こいぶみ
出会いのきっかけは、一遍の小説だった。
電脳世界にゴマンとある、素人作家の創作物の内のひとつ。
まるで海辺に漂着した貝殻を気紛れに拾うかのように、偶々目に付いたそれの、冒頭の一行を視線で撫で、息を呑む。
その一文は見惚れる程に美しくて、これから幻想的で魅惑溢れる物語が始まるのだと、期待させたから。
万華鏡を夢中になって覗く気分で小説を読み耽り、気付いた時にはもう、物語の世界の虜。
何度、その小説を読み返したろう。
それをしたためた作者の、他の作品も片っ端から読み漁る日々の、なんと充実したことか。
すべての作品を熟読し、やがて芽生えた思いが、私達を引き合わせた。
――作者に、この感動を伝えたい!
作品ひとつひとつに、拙いながらも熱の籠もった感想を寄せる内に、作者から私宛に、サイトの個別メッセージ機能を通じて、返信が届くようになって……
でも、それがもう、なんとも大変なこと!
――どのように感動したかを具体的に教えて頂けますか。
――読み疲れたり、読むのに躓いたりした箇所を教えて頂けますか。
――あの表現では状況が想像し難かったようですが、こちらの表現では如何でしょうか?
メッセージというにはあまりにも長文な……寧ろ、手紙やメールと呼ぶ方が相応しそうなそれは、見事に質問だらけ!
しかも、ひとつ答えれば、その返事に関わる質問が次々と寄越されるものだから、私は何度、頭を抱えたことかしら。
けれど、ほぼ毎日のようにやりとりを交わしていくと、手紙(と互いに呼ぶようになっていた)にも変化が現れた。
それまでは、"作者と読者"として、作品に関わる遣り取りが主だったのに、次第に、手紙には季節の話題や世間話などの、個人間での交流を図るような遣り取りも交わされるようになったのだ。
また、こちらに送られてきた文章から感じる印象は、随分と親しみのある、くだけたものに変わっていった。
作者と読者から、友人に。
そして、いつしか互いに惹かれ合うようになり、想いを交わしあったのは、さて、手紙の遣り取りを始めてからどのくらいの月日が経った頃だったかしら。
私が初めて貴方の小説を読んでから、月が満ち欠けを幾度となく繰り返した今日に渡るまで、一度として、会えたためしのない貴方。
手紙での遣り取りだけでなく、現実でも会いたい、と素直な気持ちをこちらから伝えても、返る言葉はいつも同じだ。
――私達が、現実で会うことはありません。
その理由を一切語ることなく、この台詞のみを断言した貴方は、続けてこう告げる。
――私達はこうして、文字の世界で逢瀬を重ねています。
互いの心は常に交わっている。
それで、いいんだ。
私は――
私は、いずれ必ず、貴方との離別が訪れるのだと知りながら、貴方の心がこちらを向いている内は、静かに、けれど烈しく燃えるように貴方を想おうと、いつの頃からか決めていた。
抱かれることの幸せなど知らず。
重なる唇の甘さや熱も知らず。
交歓の深い悦びも知らず。
それでも心をそちらに向ける。
未だ綻びを知らない自身の蕾に触れ、貴方に触れられたら、これはどんな花を咲かせるのか、と淡く夢見る。
"貴方に向ける想い"と"貴方に愛される夢"という水を得て、うち震えるこの心身が示すものに笑む。
こんな私は、愚かだろうか?
現実どころか夢でさえ逢えない、文字の群集の中だけでの逢瀬は、虚しいだろうか?
貴方の幻を胸に、酔う、渇く、飢える、欲する。
貴方の体がどれだけ温かいのか、その腕がどれほど力強いのかを知ることは、貴方の心が変わるまで、きっとない。
それでも、私は貴方がいいのだ。
手紙の中だけではなく、現実の世界でも会いたいのに、会えない、と憤慨することもあった。
本当に、貴方は私を愛しているのかと疑ったり、実は、騙されているのでは、と悩むことも。
喧嘩する度に、今度こそ嫌われた、と悲嘆し、このまま貴方がいなくなってしまったら……と怯える事もままある。
それでも、貴方から掛けられる言葉に、どうしようもなく安堵してしまうのだ。
私に寄り添ってくれる貴方の心に、確かなぬくもりを感じ、幸せだ、と涙する。
……涙してしまう。嬉しいも寂しいも混じり合った涙を。
どちらかが欠けた時とその後の事は、うだうだと考えないようにしよう。
相手の最期を知る事ができるのか、「またね」とお別れがきちんとできるのかもわからない。
互いしかこの関係を知らないような、秘密の仲だからこそ、共に在ることのできる今、精一杯貴方を想おう。
どんな形であれ、貴方は私の"大切"であり、私は貴方の"大切"ならば。
でも……でもね、貴方。
私には、私達の先の事が考えずともわかるの。……わかってしまったの。
これから先もずっと、私は愚かにも、「貴方に会いたい」と願い、貴方は「会えない」と答え続けることでしょう。
――私の望みは、手紙の中でしか叶わない。
そう痛感する度に、私は貴方と現実で触れ合えない寂しさを募らせる。
そして、いつかきっと、寂しさは辛さとなり、その辛さに耐えきれなくなって、自分からこの関係を破綻させてしまうに違いない。
……貴方には、この辛さはわかるまい。
そう毒づき、貴方を傷付けながら、私は貴方の下を去るのだろう。
なんと身勝手なことか。
でも、それでも、少なくとも私の中には、いつも、いつまでも貴方がいるのだ。きっと。