ、そういうところだよ。マリア殿がそのままじゃいけないって言ったのは」
レイの言葉に私はがばりと顔を上げた。
「…え?」
レイが飛び切り優しく笑っている。なにもかもわかった顔で。
「全部全部自分のせいにしちゃってどうするの。…違うよ。こういうときはこう言うんだ」
そういってレイはすう、と息を吸った。
え?え?な。なに???
「クッソアホ王子が。なんだよふざけんな勝手に劣等感とか感じてんじゃねーよ。もとはと言えばお前がアホなのがいけねーんだろうが。劣等感とかクソみたいなこと感じる前にそのアホ頭を何とかしてこい。そもそもこの国の第一王子なのに女王制を知らないとかアホじゃないのか今まで一体なにを教えられてきたんだ。その耳は飾りモンか?脳みそ入ってんのか?何でもかんでも人のせいにしやがって。大体なんだ?いずれ結婚するからどっちかがわかってればいいと思って勉強しなかった?はぁ?甘いんだよもうその時点で王婿できねーだろほんとベアトリスちゃんとくっついてくれてせいせいしたわ!!!!」
信じられない汚い言葉でレイがつらつらと罵詈雑言を並べているのを、私は唖然として聞いていた。
「どう?」
いやめっちゃっくちゃ良い笑顔でどう?って聞かれても。
ぽかんとする私の頭を優しく撫でながらレイは言葉を続けた。
「これね。よくエドワード義兄さんが姉君にやってたんだ。姉君も責任感がとっても強くて。絶対に相手が悪い場合でも自分に責任があるって思いこんじゃう人で。そんなときに、エドワード義兄さんがまずこんな風に悪口言うんだ。で、姉君もそのうち同意しだして、二人でけちょんけちょんに言い合って、すっきりして一回リセットするんだ。…やってみる?」
「ま、待って意味がわか…」
「はいじゃあ始めるよ、スタート」
えええええ強引!!!
「じゃあまずね。同意できる言葉はあった?」
う、と怯みながらも私は先ほどのレイの言葉を思い出す。
「………アホ王子」
「ふはっ!まずそれか!!!」
レイが笑って他には?と聞いてくる。
「……第一王子なのに女王制知らないとかアホじゃないのか」
「ほんとそれ、他には?」
「…いずれ結婚するからどっちかがわかってればいいと思って勉強しなかった?甘い」
「あれはひどかった!!!俺もマジでびっくりした!それから?」
「劣等感とかクソみたいなこと感じる前にそのアホ頭を何とかしてこい」
「ほんとほんと」
「ふざけんな勝手に劣等感とか感じてんじゃねーよ」
「それな!!」
「なんでもかんでも私のせいにして!!」
「男らしくねえよ!」
「だいたい何よ!!知らないわよ!!!あんたが劣等感とか抱いてるとか知らないわ興味ないわ!こっちだってさっさと卒業したいところを我慢してたらいきなりあんな大勢の前で断罪されて国外追放になって卒業パーティーも出られてないのよ!!誤算だったわ!せめて卒業してから断罪して!!!」
「ドレス準備してたのにな!」
「めっちゃくちゃ可愛いドレスだったのよ!」
「よし今度それ着て俺と踊ろう!!!」
「ええ!!!!」
…。
……。
「「ブッ!!!」」
私とレイは顔を見合わせて大笑いする。
「だ…だめ、なにこれ…楽しすぎる!!!ふふっ!わっ、笑いがとま、らな…っ」
「ふはっ!駄目だ、サラのいきいきした…ぶっ!顔っ!!」
「あなた、口、わ、悪すぎ!ふふっ!」
「サラだって!令嬢がクソとか言っちゃいけない、だろっ!ふはっ!」
気が付けばさっきまでのどんよりとした気持ちは嘘みたいに消えていた。やっと笑いが止まって私が眦の涙を拭うと、レイがもう一度私を抱きしめてきた。
「ちょっとすっきりしたでしょう?」
「ええ、とっても。そして不思議。俯瞰で物事を見られるようになるのね」
「そうだよ。責任感が強いのは悪いことじゃない。女王として必須の特質だ。でも、それに囚われすぎちゃだめだよ。一歩離れて物事を見ることも時にはとても重要だ」
「…ほんと、あなたが王婿になる人で良かった。アースだったらこんな風にはならないわ、絶対」
「…そのことなんだけど。急に話は変わるけど」
レイが私から体を離し、真剣な表情で見つめてきた。え…なに?不穏な空気を察知してちょっと身構えてしまう。
「俺、めちゃくちゃ嫉妬してるからね、今」
…??シット?シットってあの嫉妬?
「し、嫉妬?」
「うん。アースにめちゃくちゃ嫉妬してる。甥っ子に嫉妬するなんて本気で情けないけど。さっきのサラとアースのやり取り見てて、ああ、俺には知らない二人の歴史があるんだなって思い知らされてものすごく悔しい。しかも、六歳から十年もの間二人は濃密な時間過ごしてたって考えるだけで、どうしようもなくイラってする」
「の、濃密って言っても全然!デートも数えるくらいだし、いつも護衛がいたし…学園でも二人でランチするくらいで…アースはすぐに勉強をやめたから王宮では私が一人で勉強してたくらいで…!」
いきなりのレイの嫉妬丸出し発言に私は慌ててしまう。本当に婚約者と言っても今のレイとのような本当の恋人のような時間は過ごしてない。
「デートで手を握ったことは?」
「あ…あるわ」
「ふーん」
ふーん!?ふーんってなに!?怖いんだけど!?
「口づけは?」
「ない!ないわよ!!!」
「本当に?手にも?」
「…手は、ダンスの前の挨拶の時くらいは」
「ふーん…」
「だからそのふーんってなに?」
私がレイに尋ねると、レイは飛び切り良い笑顔で言った。
「じゃあ、とりあえずは俺の勝ちだね」
勝ち!?勝ちって何?何の勝負?
―――私がそんなこと思っている間に、レイの唇が私の唇に降りてきた。




