96.レイとメリーと、エルグラント
メリーの執着が始まったのはいつのことだっただろう。
十六歳で交渉団に入団して、一年の教育期間を終えてから俺は各国に繰り出されることになった。パッショニアに行ったのは、二年目だったと思う。その時にはじめて俺はメリーという王女に会った。そのとき俺は十八歳でメリーはまだ十か、十一か。我儘だったが、それはどこの国の王女もそうだったし、特に気にも留めなかった。
その頃から気に入られている節はあったが、急に執着ともいえる感情を剥き出しにしてきたのはメリーが十五になったあたりだったように感じる。
任務でパッショニアに行くと、絶対に王族には関係のない案件でも視察で訪れる。こちらが夜中まで会議や会合があるというのに、それが終わってからお茶や食事を共にすることを求められる。これが普通の貴族の女性などあれば容易に断ることは出来た。でも、相手は王族。機嫌を損ねたらどうなるかわからない。
交渉団である俺が、不快だという理由だけで国交間に歪みを生じさせるわけにはいかない。
姉君のこともあったと思う。姉君の考案した王国最高機関。ここで自分がミスをしちゃいけないと思っていたからこそ、メリーには強く出られなかった。
ーーーー今思えば、そんなこと、くだらないことだったとわかるのに。
扉の向こうで猫撫で声を出すメリーに若干のおぞましさを感じる。気味の悪いものと対峙しているような、そんな感覚。
声を押し殺し、息を潜めていると、やがて扉の向こうから気配が消えて、俺はほっと息を吐いた。
彼女としては既成事実を作って仕舞えばそれでいいのだろう。俺の閨に深夜に入ったと使用人に証言させれば、あとはどうにでもでっち上げられる。
彼女が最終的に俺との婚姻を望んでいるのか、ただ情夫として近くに置きたいだけなのか、そこの真意はわからない。わからないけど、わかっていることはただ一つ。
あと五日間。五日間で片が付く。
ーーーー絶対に隙は見せられない。
ーーーーーーー
「…やっと着いた」
俺は久々の王城を目の前にほうっと息を吐いた。
馬を走らせ、早二週間。やっとブリタニカ王が住まう王城の前に俺はいた。
「久しぶりだなぁ」
退団してからおおよそ二年弱。一度も顔を出していなかったが、まだ顔が効くだろうか。若干不安を感じながらも、俺は門前の衛兵に声を掛けようと…
…する前に声を掛けられた。
「エルグラントさん??!!!エルグラントさんじゃないっすか!こんなとこでなにしてんすか!」
「マシュー!お前!ちょうどいいとこに!」
馬に乗るマシューの姿に俺は感激のあまり声を上げた。渡りに船とはこのことだ!
「助かった!マシュー!副団長権限で王に謁見を取り次いでくれ!火急の用事だと…サラ嬢に関することだと伝えてくれ!」
「お嬢に…?はっ、まさかメリー…」
「いいから!早く!頼む。今日中には謁見を終わらせてパッショニアに向かいたいんだ」
「わ!わかったっす!すんません、衛兵さん。この人交渉団元団長っす。通してもらいますね!」
俺のことを知らないようだから新入りの衛兵だろう。マシューが言ってくれてすんなりと通してくれた。正直、助かった。
「エドワード国王陛下はいらっしゃるか?」
馬を走らせながら、並走してくれるマシューに問いかけると、頷いてくれた。良かった。
「僕も今謁見が終わったところでした。レイが陛下に向けて送った書状が届いた件で。警告書を今からパッショニアに届けるところだったんすけど…それだけじゃない何かが起こってるんすね?」
「ああ、事態はもっと深刻だ」
大使館に開示要求までならまだどうにか穏便に済ませられたかもしれない。だがそれだけでは飽き足らず、各国外交官の奥方を人質とし、その人質と引き換えに今サラ嬢とレイがメリーの宮殿に滞在させられている。
サラ嬢がエドワード国王にどのような手紙を書いたかはわからない。だけど、事態を収束させるための何かが書かれていることは確かだった。
謁見はすぐに許可された。
俺は今、エドワード陛下の前に平伏している。
「久しいな、エルグラント」
「はっ、陛下におかれましては…」
「あぁ、いいいい。長い挨拶は。私とお前の仲だ。クーパー副団長から聞いたが、サラに関することだと?私の愛しい義娘に何が起きているのか、説明してはくれぬか?」
「陛下、私の口から言うよりこちらの方が早いと思います。サラ・ヘンリクセン嬢より陛下へ直々に書状を預かっております」
「…書状だと?エルグラント前団長!先程手持ちのものはないと申告をしたではないか!!いくらあなたでもそれは許されない行為だぞ!!!」
陛下の側近がすぐさま声を上げるのを、陛下が手だけで制された。
「構わない。サラがすることだ。意味があるのだろう。エルグラント、私の元へそれを」
「はっ」
「お待ちください。まず我々が目を通し…」
「二度は言わぬ。構わぬと言ったのだ。私の心に従え」
陛下の厳しい物言いに側近が縮こまるのを見て苦笑しそうになる。
サラ嬢の言う通りの展開だな。若干の恐ろしさすら感じるよほんと…
背筋に一筋の汗が流れるのを感じながらも、俺はブーツの隠しポケットの中からサラ嬢の手紙を取り出し、陛下の元へ持っていってそれを渡した。
陛下はそれを受け取り、手紙を開いてしばらく中身を読んでいたが…みるみるうちにその目が開かれていった。
誰も言葉を発さない。陛下の纏う空気が変わるのをみて、それほどの内容が書かれているのだと誰もが察する。
「……アースをここに呼べ」
陛下の言葉に俺は驚いてしまう。アース!?何故今ここでアース王子なんだ?!
「エルグラントは残れ。クーパー副団長並びに私の側近護衛全員下がるように」
はっ!という言葉とともに皆が退散し、謁見の間には俺と陛下だけが残された。
「…まずはエルグラント、本当に久しぶりだな。お前は二年間近く一回も顔を出さずに。全く。」
「申し訳ありませんでした。…なんせ、探し物があったもので」
「クーパー副団長から聞いたぞ。マリアのこと…おめでとう。シャロンもいたら大喜びしてただろうに」
「マシューは…黙ってろと言ったのにあいつは…」
「安心しろ。私にしか話していない。サラと会ったという報告のついでにな…しかし凄い偶然だな。まさかマリアがサラの侍女だったとは…これはヘンリクセン公爵も問い詰めねばいかんな」
「…そのことですが陛下。マリアはあなたとシャロン前女王陛下に内密にするよう公爵に願い出たそうです。…もし罰せられるのであればマリアを。そしてその伴侶となる私を罰せられてください」
私の言葉に陛下は笑い出した。
「安心しろ、冗談だ。二十年近く前のことを掘り返して糾弾するほど器の小さい王ではないつもりよ」
そのとき、扉がノックされた。
「陛下、あなたの息子第一王子、アース・イグレシアスが参りました」
扉の向こうの声に陛下が入れ、と一言言うと、失礼します、という声と共に彼が入ってきた。
この国の第一王子、
ーーーーそしてサラ嬢を国外追放へと追い込んだ張本人、アース・イグレシアスが。