1.婚約破棄と国外追放【表紙あり】
「貴殿サラ・ヘンリクセン公爵令嬢との婚約破棄をここで言い渡す!」
目の前で告げられた言葉をサラは無表情のまま返す。
なにもこんな豪華絢爛な王室主催のパーティの、しかも国王や宰相その他多くの来賓の面前で言わなくてもいいだろうに…とサラは大きなため息をつきたい衝動に駆られる。
「やっぱりどうしようもないアホ…」
誰にも悟られないように口の中だけでつぶやく。
反応がないことを訝しみながらも目の前の第一王子アース・イグレシアスは更に言葉をつづけた。
「反論の余地は認めん。お前には私の最愛のベアトリスへの侮辱的な言葉、暴力、その他もろもろの嫌疑が掛けられてい―――」
「…証拠は御座いませんでしょう?」
はぁ…と本気でため息が出そうになるのを堪える。ここが王族や貴賓が集う場でなく自室だったら間違いなくため息のオンパレードである。だいたい私がそんないじめのようなアホなことをするはずもないし、あのベアトリスとかいうかわいこちゃんとは話したこともない。
いくらアホとはいえ第一王子の言葉を遮るなどあってはならないことだ。だが、今はそのような取り繕いなどどうでもよかった。
―――どうせ、私は知っているのだ。彼が私をこれからどういう罪で断罪して、どういう処罰を言い渡すのかも。
「証拠はないが、嫌疑が」
「嫌疑だけで人を裁けるとでも?」
ぐっと、相手が怯むのが分かった。こんな茶番抗ったって意味はない。相手は第一王子だ。彼の発す言葉は絶対で、覆らない。
「まぁ、いいでしょう。それで?」
「そ、それでとはなんだ」
いやおかしいでしょう。今追い詰められてるのは貴方じゃなくて私でしょう。なんであなたがそんな怯むのよ。と呆れながら思ったがもう面倒くさいので続きを促す。
「私をどう処罰なさるおつもりです?」
視界の端に国王と宰相の姿が見える。二人とも顔が真っ青だ。まぁ、無理もないことだろう。なんせ、国王にとっては自分の息子であり、宰相にとってはこの国の第一王子が今から盛大にアホなことをしようとしているのだから。
私の問いかけに水を得た魚のごとく王子は畳みかけた。
「未来の王妃に向かっての許されざる侮辱の数々。これは到底許しがたい。よって!」
さすが王族。人前で張る声はよく通るし妙に人の心を惹き付けるものを持っているわ…なんてぼんやりと考える。しかし未来の王妃って…この国は…彼は知らないのかしら?と、そこまで考えて、いけないいけない、今は目の前の彼の必死な断罪中だったわ、と意識を前に戻す。
「貴殿を!国外追放とする!」
「やめないかアース!!!」
国王…エドワード陛下の叫びと第一王子の声が同時に重なる。
当たり前だけど第一王子とは比べ物にならない重厚な響きを持った威厳のある声に誰もが玉座の国王へと振り返る。と、同時に誰もがその目を丸くした。
「…へ、へいか…」
ぽつりと誰かの声が漏れる。その状況に誰もが固まり、中には口をあんぐりと開けている来賓の姿もある。無理もない。
そこには頭を深々と下げる国王の姿があったからだ。
たった今しがた、自分の息子が婚約破棄を言い渡した少女、サラに向かって。
「申し訳ない。サラ殿。我が愚息が…っ、こんな…」
「陛下、お顔を上げてください」
できるだけ自分の声が優しく響くようにこの国の最高権力者に向かって告げる。が、ほかの来賓の肩が気圧されたようにびりりと姿勢を正すのを視界に捉えてしまい、思わず苦笑する。
「私は構いませんよ。王子が望まれていることですから。それに、王族の言葉は絶対です。まさか、これだけ大勢の来賓の前で撤回だなんてそんなことはなさいませんよね?」
そう。王族の言葉は絶対だ。それだけ重みがあるのだ。王族が言えば左も右になる。それゆえ、言葉一つを慎重に扱わなければならない。口から出た言葉を撤回などできないのだ。
かわいそうに。こんなアホな王子が息子だなんて。だがまぁ、こんな息子を育て上げちゃったという面で言えば、玉座で頭を下げる国王にもちょっとは非があるのかしら、と思ってしまう。
いや…っ、だが、貴殿はっ…と顔を上げ、狼狽する国王陛下に向かってにこり、と笑って見せる。大丈夫です、という意思表示だったが、余計に恐縮させたようだ。不意に来賓席のほうに目をやるとお父様とお兄様があちゃーという顔を隠しもせずに見せていた。あの馬鹿王子、歴史狂わせたよ…とその表情が雄弁に語っていた。だが二人ともどこか面白そうだ。二人にも笑ってみせると鷹揚に頷いてくれた。
さて、と私は困惑の表情を隠しきれない目の前の王子に向かって視線を合わせる。いい加減この茶番も終わりにしたい。こんな醜聞いつまでも晒せておくものじゃない。
最高権力者の父親がなぜ、目の前の私に頭を下げたのかいまだわかっていない目の前の第一王子。初めて婚約者だと言われ対面したときは、その金髪の髪と深く美しい蒼の瞳にとても心が躍ったのを覚えている。確か、十年前。六歳のときだった。
―――懐かしいわね。
ふ、っと寂しい感情のようなものが胸を掠めた。今はこうなってしまったけど、ひと時は確かにあったのだ。この人と人生を共にするという高揚に心を預けたことが。
だから、終わらせてあげる。私とあなたのままごとみたいな物語。
…幸せになってね。
いつもより、声を張る。凛、と響くように。
「アース第一王子」
その言葉に、彼の蒼い目が見開かれる。
「あなたの婚約破棄のお言葉、謹んでお受けいたします。処罰についても、謹んでお受けいたします」
ただ、と私は言葉をつづけた。これだけは我が家の名誉のために明白にしておかなければ。
「私は無実です。件の御令嬢ともお話したことはありません。必要とあれば我が家の議事録、学内の議事録提出並びに私たちが通っておりましたアカデミーすべての生徒への聴聞を行っていただいて構いません」
きっぱりと言い切る。これだけは譲れない。我がヘンリクセン家の名誉を傷つけられるのは許せない。
あまりにも確固とした物言いに、さすがの第一王子もまさか…という顔をしている。そのまさかです、と心の中で思うが、口には出さない。彼がいろいろ知ってしまうのはきっとこれからの調査の後なのだから。でももう遅い。
「それでは、私はこれにて失礼いたします」
優雅に微笑み、膝を折ってスカートの裾を持ち上げる。最後まで、公爵令嬢としての気品を失わぬよう。爪の先まで、神経をとがらせる。
いまだ唖然として来賓の誰もが口を開かない。たった今何が起きているのかすら、誰にもわかっていない。私と、国王、宰相、お父様、お兄様以外は。扉の前まで歩き、衛兵が開ける前に会場を振り返る。もう二度と来ることはないのだと思うとほんの少し寂しい気もする。
「それでは皆様、ごきげんよう」
最後にもう一度、礼をして、衛兵が開けた扉を抜け、ようとした時だった。
「おまちください!サラ…」
悲痛な国王の声に振り返る。
そして、次の国王の言葉に来賓の誰もが卒倒しそうになった。
「次期、女王!!」