118.名前
「今日は、今から俺と二人で出かけませんか?」
マシューを見送った後、レイからそんな提案を貰う。マリアもエルグラントも優しく見守ってくれているということは、事前に了承済みなんだろう。
「喜んで」
私はたちまち嬉しくなって返事を返した。声が弾んでしまったのが自分でもわかる。
「どこへ行くの?シオンに乗って遠乗り?」
「いいえ、普通に公園を歩いて散歩デートです。いろんな花が咲いていてとても綺麗ですよ」
「素敵!!」
私は再び声を上げる。
――――
「この中にあらかた準備してあるから、足りないものがあったら現地調達でね」
「はい」
マリアがレイに大きな肩掛けの籠バッグを手渡している。そういえば、今朝はマリア随分と早起きしてキッチンでごそごそ何かしていたわね。
「お嬢様はちゃんと帽子をかぶってくださいね。この時期が一番焼けてしまうんですから」
マリアがそう言いながら私の頭に帽子をかぶせてくれた。
「ありがとう」
「十分に楽しんできてくださいね」
マリアが私の髪を撫でながら言ってくれる。
「ええ。マリアも、エルグラントと久しぶりに二人っきりじゃない?十分に楽しんでね」
「ありがとうございます」
お互いに目を見合わせてふふ、と笑う。
「レイ、出かける公園はあそこだったよな。ええと、チューリップ畑がメインの」
エルグラントがレイに行先を確認している。
「そうです、そこです」
「悪いな。二人ともいい歳だから自由にさせてやりたいんだが。サラ嬢は立場が立場だから念のためな、行先は聞いておく。ま、フラワニアは治安がかなりいいから大丈夫だとは思うが」
「いえ、知っててもらっていたほうがこっちも安心です。時間ですけど、夕陽まで見て帰ってきます。食事は帰ってきてから一緒に摂りましょう」
「おう。楽しんで来い。好きなだけいちゃついてこい」
「何言ってるのエルグラント」
マリアが即座に突っ込みを入れてる。ふふ、なんだか息ぴったりよねほんと。
「それじゃ、行きましょうか、サラ様」
そう言ってレイが手を差し出してくれる。ええ、ここで繋ぐの!?ちょ、ちょっと二人の前だと恥ずかしいんだけど…
「ん?どうしました?」
もう、レイの恥ずかしいスイッチが分からない。なんでこういうのはこの人平気なのかしら本当に…
「…失礼します」
おずおずと手を伸ばして指を絡ませると、レイがふはっと笑った。あああああもうずるい!その不意打ち!!きゅんってしちゃったじゃない!!
「なんで敬語なんですか。じゃあ、エルグラントさん、マリア殿。行ってきますね」
「行ってくるわね」
優しい…もとい生ぬるい笑顔を見せながら目の前の二人は行ってらっしゃいと送り出してくれた。
―――――
宿を出て、街中を二人で歩く。
私は歩幅が小さい。レイは身長も高くて足も長いから、私のペースに合わせて歩いてくれている。
逆にきつくないかしら、大丈夫かしら、と思ってちら、とレイを見上げると、
「どうしました?」
と蕩けそうな笑みを私に向けてくれる。ああああ、もう、イケメン…!
「私、歩くの遅いからレイはきついんじゃないかしらって」
「え?なんでですか?全然きつくないですよ?」
「そうなの?無理してない?」
「いつもよりゆっくり歩けるので、サラ様をゆっくり見ることができますし、景色も楽しめます。俺にとってはいいことしかないですよ」
もう…ほんとこの人生粋の王子だわ…女性を喜ばせる言葉を平気で言っちゃうんだからもう…
「もう…あなた私を甘やかしすぎ」
私の言葉にレイは心底訳が分からないといった顔を見せた。
「サラ様全然我儘とか言わないですから、俺甘やかしてる感覚がないです。もっと甘やかしたいです」
「我儘言ってるわよ。ここ行きたいだのあそこ行きたいだの」
ふはっとレイが笑う。きゅん。
「そんなの全然我儘のうちに入りません。なにかないんですか?逆に。俺我儘言って欲しいです」
「それおかしくない!?」
あぁ、またふはって笑う。もう心臓さっきからきゅんきゅんしっぱなしなんだけど。私心臓持つのかしら。
「ほら、我儘。なんか言ってください」
「えええ?そんなこといきなり言われても…あ」
「お、なにかありますか?」
―――そうだった。最近ちょっとしてほしいと思ってたこと。…言ってみよう、かしら。
私はレイを上目に見る。うう…ちょっと恥ずかしいけど。
「…なんでもいい?」
「なんなりと」
「あのね…」
じわじわと頬が赤くなるのが分かる。恥ずかしいけど、いざ、叶うかもしれないって思ったらとてもとても『そうして欲しいな』って思っちゃったから。
「…二人きりの時は、『サラ』って呼んで欲しいの…」
言っちゃった!あわああ!!なにこれとてつもなく恥ずかしい!!!!!
レイもポカンとした表情を浮かべている。ああああ、これやらかしちゃったのかしら!?
涙目で声も震えちゃって頬も赤くてすっごい情けない顔してるわ絶対。
「れ、レイ?」
私を凝視したまま固まるレイに呼びかける。と、次の瞬間。
「~~~~~~~~っ!!!!!!!」
声にならない声を発して、繋いでいない方の手で顔を覆いながらレイがその場にしゃがみこんだ。
「れ!レイ!?どうしたのいきなり!具合悪いの!!??」
「ちが…もう、ほんと勘弁してください…」
「えええええ!!?勘弁て、そ、そこまで名前呼ぶの嫌だったの!?」
「ちが…っ!!!そんなわけないでしょう!?」
レイがしゃがみこんだままガバリと顔を上げた。あれ?なんでそんな真っ赤…?
「…全然我儘じゃないです。なんでそういう嬉しいことを平気で、しかもそんな破壊力抜群の顔で言うんですか…言われるほうの身にもなってください」
こ、これは喜んでくれてるの抗議なのどっちなの…?
「ご、ごめんなさい?」
「全然わかってないでしょう?」
ジト目で見られる。う、はい。全然意味が分かりません。
「…いいんですか?」
レイが私を見上げながら訊いてくる。
「…呼んで欲しいわ」
レイが私をじっと見つめる。その美しい蒼い瞳がまっすぐに私に向けられる。なんだろう、なんか動けない。吸い込まれそうな。そのまま食べられちゃいそうな。どきどきとする心臓の音が嫌にうるさい。
「…サラ」
ドクン、と心臓が動いた。たちまち足元から上がってくるような喜びの感覚を覚える。
愛しい人が、私の名を呼ぶ。敬称が無くなったただそれだけのことなのに、こんなに嬉しいだなんて。
「…はい」
声が掠れてしまう。でも、笑顔が溢れてしまう。あまりにも嬉しくて嬉しくて。
「…やばい」
レイが再び赤くなって俯いた。
「どうしたの?」
「…可愛すぎます。幸せすぎます。だめだほんとやばい。落ち着け俺」
ええええ…なにこの可愛い人。もうどれだけ私をきゅんきゅんさせたら気が済むわけ!?
しばらくそうしていたけど、やがてふーっと息を吐きながらレイが立ち上がった。私たちは歩くのを再開する。傍から見たらおかしい二人だっただろうなぁ。他の歩行者の皆さますみません。
「すみません、ほんと、大丈夫かな俺。これからのデートで心臓が持つかどうかがわかりません」
「私もよ。あなたのせいで心臓きゅんきゅんしっぱなし」
「サラ様も?」
「あっ!ほら!」
「あっ…えと、サ、ラも?」
ぎこちないレイに笑ってしまう。もうこの際だからもう一つお願いしちゃおうかしら。
「あのね、レイ。もう一つ。二人きりの時は敬語も無しにできない?」
「敬語もっ!?」
「だって、恋人から常に敬語って悲しいじゃない?次期女王という立場上、誰かがいるときはあなたが敬語を使わざるを得ないのはしょうがないとしても。二人っきりの時くらいは敬語辞めてもらえない?」
「恋人…って、すごいですね…。ちょっと待ってくださいね。名前だけなら切り替えなくてもいけそうだったんですが。どうしても外に出るので恋人兼護衛モードも入っちゃってて、そうすると敬語も自然に出てしまって…」
「…今は、護衛じゃなくて恋人に切り替えて欲しいなぁ…」
「またそういう可愛いことを言う…最初に我儘言って欲しいって言ったのは俺の方ですし。…よし!」
レイがいきなり気合の入った声を出して私はびくうっとしてしまう。
「ど、どうしたの」
「切り替えました。もちろん有事の際にはすぐに任務に戻ります」
レイはそう言って私に満面の笑みを向けてくれた。
「…行こう、サラ」
じわじわと喜びが心に広がる。ぐっと近くなった気がする。
「ええ、行きましょう。レイ」
手をもう少しだけ強くぎゅっと握り返して、私もまた満面の笑顔をレイに返した。




