119.ピクニック
「「いただきます」」
目の前には一面に広がるチューリップ畑。家族連れや恋人が思い思いにのんびりと過ごしているのを見ながら、私たちは屋根とテーブルが付いているベンチに並んで座ってマリアが持たせてくれた昼食を食べ始めた。
「マリア殿ってできないことないのかな…」
目の前の籠の中に入ったサンドウィッチや、簡単に摘まめるように調理されたお肉や卵料理を見ながらレイが呟いた。
「同感よ。私なんか料理一つもできないのに…あ…レイもやっぱり料理できる女性が好き?」
私の言葉にレイが首を振る。
「女性にそんなこと求めないよ。しなくていい。できる人間がすればいい」
レイとの敬語無しの会話。とっても新鮮で楽しくて、それだけで私は顔が綻んでしまう。
「それに、サラは、そんままでいい」
――――ちょっと破壊力は抜群なんだけどね!!!!
敬語無しで甘い言葉言われると、破壊力が五割り増しくらいになるわ…早まったかしら…
「ありがと…」
ぷしゅうと頭のてっぺんから変な湯気が出てる気分になる。
「逆に、俺、どこか変えたほうがいいとかないかな?」
不意にレイが不安そうに言う。
「なんで?」
「…俺、恥ずかしいけど女性と付き合うの、初めてだから。…至らない点とか見せてサラをいらいらさせちゃったりしてないかな?って実は付き合ってからずっと、不安で」
――――はい!!!ここに世界一可愛い恋人選手権開催いたします!優勝レイモンド・デイヴィス!!!
脳内で変な大会が始まっていきなり優勝者が決まってしまった。
「サラ?」
「あ、ごめんなさい。ちょっとあまりのレイの可愛さに現実逃避していたわ」
「可愛い!?俺が!?」
レイが頓狂な声を上げる。私は大きく確信をもって頷いた。
「世界一可愛いわ。私今まで男性に可愛いだなんて感情抱いたことなかったの。最近分かったのだけれど、愛おしければ愛おしいほど。愛していれば愛しているほど『可愛い』って感じるのね。なんて幸せな感情なのかしら…ってどうしたの?レイ」
テーブルに顔面突っ伏して、なにかに悶えてるけど…
「愛おしいとか、愛してるとか…どうしてそんなこと平気で言えるんですか…」
「いやそれレイが言う?しかも敬語に戻ってるわよ」
「いくら切り替えたと言っても、二年間の癖はなかなか抜けないんだよ…。俺だって敬語使わないのめっちゃ頑張ってるんだよ…衝撃的なこと言われたら飛んじゃうんだよ…なんなの本当に。いきなり愛おしいとか愛してるとか心臓に悪い…」
平気で愛してるの好きだの愛おしいだの可愛いだのぽろぽろ言う人が何を言ってるの。
「俺も」
テーブルに突っ伏してるレイが、そのままの体勢でごろんと顔だけをこちらに見せる。おでこが若干赤くなってるのすら可愛いだなんて、私もそうとう舞い上がってるわよ。
「俺も…本当に大好き」
ひゃああああああああ!???!?ちょっと!!!いきなりの不意打ちの言葉とその体勢と目線は心臓に悪い!!!!
「あ―――。早く結婚したい…」
さらなる爆弾発言!敬語抜けたと同時になにかのリミッター外れたわよね絶対!
「けけけけ結婚って…!」
「ん?するんだよね?」
決定事項ですかそうですか。いや確かにちらっとそういう話はしたけどね!?確かにレイと結婚したいと思って自分の気持ちに気付いたんだけどね!?
「…ま、まだプロポーズとかされてないし…」
「結婚しよ」
「ムード!ムードとか大事にするわよね普通!?」
私の言葉にレイがふはっと笑って顔を上げた。
「冗談だよ。きちんとプロポーズはするから。…でも、俺はサラとそうなる未来しか考えてないし、そのために立場を公表するんだってことはわかってて欲しい」
レイの言葉に私は頷く。
「そんなの…私だって同じよ。レイが相当な覚悟で王族として生きていくって決意したこともわかってる」
「うーん、どうかな。わりかし本気でサラとの結婚しか考えてない」
笑って言ってるけど。嘘ばっかり。
王婿になったら、責任や任される仕事は今の比じゃない。その大変さや重要さを知らないわけがない。それも全部担うと覚悟したうえで、私と共に居るためにその道を選ぶことを望んでくれた。それが簡単な覚悟じゃないことくらい、わかってるわよ。
でも、それを言わないのはレイの気遣いだから。その気遣いに水を差すようなことはしたくない。
「ありがとう」
こてん、とレイに寄りかかる。多分これでこの人にはきちんと伝わる。
「うん。こっちこそ、不甲斐ない男だけど…これからもよろしく」
ぽんぽん、と頭が撫でられる。大きな、大好きな大好きな手。
「…食べないと、干からびちゃうわ」
「そうだね」
そう、会話に夢中で目の前の美味しそうな食事に最初だけしか手を付けていなかったことを思い出した。
「マリアに怒られちゃう。食べましょう?」
「はいあーん」
「ええっ!?…んぐっ」
急に目の前にスプーンに乗せられた卵料理が差し出されて私は反射的にそれを食べてしまった。
「も、もう!いきなり何するの!」
「はははっ、ごめん。びっくりした顔も可愛い。いきなりあーんされる気持ち、わかった?」
「えっ!」
「今までずっとサラからばっかりだったから。たまには。はい、あーん」
そう言って今度はサンドイッチが差し出される。な、なんかめちゃくちゃ恥ずかしいわ…
「も、もういいわレイ。自分で食べる」
「いいからいいから」
―――なにが!?
そう思いながらも、レイのその蒼い瞳で優しく微笑まれるとなんか断れなくて、でも恥ずかしいから口をほんの少しだけ開けてサンドイッチを食べる。
「も、もうレイ限界。恥ずかしくて死にそう」
「もう終わり?誰も見ていないのに」
レイがつまらなさそうに言うけど、無理、もう本当に無理。
レイの言う通り公園にいる人たちは皆それぞれに自分たちの世界に入っているから、確かに誰に見られているわけじゃないんだけど!!
…なんてことを思ってたら、隣でレイが肩を震わせて笑っている。こ…これは。
「ひどい!からかったでしょ!」
「ごめんごめん、あんまり可愛くて。でも、やっと念願のあーんができた」
「念願だったの!?」
「念願だよ。こんなの恋人にしかできない」
「…私、結構やってたわよね?」
「でも、俺にしかしてない。そこは好かれてたって自惚れていいのかな、と思ってはいるんだけど」
どう?と尋ねるような瞳に私の頬が染まる。
「自惚れていただいて…結構です」
「光栄です」
ふはっと笑いながらレイが言う。ああもう大好き。
それからは手を握って公園をぐるっと回ったり、喉が渇いてバラのジャムが入った冷たい紅茶なんかを買ってもらったりして、残りの時間を楽しんだ。
高台から見える夕陽なんかも本当に美しくて綺麗で。素敵な一日だった。
あまりに素敵な一日が終わるのが名残惜しくて、宿に着いて部屋に入る前に、私は思わずレイを引き留めてしまった。
「どうしたの?」
振り向いて優しく問いかけてくれるレイ。
「今日一日、本当にありがとう。すごく楽しくて…」
「俺も。最高に楽しい一日だった。こちらこそありがとう」
にこりと笑ってくれる。ああ、本当に愛おしい。
「ちょっと、屈んでくれる?」
「ん?なにかついてる?」
そういいながら、レイが屈んでくれる。目線の高さが同じになる。恥ずかしいけど、でも今どうしてもそうしたいって思っちゃったから。
「まだ、口は恥ずかしいから」
そう言って私は、レイの頬と唇の間に口づけを贈った。
「…でも、頬よりは近づきたくて」
言いながらそっと離れた。
ああああああ!自分でやっといてめちゃくちゃ恥ずかしい!!!
レイが、真っ赤になって硬直している。わかってる、私だってきっと同じくらい真っ赤よ。
「お礼…っていうのも、こんなのでお礼かよって思われちゃうかもしれないんだけど…」
「い、や…えっと…こ、こうえいです…?」
「な、なんで疑問形なの…」
しばらく赤くなっていたレイだったが、やがて少しずつ落ち着きを取り戻してこほん、と軽く咳ばらいをした。それから。
「…抱きしめてもいい?」
あまりにまっすぐに私を見つめて言うものだから、私は頷くしかない。もともとそれ以外の選択肢なんてないけど。
そのたくましい腕が伸びてきて、私をぎゅう、と抱きしめた。
「久しぶりに抱きしめた…もうこのままずっと腕の中にいればいいのに」
掠れて色気を含んだ声に、ドクンと大きく心臓が波打つ。私だって叶うならずっとこの腕の中にいたい。
「…レイの腕の中、とても安心するわ」
「俺も。サラを抱きしめてると落ち着く」
どのくらいそうしていただろう。やがて、レイの腕がそっと私を開放する。ああ、ちょっと寂しい。
「…部屋、入りましょうか」
「ええ」
レイが意図的に敬語に戻ったのを聞いて、今日のデートが終了したことを知る。
ああ、ちょっとどころじゃないわ。
…とても、とても寂しい。




