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13.ヴォルト酒場【1】

「お嬢様、もう夕食の時間です。どうなさいますか?」


 マリアの声に私は読んでいた本からパッと顔を上げた。

「え、もう、そんな時間??」

たしかに窓の外を見ると太陽は眩しい白色から温かなオレンジ色へと姿を変えていた。

「ええ、お目覚めになってすぐに本の虫になられてからすでに三時間は経ちましたもの。何か食べたいものはございますか?」

「ん〜、折角なら海のものを食べたいわ。レイはここの土地に来たことあるみたいだからいいお店知ってるかもね。聞いてみましょうか」

「それではレイを呼んで参ります」

 ええ、と頷き私は本をそっと閉じた。今読んでいる本はこの街に昔から伝わる御伽噺のようなものだった。悪いことをすると人攫いがくるぞ、と子供に読み聞かせる類の話で、こんなの夜寝る前に読んだら一層眠れなくなるんじゃないのかしら、と逆に心配になるほどの内容だった。

「サラ様、失礼いたします」

 コンコン、と扉の向こうからノック音が聞こえる。マリアが一緒にいるんだからそのまま入ってくればいいのに。彼はとても律儀だ。くすり、と笑い入って。と言うと、いつも少し上げている前髪が落ちていて、寝癖がぴょこんと後頭部から顔を出している。

「あら、レイ寝ていたの?」

 私の言葉にレイがびくり、と肩を震わせる。あ、いや違うの。眠るのが悪いとかではないの、と言う前にマリアが口を挟んだ。

「私がお嬢様の読書中に眠るように言ったんです。色々と使わなくていい神経を使ったようなので」

「申し訳ございません。護衛としてあるまじき行為だとは思ったんですが、気がついたら瞼が閉じていて…」

「護衛だからって四六時中起きてそばにいる必要はないわ。有事の際にそばにいてくれれば大丈夫なんだから。それ以外の時はレイもどうぞ自由に過ごして?」

「特にお嬢様は読書が始まると数時間は現実世界に戻って来られませんので、その間に自分の用事を済ませるといいわ」

 私とマリアからの言葉にレイは渋々ながらもはい、と言って頷いた。違うの、責めたり護衛の真髄について説きたいわけではなくて…っと、彼をここに呼んだ理由を思い出す。

「あ、そうそう!レイ。ここら辺でいいお店を知らない?海のものが美味しい店がいいわ!」

「ここら辺で、ですか…正直どのお店もハズレはないんですが…」

 レイが顎に手を当ててうーん、とうなる。

「「どうしたの?」」

 私とマリアが首を傾げると、レイが言葉を続けた。

「ここら辺は港町なので、夜にやってる食事処は酒場ばかりなんですよね。町の者も漁師ばかりなので、基本的に気立ての良い人間ばかりなんですが、ガラが悪いと言えば悪いです。サラ様が行くにふさわしい店があるかと言うと、…ないですね。もう少し王都に近づけばきちんと落ち着いた店があるので、そちらにしましょうか。馬車で一時間程で着くと思…」

「酒場に行きたいわ!」

「俺の言葉聞いてました?サラ様…」

 何故かジトリとした目で見られて私は意味がわからず首を傾げてしまう。

「ガラが悪い輩ばかりいる酒場に、お昼お酒であんな姿を見せておいたあなたを連れて行けるわけがないでしょう?」

 絶対絡まれて大変です、と続けるレイに私は口を尖らせる。

「私、絶対飲まないわ。ジュースで我慢するし、二人から絶対離れない。ねぇ、マリアも酒場で飲みたいでしょ?」

「マリア殿、あなたからもサラ様に言ってくだ…」

 ため息混じりのレイの言葉がそこでストップした。

 私とレイの視線の先にいたマリアの顔が、この旅に出てから初めて見たような一番いい笑顔をしており、その顔が雄弁に語っていた。


『酒場に行きたい』と。


 今夜の行先が決定した。



ーーーーーーー

 ヴォルト酒場。

 シュリー市場を横断する大きな通りの表に面した明るい酒場で、ここなら比較的女性でも入りやすそうです、ということでレイが選んでくれた酒場だ。

 酒場の中も活気に溢れ、外に出されたテーブルにも所狭しとお酒や料理が並び、人々が思い思いに楽しい時間を過ごしている。ときおりテーブル席からドッという笑い声や大きな声が聞こえてくるが、レイがいうほどガラの悪いヒトはいなそうだった。

 私たちは、カウンターに一番近い三人掛けのテーブルに席を取ることができた。

「サラ様とマリア殿は何にしますか?」

 メニューを見ながらレイが聞いてくる。

「私はこれがいいわ。カルアミルク」

「それはお酒です。だめです」

 即座にレイに否定され、笑ってしまう。ちゃんとアルコールのところに書いてあるのをわかって言ったのだからただの冗談なのに。

「レイは過保護だわ」

 わざとぷう、と頬を膨らませて笑うと、マリアが横からすぐに口を出してきた。

「レイくらい過保護なのがお嬢様には丁度いいです。あ、私はとりあえずエールで」

 マリアまで!ひどいわ!

「マリア殿はエールですね。サラ様は?」

「…オレンジジュースで」

 オーケーです、食事はどうしますか?とレイが聞いてくれる。

「そうねぇ…お魚食べたいわ。ポワレみたいなのがあるのかしら」

「ポワレのような一手間はかけてないと思いますが、単なるバター焼きなんかはあると思いますよ」

「じゃあ、それで。あとはレイが美味しそうだと思うものを適当に頼んで?」

 オーケーですと言ってレイが手を挙げて給仕係を呼び、すらすらとオーダーをしてくれた。うん、とても頼もしい。

 数分後、目の前に並べられた料理とお酒に私は目を丸くした。一応周りに聞かれないように目の前の二人にコソコソと告げる。

「す、すごい量じゃない???レイ、オーダー間違ってない?」

 確かに魚のバター焼きを頼んだけれど、まるで想像と違う。お皿にちょこんと乗っているいつも食べていたようなのは流石に場所が場所だし想像してはいなかったけど、予想を遥かに超える量の魚のバター焼きが、皿に山盛りになっていた。しかも魚のバター焼きだけではない。レイが他に頼んだポテトを揚げたものや、貝のチーズ焼きなどの量もまるで見たことがない。私の反応にマリアだけではなくレイまで苦笑しているところを見ると、これも市井の常識なのだろう。

「……ものすごくこの旅で私が井の中の蛙だったことを痛感させられてるわ」

 箱入り娘なんて碌なもんじゃないわね。読書ばかりで知識を得た気になってたわ…と落ち込む私にレイが慌てて声を掛けてくれる。

「大丈夫です。そのための見聞を広げる旅なんですから!難しいことはとりあえず考えずに、食べましょう」

「そうですお嬢様、それに私もう喉が渇いて仕方ありません」

 マリアの言葉に苦笑してしまう。顔がエールを飲みたい飲みたいと言っている。

「そうね!気を取り直していただきましょう」

 いただきます、と言って私はフォークを手に取り魚のバター焼きを一つ目の前に置いてある取り皿へと運んだ。ナイフが置いてないところを見ると、これはそのまま刺してかぶりつけ、ということかしら?キョロキョロと周りを見渡しても、皆自由に食べていて正解がわからない。

 かぶりつくのは流石に憚られて、フォークで一口大に魚を切る。パリッと焼かれた魚の皮がとても美味しそう。バターと胡椒の香りが食欲を刺激する。一口大に切った魚をそのままパクリ、と口に含んだ。途端、

「〜〜〜〜〜!!!」

 あまりの美味しさに目が見開くのがわかる。椅子に座って空中に浮いた足をバタバタさせる。お行儀が悪いと分かっていても体が勝手に動いてしまう。

 ブリタニカで食べる魚と全然違う。磯の香りが鼻を突き抜け、噛み締める度にしつこくない魚の脂が甘い味を口の中いっぱいに広げてくる。

「レイ!マリア!私、こんな美味しいお魚初めて食べたわ!!」

 魚を飲み込んでから感動のあまりレイとマリアに感情をそのまま弾ませて伝えると、二人ともとても優しい目で私を見ている。

「え、ええと、は、はしたなかった…?」

 慌ててナプキンで口を拭いながら聞くと、二人はいいえ、と笑ってまた優しい笑みを投げかけてくる。

「ただ、あまりにも可愛くて」

「ええ、天使でした」

 レイとマリアが交互に言う。マリアはともかく、レイも最近マリアに毒されて強火私担になってないかしら…?

「え、ええと、はしたないわけでないなら、いいわ?」

 気を取り直してさあ二人もいっぱい飲んで食べましょうというと、レイもマリアもすでに一杯目のエールを飲み干していた。

「もう飲んだの!?」

 私が驚いて声を上げると、二人が同時に頷いた。

「これ、一般的なエールと違います。めちゃくちゃうまい。どっかの国のものでしょうか」

 レイがジョッキを見て、マリアに問いかける。

「おそらくもっと北のアルプス山脈がある国のものじゃないかしら。水がおいしいからエールがものすごくおいしいというのは聞いたことがあるわ」

 二人の嬉しそうな顔にこちらまで嬉しくなってしまい、私はへにゃりと笑ってしまう。



「おねーちゃん、うまそうに食うなぁ!」

 しばらく三人で談笑し、目の前の二人のあまりの酒の消費量に目を丸くしながら楽しく時間を過ごしていた時に、不意に上から声を掛けられた。頭上を見上げると、にっかりと笑った人の良さそうなすごく体格の良い白髪混じりの男性が私たちに声を掛けてきているところだった。頭にタオルを巻いて、袖を捲り上げた彼は両手にエールの入ったジョッキを八個も持っていた。

「ええと…?」

 おねーちゃんと言うからにはマリアが呼ばれたのかしら?マリアの方に視線を向けると、

「違う違う、そっちのねーちゃんは酒ばっかりでほとんど料理を食べちゃいねえよ。アンタのことだ、アンタの」

「私?」

 不意に話しかけて来られたことに目の前のレイとマリアから警戒の空気が漂ってくる。

「ああ、うちの魚料理うまいだろ!うまそうに食ってくれてんの見て嬉しくなってな!ありがとな!」

「うちの?ということはあなたまさか店長さん?」

「おうよ!ここの店主でドミニクって言うんだ!よろしくな。だがアンタらみたいに上品なのは見ねえ顔だな?旅のもんか?」

「はい、ブリタニカの方から、商品の買い付けで」

 マリアがさらっと嘘と本当を混ぜて返事をする。流石だわ。

「おお!てことはアンタら商人か!まぁ、魚と酒しかないけど、ゆっくりしていってくれよな!」

 がははと豪快に笑う店主さんにはい、と笑って返すと、今度は別の方から、

「おいドミニク!嬢ちゃんが可愛いからってナンパしてんじゃねぇぞ!早く酒持ってこい!」

 と言う野次のような声が飛んでくる。ドミニクさんは声の飛んできた方へ笑いながら怒鳴り声で返す。

「うるせえ!飲み過ぎだ!そんなんだからお前は嫁に逃げられんだぞ!」

「関係ねえだろ!俺らが金落とすからお前は店をやってられんだろうが!もう来ねえぞ!」

 ご、豪快だわ…見たこともないような激しい言葉の応酬に思わず口の端がひきつる。ドミニクさんは、大声を投げかけてきたテーブルに向かい、八つのジョッキをドン!と音を鳴らせて置いた。激しく打ち付けられてエールがテーブルの上に少しこぼれるが、ドミニクさんもお客さんも気にしない。

「わかってらぁ!ほらよ!」

「よしきた!待ってたぜ!」

「おう、たんと飲めや!」

 そのままドミニクさんを見ていると、彼はカウンターの中に一度戻ると、ジョッキを再び一つ持ってきて、私の前にどん!と置いてくれた。

「…これは?」

 私が聞くと、ドミニクさんは豪快に笑って、

「騒がしくした詫びだ!サービスだぜ!嬢ちゃんも一杯くらい飲めや」

 と言ってきた。あらら、どうしようかしら、とちらりとレイを見ると、

「俺が飲みます!すみません店主。この子お酒飲めないんですよ」

とジョッキに向かって手を伸ばしてきたので慌てて制する。

「レイ、いいわ!せっかく私がいただいたのだもの、ドミニクさん、いただきますね」

 そう言ってジョッキを持ち上げた途端、

「きゃっ!!!!」

 ずるり、と持ち手がすべってしまい、ジョッキが床に落ちてバシャァアっとエールが床にぶちまけられた。やだ!とはしたないとわかっていても大きな声を出してしまう。

「や、やだ!私!ごめんなさいドミニクさんっ」

「んおっ??お、おうっ!気にするな!大丈夫だ!」

「ごめんなさい、私拭きますっ」

 私の言葉にドミニクさんは優しい笑顔で首を横に振った。

「客にそんなことさせらんねえよ!俺がやるから大丈夫だ!それよか嬢ちゃんは濡れなかったか?」

「はい、大丈夫です。あの、本当にごめんなさい…」

 私の言葉にドミニクさんは気にすんな、と笑ってくれる。気にすんな、と言われても無理な話だ。それならせめて、なにか代わりになるものを、と、私は部屋の端っこに積み上げられているものを見つけて指差した。

「じゃあ、あの、せめてなんですけどあれ、全部買わせてください。うちの二人が飲むので…」

 

 エールの瓶が詰められ、積み上げられた木箱四つを。




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