113.ベアトリス・レーシュ
忙しく更新ができませんでした。楽しみにしてくださっていた方(いる…の、か?)すみません。
ベアトリスはブリタニカ王都の外れの平民が多く住む地域の生まれだった。
貧乏だが優しい両親の元に生まれ、すくすく育った…のならよかったのだが、残念ながらそうではなかった。
貧しさは時として人の心を蝕む。
そう、ベアトリスの両親は己が貧しい環境を憎み、富や権力に羨望や嫉妬の眼差しを向け続ける人間だった。それでも我が子に向かって深い愛情を注げればよかったのだが、貧しいながらも三男三女の一番年長として生まれたベアトリスは両親にとって愛情を注ぐ相手というより、生活するための小間使いの一人だった。
虐げられたわけではない。だが、愛されたわけでもない。
そんな環境下でベアトリスはいつも思っていた。
――――いつか愛されたいなぁ。
貧しくてもいい。ただ、自分だけに一心に心を傾けてくれて、自分を愛してくれる。そんな存在が欲しかった。王子様みたいな人が現れないかと、夢物語をその心のうちに秘めていた。
――――まさかその夢物語が現実になるなんて思っていなかったけど。しかも相手がガチ王子だなんて思ってなかったけど。
ベアトリスは、王宮からの帰り道、大きなため息を吐いていた。
先ほど国王との謁見が終わり、レーシュ伯爵邸へと返される馬車に乗っているところだった。
「…なんでこうなっちゃったかなぁ…」
――――――
市井にお忍びで来ていたレーシュ伯爵夫妻から養女の申し出があったのは、ベアトリスが十四の時だった。レーシュ伯爵夫人は、過去に子どもを流行り病で亡くした過去がある。数年前に国中で流行った病だ。その時に亡くした子どもとベアトリスが瓜二つだったという理由で、彼女に養女の申し出が来たのだ。
養女の申し出と共に、レーシュ伯爵夫妻は今まで見たこともないような金額をベアトリスの両親に提示した。お金に強い執着を見せる彼らは悲しむことなくベアトリスを養女として出すことに合意した。ベアトリスも、そのことは別に構わない。もともと親子間の深い愛情など無かったのだから。
ただ、ベアトリスが家を出るときに、お金を必死で数えて彼女の方を向きもしなかった両親の姿は小さなしこりとなって彼女の心の中に留まることになった。
それでも、新しい家では今までと比べ物にならないくらい愛されて過ごすことができた。
レーシュ伯爵夫妻は本当に善人で、右も左も分からないベアトリスを根気強く愛情をもって教育してくれた。貴族としての振舞、一般教養、淑女教育。
ある程度、人前に出せると判断されるまで一年程かかったが、それでも及第点を貰えた後に、ベアトリスはイグレック学園へと入学するように言われた。
「同年代にはこの国の第一王子もいらっしゃるわ。名だたる名家のご令息やご令嬢と過ごして知識を得るのも、とてもとても役立つと思うわ。もちろんあなたが庶民の出だということで馬鹿にされることもあるでしょう。でも、そんなの跳ね返してやりなさい。あなたは私たちの誇らしくて愛おしい娘よ。ベアトリス。今しかできないことをたのしんでらっしゃい」
そうやってベアトリスはレーシュ伯爵夫人の言葉に後押しされてイグレック学園に入園した。
同年代にこの国の第一王子、アース・イグレシアスがいると聞いてはいたが、まさかの同じクラスにいた彼を見た時、ベアトリスは正直、一目でアースに惹かれた。
―――これが王族…すごい。
今まで見たこともないような美しさと気品だった。所作の一つ一つが美しく、サマになる。王子だというのに授業中寝ていたり、屈託なく笑う姿にもとても好感が持てた。
でも、正直それだけだった。アースには別のクラスにサラ・ヘンリクセンという婚約者がいることは周知の事実だったし、王族である彼と近づけるだなんてベアトリスは思いもしていなかった。初めて抱く恋心は例え叶わないとしても、日々を楽しく色づけてくれるものだったし、それだけでよかったのだ。
「貴殿が、レーシュ伯爵家の養女になったベアトリスか?」
だから、不意にアースから声を掛けられた時、ベアトリスは自分が話しかけられているだなんて思いもせずにスルーしてしまったのだ。ベアトリスと共に居た友人が慌てて彼女に頭を下げさせて初めて気付いた程だった。
だが、そんなベアトリスに向かってアースは屈託なく笑って見せた。おもしろい令嬢だ、と。
それからアースはちょくちょくベアトリスに話しかけるようになった。
市井での暮らし、庶民の暮らし。朝起きてから水を汲みに川までいっていたという話にすら目をキラキラ輝かせて聞いてくれるのはとても楽しかった。
自分から近づくことはなかったが、アースは機会があるごとにベアトリスと話したがった。最初は授業後の休憩時間、そのうちランチの時間にも共に過ごすようになり、そのうち授業以外の全ての時間はアースと過ごすようになっていた。
ベアトリスは知らなかったのだ。婚約者がいる男性とそれほどまでに親しくしてはいけないという貴族間でのルールを。アースが話しかけてくるから一緒にいる、一緒にいると楽しいからベアトリスも拒むことはしない。ただそれだけのことだった。
そう、思慮深さに欠けていた。
それこそが最大の恥であり、最大の過ちであるとも知らずに。
そんなことが三年程続いた後、ベアトリスの耳に不穏な噂が流れてくるようになった。
『サラ・ヘンリクセン嬢が婚約者を取られた腹いせにベアトリス・レーシュ嬢に嫌がらせをしているらしい』
――――寝耳に水だった。
サラ・ヘンリクセン公爵令嬢。飛び級で同学年にいるからもちろんベアトリスはその顔を知っていた。もちろんその評判も。容姿端麗、頭脳明晰。所作はアースと並んでも遜色ない、いや、それどころか、アースと違い授業中でも休憩中でも常に変わらない完璧な所作と佇まいは男子生徒の憧れの的であり、女子生徒の羨望の的であった。
―――そんなすごい人が私に嫌がらせを!?いやちょっと待ってよ嫌がらせどころかお話したこともないんだけど!?
正直ベアトリスは慌てた。
当たり前だ。婚約者を取っただの覚えがないし、嫌がらせなんて受けたこともない。遠巻きに目が合ったように感じても、ほんのりと美しく微笑まれるだけで、接点などまるでない。
事実無根の噂だった。
ベアトリスは性格が悪い人間ではない。毒親に育てられはしたが、気は良く、非は非だと認めることのできる素直さを持っていた。
――――挽回しなきゃ!撤回しなきゃ!じゃないとサラ様とアース様にご迷惑をお掛けしてしまう!
その一心で奔走した。噂を言っている人間がいればすぐさま撤回した。
「誤解です!私はサラ様からそんなことなんかされていないんです。私が悪いんです。私が配慮が足りなかったから…!」
「違うんです!アース様は本当にサラ様のことをお慕いしていて!私の出る幕なんかないんです!」
真に思慮深ければ、配慮が足りていれば気付いただろう。
この言葉が、受け取る側にとっては、そう、少しでもサラに悪感情を抱く人間にとっては『極悪令嬢のサラをかばう、健気な令嬢ベアトリス』という構図を作り出してしまうことに。
慎ましき舌は最上の宝。黙っておけばよかったことに。
その後も何度もベアトリスはサラに接触し、直接謝罪をしようとしたが、ことごとく接点を持つことは出来なかった。
そのうちアースから愛の言葉を貰うようになり、アースから「心配しなくても、サラとのことは何とかする。私を信じろ」と的外れな言葉を貰うようになり。
気が付けば一人取り残されて、周りで話が進んでいく状態だった。
アースとサラの婚約破棄が発表され、国外追放となったことも耳に入った瞬間、ベアトリスは考えることを放棄した。もう、訳が分からなかった。
噂の的になりながら学園を卒業し、何も真偽を確かめられることもなく、アース王子との婚姻は保留という言葉を国王から貰い、いやそもそも婚姻って何?と訳の分からないまま頷いたのは二年近く前のことだった。
――――――
そうして、現在に至る。
この二年近く、ベアトリスは週に一度王宮へと向かい様々な教育を施されてきた。アースともごくごく数回ではあるが会うこともできた。
だが今日は初めて、国王から直々に話があると言われ、王宮に来たのだ。
緊張しすぎて吐きそうだったが、エドワード国王は予想に反しベアトリスに辛辣な言葉や咎める言葉を投げかけることはなかった。
ベアトリスは聞かれたことに正直に答えていった。
サラとは話したこともないこと。噂は事実無根であり、サラが潔白であること。アースのことは確かに好きだということ。だが、婚姻などは考えていなかったこと。好意はとても嬉しいが正直今の状況にどうしたらいいのかわからず戸惑っていること。
最初のうちはほっとした顔の国王が、次第に顔色を悪くさせていることは気がかりだったが、あれ以来初めて公の場でサラの潔白と自分の気持ちを正直に伝えられたことには正直胸のつかえがとれた気分だった。
「…本当に疲れた」
ベアトリスはぐったりと肩を落とす。
――――何がどうなるんだろう、これからどうなるんだろう、今どうなっているんだろう。訳が分からない。アース様も何も話してくださらない。
――――もういいや。訳が分からないときは、アレに限る。
「早く帰って甘いの食べよう…」
ベアトリスはぼそりと呟くのだった。
ベアトリスちゃんはいい子なんですけど、いかんせん考えが足りない。アースとある意味お似合いなのかもなぁ。無自覚爆弾ちゃんです。悪い子じゃないので、成長していってほしいな。




