135.交渉団再び
「二年間団長不在の中でも皆がそれぞれの任務を遂行してくれたこと、心から感謝する。本日付で再び交渉団団長として現場復帰させてもらう。二年間国を離れていたので皆のほうが現状に精通しているだろう。わからぬことなど私のほうが多々あると思うが、教えて欲しい。また今日からよろしく頼む」
俺の声に整列していた団員が「はっ!!」と声を揃えて返事をしてくれた。
「それでは解散!私は一度執務室に戻る。報告等がある者は随時訪ねてくるように」
団員が散らばっていくのを見て、俺はマシューと共に執務室に戻る。
「だんちょー正式復帰待ってたっすよ。おかえりなさい」
隣を歩きながらマシューが言ってくれる。
「ああただいま。あと、二年間団を取り仕切ってくれて、守っていてくれてありがとうマシュー」
「…」
マシューが黙ったので俺は不思議になって尋ねる。
「どうした?」
「いや、なんてゆーか、だんちょー、空気柔らかくなったっすよね。いやー、やっぱお嬢のおかげっすね」
サラ様の話題が出て来た途端俺はぼっと赤面してしまう。思い出してしまったのは昨晩のことだ。
「だんちょー!?」
「す、すまない、今は仕事中だ。彼女の名前は出さないでくれるか?」
「なにかあったんすか?」
マシューがにやにやしながら尋ねてくる。
「仕事中だ!私語厳禁!」
「はいっす~。そんかわり休憩時間めっちゃ尋問するっすからね」
…マシューの尋問…。
俺はひっと喉から空気が鳴りそうになるのを必死でこらえる。マシューの尋問…。尋問の訓練をマシューとは誰も組みたがらない。マシューが相手だと知った途端大抵の団員は顔を青くするし、新兵の中には尋問訓練ののちに泣き出す人間もいるほどだ。
絶対に手を出したり危害を加えたりされるわけでもないのに、マシューから尋問を受けるとすぐに吐いてしまいそうになる。
「そ…それは嫌、だな…」
「だんちょーにそう言われると光栄っす。楽しみにしていてくださいっす」
マシューの逃がさないとでも言いたげな笑みに、俺は口の端がひきつるのを感じた。
二年間、ほとんどの事務処理はマシューが引き受けてくれたし、どうしても火急を要するものはその時滞在していた国にあるブリタニカ大使館へと連絡が入り、俺が指示を出す…という流れをとっていたので、大して書類は溜まっていないと思っていたんだけど…
「こんなにあるのか…確認資料」
「二年分っすからね。あと、資料室の方にもまだ箱五つ分あるっすからね」
「…マジか…」
「マジっす」
久しぶりに入った自分の執務室に大量の箱が山積みにされていた。すべて目を通すだけの確認資料ではあるものの、これを数日で読んでしまわなければならないというのはどうもげんなりする。
――――…サラ様の能力がほんと今欲しい…。
心底そう思いながら、マシューにどの時系列で確認していけばいいのかの説明を受ける。マシューが退室してから俺は一人仕事に取り掛かった。
―――――
「…んちょー、だんちょー!!」
マシューの声に俺ははっと顔を上げた。いつの間にかマシューが扉の所に立っていた。しまった、資料に没頭していて全然聞こえていなかった。
「悪い、マシュー。集中しすぎてた」
「…もうこんなに目を通したんすか…ほんと凄すぎっすよ…てか、だんちょーが集中しすぎてて近づくなオーラを放ってるから、誰も報告に行けないって僕に泣きついてくるんすよ。もう少しそのオーラ和らげてくださいっす」
確認済みの印を押した書類の山をマシューが見て、呆れたように笑いながら窘めてくれる。
「…すまなかった。別に中断されても怒りはしないから報告は随時するように言ってくれ」
「はいっす」
「で、どうした?もう昼か?」
「それもなんすけど、だんちょーに客っすよ」
「客?」
「スプリニアから、ヒューゴ・アレン外交官っす。どうするっすか?ここに通すっすか?」
「ああ、いや、来客を招くには機密文書が多すぎる。応接室は空いてるか?」
「大丈夫っすよ、じゃあ、通しておくっすよ」
「ああ、ありがとう。この一枚まで読んだらすぐに向かう」
承知したっす。といってマシューが出て行く。
ヒューゴ、久しぶりだ。久しぶりと言っても一月前にパッショニアからフラワニアに行く途中に立ち寄って顔を見たから、そこまで久しぶりでもないけど。
――――
「久しぶりだな、レイ」
「ああ、久しぶりだな。奥方は元気か?」
正式な外交官の服を着ているヒューゴは、仕事中なのに随分と雰囲気が優しくなった。父性のようなものも感じさせると感じるのは、俺の思い込みだろうか。
「元気だ、早いものでサリーも二か月になった」
「早いなぁ。可愛いだろう?」
ヒューゴが目尻を下げて微笑みながら頷く。こいつこんな顔もできたんだな…とぼんやりと考える。
サリーという女の子の名は、サラ様の名から取ったらしい。妻と子供の命の恩人だからと教えてくれた。その理論で言えば俺も命の恩人じゃないのか?と思ったがそこはスルーしておいた。
「で、今日は?どうした」
「ああ…パッショニアのメリー王女が各国の外交官にしたことについて、外交官同士で話し合ったんだ。正式に連名でパッショニアに抗議文を送るかどうか、と」
「連名で送ったところで実際には奥方が人質だったという証拠があるわけじゃない。徒労に終わるだけだろ」
俺の言葉にヒューゴは頷く。
「そうだ。事実上「なかったこと」になってこの話はこれきり霧散するかと思った…らな、パッショニアのカイザー国王から詫び状が届いたんだ。メリー王女への処罰と引き換えに溜飲をさげてくれ、とな」
「…そうか」
「お前たちがフラワニアに行く途中に寄ってくれた時には妻がいたから何も話せなかったが、あのカイザー国王がそこまでする…ひょっとしてお前とサラ殿はとてつもなく大きな代償を払ったんじゃないのか…?」
「だいたい察してるだろ」
ヒューゴの目が開かれた。
「…そう、か。やはり。…サラ殿はあの時メリーを根本から黙らせるためにブリタニカの最高権力者の力を借りると言っていた。…ただの公爵令嬢に国王を動かす力などあるわけはない。だが彼女は代償に差し出せるものがあった」
「その通りだ」
「…女王になることを決意されたんだな」
俺は肯定の意味を込めて薄く頷く。ヒューゴの顔がたちまち驚愕の表情で満ちていく。
と、突然ヒューゴが立ち上がり頭を下げてきた。
「ど、どうしたヒューゴ!」
「すまなかった!!!!!もとはと言えば私のせいで…!!!サラ殿の人生を変えてしまったのもそうだが…彼女が女王となることでお前と結ばれる道が…消えて、しまったんだろう?」
あ。そうだった。こいつにも話してなかったんだ。
痛々しい表情で頭を下げ続けるヒューゴを見てふっと笑ってしまう。
「…ヒューゴ、色々と話さなきゃなんないことがある。…実はな、サラ様が女王となることを決意してくれたからこそ、想いを通わせることができたんだ。お前のところに途中寄った時はもう恋仲になれてたんだよ」
だから、謝るな。感謝こそしてんだこっちは、というとヒューゴは訳が分からない、という表情を見せた。
俺は苦笑しながら、話を続けた。
隠していたけど、自分が王弟であること。もうすぐ国中で発表があること。婚姻を前提とした関係を国王からも許可をもらったこと、だから今のところなんの憂いもなくこれからもサラ様と共に居れること。
などを一つ一つ説明していくうちにヒューゴが立ち上がり俺に向かって跪こうとするもんだから慌てて制止するというこれまたお決まりのパターンも経て、すべての説明が終わった。
「…今だに信じられない…のだ、ですが…本当に」
「敬語やめろ、普通にしないと奥方に実はあなたは人質だったんですってバラすぞ」
「そっ!それだけは…っ、まだ産後の繊細な時期で…」
「冗談に決まってんだろ」
笑ってしまう。
「…こんなことで大事な友人を失いたくない。どうか、今までとかわらず接して欲しい」
俺が言うと、やがて諦めたようにヒューゴは息を吐いた。
「…わかった。なんだか驚きで今日本来きた目的を忘れてしまうところだった」
「本来の目的?」
「これだ」
そう言うと、ヒューゴは鞄の中から封書を取り出して俺に渡してきた。
「なんだ?随分と分厚いが」
「今回メリーに奥方を囚われていた各国の外交官…全員からの感謝の手紙だ。今回のことは公にはされていないから、誰にも見せずサラ殿とお前だけで読んで欲しい。皆一様に心から感謝していた。本当はサラ殿にも直接お会いしてお礼をしたかったのだが…」
「まだ滞在できるなら、明日にでも会えるように手筈を整えておくが?」
「それが、トンボ返りしなくてはならないんだ。また別任務でな」
「忙しいな。そういうことならわかった。サラ様とゆっくり読むことにするよ」
「感謝する。…あと、よかったな、レイ」
それがサラ様とのことを言っているのだとすぐに気付いて俺もまたくしゃりと笑って言葉を返す。
「ありがとう、ヒューゴ」
―――――
突然の来客だったが、なんとなく幸せな気分になり、ヒューゴと別れて執務室に戻るときのことだった。
「だんちょー!!!休憩一緒に入るっすよーーー!」
びくうっと肩が上がる。だった…この存在を忘れていた。
その後俺は予告通りマシューから尋問を受けて洗いざらい昨晩のことをしゃべらされ、お腹を抱えてマシューが呼吸困難に陥るほど笑われる羽目になった。
…チックショウ。




