10.お嬢様ですから
「どう思います、お嬢様」
「そう、ねぇ…」
マリアと私で、目の前に現れたレイを上から下まで食い入るように見つめた。彼の三回目の着替えが終わったところで…私はため息をついた。
「だめね、どうしても庶民には見えないわ」
「お嬢様には死んでも言われたくないと思いますよ、レイも。いっそのこと、貴族の若夫婦っていう設定で行ったらどうですか」
「ちょっと簡単に言うのやめてくださいよ!マリア殿!サラ様と俺が夫婦だなんて畏れ多すぎる!」
慌てるレイにそんなことはないのにーと口を尖らせてみるが、レイの砕けた話し方が嬉しくてによによしてしまう。
実際、イケメンは何を着てもイケメンなんだわ、と言わざるを得なかった。レイは、本当にオーラのある人物だ。どうしてもそのオーラが隠しきれない。市場に降りる為に庶民の服を宿に入るまでに数着購入し、さあいざ試着しましょう。となってから何を着てもそのイケメンオーラが全然隠しきれずもうすでに二時間は経っている。
私は四回目の試着で、髪型もお団子にしてやっとマリアから及第点を貰えた。レイは、「いや、無理があるでしょう…」と呟いていたけど。「もう諦めたのよ」とため息混じりに返すマリアとのやりとりを見て、仲良くなってくれたんだなぁ、と嬉しくなる。
今日は、レイがおすすめしてくれた、セキュリティもしっかりしているという宿に二部屋とった。レイが一部屋でいいと、部屋の前で自分が四六時中見張りをしておきますので。と言い出した時はどうしようかと思った。
「そんなの、この部屋に要人がいます、って高らかに宣言してるのと同じことじゃない!逆に狙われるわよ!」
と散々言って渋々二部屋取ることを了承してくれたけれど。
流石屈強で聡明な人物だと思う言動もとても多いのに、「え、そこ??」というようなところを真剣にボケてくるのもとても好ましい。出会って数日だが、私はこのレイという裏表のない人物のことをとても好きになっていた。いくつか隠し事はあるみたいだけれど、本人が話さないのであれば聞く必要はない。悪い秘密でないことだけは確かだし、私も彼が隠していることに見当がついている。
「大丈夫よ、嘘も突き通せば真になるのよ。いっそのことその設定で押し通しちゃう?」
くすくすと笑いながらレイに言うと、彼は綺麗な顔をその大きな手で覆って「勘弁してください…」と小さな声で漏らした。
「それならもう、諦めましょう。どこぞの貴族ですか?って聞かれたら、成り上がりの商家の三兄妹です!で押し通しちゃいましょう」
楽しそうに笑って言うマリアに私も笑う。そうね、じゃあ早速市場に出かけましょう!と言うと、二人ともにっこり笑って頷いてくれた。
「お金どれくらい持っていけばいいのかしら?百万ペルリも有れば足りるのかしら?」
ブリタニカとその周辺の同盟国の通貨は共通だ。わざわざ銀行によって外貨へ交換しなくていいと言うのは国外追放の身からすると過ごしやすくてありがたい。
先程買ったポーチの中に荷物の中から小切手を取り出して入れようとしてふと目の前の二人の視線に気付く。
「ど、どうしたの?」
はじめての市場で浮かれてるのがバレたのかしら。十六にもなってこんなウキウキしてるのははしたないと思われたのかしら…
「…マリア殿。失礼だとは思うんですが、サラ様は、市井でお買い物などは」
「…皆無ね。常にヘンリクセン家お抱えの外商が家に来て、買い付ける生活だったから」
呆れたような、諦めたような二人の物言いに私は怯んでしまう。どういうことなのだろうか。私の困惑を見透かしたかのようにレイが困り顔で笑って教えてくれた。
「サラ様。そうですね、まず第一の前提として市場で小切手は使えません。現金のみです」
「えっ!そうなの??」
「そうですお嬢様。ちなみに、相場ですが…そうですね。今から好きな小物や名産品などを買って屋台などで食べたいもの食べても、おそらく三人で二万ペルリあってもお釣りがきます」
「に、二万??!!」
思ってもいないマリアの言葉に思わず大きな声がある。
「ちょ、ちょっと待って。さっきの服、結構買ったじゃない??あれでいくらくらいなの??」
「三万ペルリでお釣りがきました」
「…なんてこと…」
私は頭を抱えてしまう。三万ペルリであれだけの服が買えるのが一般的だなんて、全く知らなかった。
「わ、私がここに来る間に着てたドレスや装飾品って…」
「そうですね。全部で五百万ペルリほどでしょうか。お嬢様はそれでもあまり無駄にドレスなどの買い物はされませんし、装飾品も最小限なので、一般的な令嬢より使われてない方だと思います」
「…なんてこと…」
再び頭を抱えてしまう。
「マリア、私自分が恥ずかしいわ…。ここまで市井のことを知らないとは思ってなかった。なんという恥かしら」
これだけのものを当然と思って享受してきた自分が恥ずかしい。
「知らなくて当たり前ですよ、サラ様。あなたはヘンリクセン公爵令嬢なのですから」
レイが言ってくれるが、素直に頷けない。そんなのは市井のことを学ばない理由にならない。私は顔を上げた。
「レイ、聞きたいことがあるの」
「なんですか?」
にっこりと笑って返事をしてくれる。
「ここの市場、ええと名前はなんだったかしら。シュ、そうよ、シュリー市場に本屋さんはある?」
「ええ、ありますよ」
「お願い、市場を回った帰りでいいから、本を買っていい?多分沢山になるから、荷物持ちをお願いしたいのだけど」
「もちろんですとも」
快諾してもらえた。よかった。こういう時に男手というのはやはりありがたい。
「さてと、それなら小切手は、不必要なのね。ええと、お金ってどこに入れていたかしら…」
「俺が全部奢ってあげますよ」
私がポーチから小切手を取り出してマリアに尋ねると、くしゃりと笑ったレイが、横から声を掛けてくれる。その彼の飾らない不意の言葉にみるみる嬉しくなる。
「…ほんと?」
あまりにも嬉しくて満面の笑みで問うと、レイもまた頷いて笑顔を返してくれる。
「私もマリアも結構食べるわよ」
「二人のお腹がはち切れるまで買ってあげます」
「あと、お土産も欲しいわ」
「いくらでも」
「甘いものも食べたい」
「食べ過ぎて頭痛くさせてあげます」
「本代は?」
「本屋ごと買ってあげます」
彼の軽口が堪らなく嬉しい。胸の奥がほかほかと温かい気持ちになる。わくわくを隠しきれないまま私は二人の手をとった。
「じゃあ早速行きましょう!待ちきれないわ!レイ!マリア!」
私に手を取られたことにレイは驚いた顔をして、マリアはにっこりと笑ってくれた。
1ペルリ=1円 のイメージです