14.ヴォルト酒場【2】
「なあなあ、お嬢ちゃんたちは商人なんだって?最近流行ってるアクセサリーとかしらねえか?母ちゃんにプレゼントしたくてよ」
「しっかしあんたよく飲むなぁ。まだ二十台前半だろ?体壊しちまうぞ」
「にいちゃんの綺麗な顔にドミニクなんかの店の安酒は似合わねえな」
「そこ聞こえてんぞ!」
ドミニクさんのツッコミに私たちの周りの漁師さん達から、がはははと笑い声が起きる。
私が四箱買い付けたエールを、「流石にお腹に溜まって消費しきれないので皆さんもどうぞ」とマリアとレイが振る舞ってから、私たちの周りには屈強な漁師さんたちが集まってきていた。皆思い思いに色々な話をしてくれるのがとても楽しい。
「しっかし、にいちゃんもそこの酒豪の姉ちゃんもかなり綺麗な顔してるが、あんたは特別だな、嬢ちゃん」
不意に左から掛けられた言葉に私のことですか?と首を傾げる。確かにそこまでおかしい顔ではないと思うが、特別かというとそうでもない気がする。
「違いねえ違いねえ。あんたら今日市場にいたろ?相当目立ってたもんな」
誰かの言葉に、レイが「そうだったんですか?」と慌てたように返している。
「そうそう。まぁ、そこのにいちゃんがずっと嬢ちゃんの手を握ってたからな。誰も声を掛けなかったけど、嬢ちゃん一人ならナンパどころじゃなかったかもな」
「あぁ、人攫いにあってたかもな」
不意にでた不穏な言葉に思わず返してしまう。
「人攫い、ですか?」
私が食いついたことににやりとして漁師さん…ええと、この人は確かガロンさんだったわ。ガロンさんが、ほんの少しだけ声を潜めて教えてくれた。
「実はな、ここの町には人攫いがいるんだ。毎年、かならずどっかの子どもがいなくなるんだ。だからこの町の親たちは言うことを聞かない子どもにいうのさ。『悪いことしたら人攫いがきてお前を連れていっちまうよ』ってな」
「なんて…怖い」
わたしが夕方読んでいた御伽噺にそっくりだわ、と思って怯えてしまったことに気付いたのか、ガロンさんがニカッと笑う。
「なーんてな!実際は水難事故かなんかじゃねえかって話だ。なんせ海の町だ。子どもなんかそこらへんの防波堤から海に飛び込んで泳いじまってるからな。うっかり水の事故にでもあったんだろうって話よ」
「そうだったのね。親御さんはとても辛いわね…」
「こぉら!ガロン!嬢ちゃんに変なこと吹き込んでんじゃねえよ!嬢ちゃん安心しろ。この町の奴らは口もガラも悪いが、何かあったら嬢ちゃんたちを守ってやれるくらい男気のあるやつだ。もし明日から嬢ちゃんがナンパでもされそうもんならすぐ助けてやるからよ!」
おう、あったりめえよ!と次々に声が上がり、私は笑ってしまう。なんとも、潔い人たちだわ。
「ありがとう、頼りにしてます」
「学はないけどな!腕っ節だけは任せておけ」
そう言ってドミニクさんは、私に何か飲むか?と聞いてくる。私は首を横に振った。もうお腹がいっぱい。そして、ちょっと眠くすらなってきちゃった。と、そこまで考えて、私は店に掛けられていた時計を見た。もう夜の十一時を指している。もとより規則正しい生活をしていた貴族令嬢にはこの時間帯はきついわ…と思い、レイとマリアに言葉を掛ける。
「レイ、マリア、そろそろ眠たくなってしまったわ」
私の呼びかけに、レイとマリアが即座に立ち上がり、私の両側に立って腕を掴んできた。
「へっ?」
間抜けな声が出てしまう。いや、そんな即座に動かなくても構わないのに。
「それなら、帰りましょう」
有無を言わさぬレイの言葉に、へにゃりと笑ってしまう。口調はきついのに、この人は本当に裏がない。心から心配してくれてるのが分かってしまうから、とてもとても嬉しい。
「店主、支払いをお願いします」
レイがドミニクさんに言っている。客だからって威張り散らさないのがレイっぽくてとてもいいなぁ、なんて思ってしまう。
「はいよ!もう宿に戻るんで?」
「そうですね、ええと、いくらですか?」
「ちょっと待ってくださいよ…本当にお嬢が買ったエールも入れていいんですかい?うちらもかなり馳走になったってのに」
「もちろんです」
「それなら五万五千三百…っと、端数はいらねぇな。五万五千だ」
「わかりました」
そう言ってレイが五万五千ペルリを払ってくれる。
「とても美味しい酒と魚でした。ご馳走様」
レイの言葉にドミニクさんが満面の笑みで応える。
「あいよ!またご贔屓に!」
漁師の皆に別れを告げて、店の外に出ると潮の匂いが鼻をくすぐった。本当に海の町なのだと実感する。ぐーっと伸びをしてふと横を見ると、不自然にぽつんとリヤカーが投げ捨てられているのに気がついた。なんだろうと思って覗き込むと、その中に小さな花束が数個乗っていた。全て綺麗なろう紙のようなもので包まれている。花束を誰かが売っていたのだろうが、売れ残りだろう。
「あぁ、またあいつら俺の店の前に投げ捨てていきやがった!」
ふと後ろから声がして振り向くと、お金をしまったあとに私たちを見送りに来てくれたのであろうドミニクさんが投げ捨てられているリヤカーを見て眉間に皺を寄せていた。
「あの、ドミニクさん、あいつらって??」
私の問いかけにドミニクさんは言いにくそうに口を開いた。
「…この町に生きてる人間としては助けてやれねえのも恥ずかしい話なんだがな…孤児なんだよ。そこら辺に生えている野の花を摘んできては旅人や金持ちにちょっといい値段で売って日銭を稼いでんだ。俺が怒らねえのをいいことにここの前に荷物を置いて、また明日の朝早くリヤカーを取りに来るんだよ」
苦虫を噛み潰したかのように言うドミニクさんにそれ以上は追求したらいけないような気がして何も言えなくなる。
「…えっと、ドミニクさん。その孤児たちとはお知り合い?」
「知り合いってほどじゃねえな。まあ顔見知りではあるが、顔を合わせてもすぐに逃げやがる」
そうですか…と私は言って、リヤカーの上の花束を見る。
「この花束、残りを買ったらドミニクさん、その孤児たちに売れたお金渡してくれます?」
私の言葉にドミニクさんは目を見開いた。
「いや、そりゃ構わねえが嬢ちゃん…」
「買います。マリア」
「はい。ドミニク殿。いくらほどで妥当な金額でしょう?」
私の声掛けに即座に答えてくれる侍女。頼もしいわ。
ーーーーーー
夜風がとても涼しい。浜風というのは少し生ぬるくて、磯の香りがして、とても新鮮。なんだか気分が高揚してしまう。
シュリー市場を横切る大きな道路を抜けて小道に入り宿の方向に向かうと、どんどんと人通りも少なくなり、遠くに人影がちらほらと見えるくらいまでになってしまった。月と、遠くに煌めいて見える夜の海が綺麗だわ…なんて呑気に考えてしまう。なんだか、とても異国に来たんだわという実感が今更ながら心に湧き上がってきた。
「ねぇ、マリア、レイ」
私はくるりと後ろを歩く二人を振り返った。
「少し、走れそう?」
お酒いっぱい飲んでたみたいだけど。そう言ってくすくす笑うと、マリアは笑って、レイは不思議そうだけど少し慌てた声で勿論です、と言ってくれた。
「わがままに付き合わせてごめんね。追いかけっこしたいわ!宿までね!よーい!どん!」
唐突に告げてからくるり、と身を翻すと私は全速力で走りだした。大丈夫、頭の中に地図はできている。裏道の裏道の裏道を通り、後ろになんの気配もついてきてないことを確認して笑ってしまう。きっと宿について合流したらマリアから怒られちゃうんだろう。令嬢の足の速さなんか限られてるからもしかしたら二人の方が早いかもしれない。
走って走って走って、宿泊している宿の裏口を見つけると、私は一目散にポケットに入れていた鍵を使って解錠して扉をくぐった。
後ろ手で扉を閉めた途端安堵が降りかかる。とりあえずは安心かしら。息がとてもあがる。はっ、はっ、はっ、と呼吸がうるさい。目をつぶって呼吸を整えていると、目前に二人分の気配を感じる。
「…っはぁ、早いわ。二人とも」
私の声掛けに、すでに呼吸を整えたマリアは厳しい顔を見せて言った。
「説明してください、色々を」
うっすら目を開けると、マリアの隣にいるレイも困惑の表情を浮かべている。
「えっと、説明しなきゃね色々…まって、まだ息が上がって…っ」
私の言葉にレイが即座に反応して言葉を返す。
「…とりあえず部屋に戻りましょう。抱いても?」
それはとても誤解を招く言い回しだわこのド天然。頭の中で軽く笑いながらも、私は頷いた。