家畜となった少女たち
「……ん」
ぼんやりと目を開けたカンナは、真っ暗な空間にいた。
どうやら眠っていたようだ。
周囲が暗すぎて自分が仰向けになっていることにさえ、すぐには気が付かなかった。
「……ここは?」
ここはどこだろうか。自分は何故このようなところで寝ていたのだろうか。
辺りを見回しても暗闇からは何の答えも得られない。
「……ウッ」
横たわった身体を起こそうとすると、腹部に激痛が走る。
その痛みが、自分がここにいる理由を思い出させてくれる。
連れ去られそうな少女を助けようとゴブリンに挑んで、それから……
「大丈夫、で、すか?」
「ッ! ……いったあ」
突然暗闇の向こうから響く声。
驚いてビクッと身体をのぞけさせた拍子に、また腹部が痛んで声が漏れる。
だんだんと暗闇に慣れてきた目で、声のした方を見る。
声の主が近づいてくるのがわかる。
身構えるカンナの目にその声の主が見えてきた。
「あなたはさっきの……」
声の主は、ゴブリンに無理やり連れて行かれていた犬耳の少女だった。
「あの……大丈夫ですか?」
犬耳の少女はおずおずと心配そうに問いかけてくる。
「大丈夫よ。……んっ。ありがとう」
身体を少女の方へと向ける。その際に瞬間的に走る痛みを悟られないよう、声が出そうになるのを我慢して笑顔を作ってみせる。
「わたしはカンナ。あなたの名前は?」
「カンナ……? あたしは、ファビオラ。ちっちゃいからファビオラ」
ファビオラはカンナの名前に一瞬不思議そうにしていたが、名前を教えてくれた。
「カンナ、あたしたちどうなる? ……と思いますか?」
暗くて表情ははっきりとわからないが、ファビオラの声は不安げだ。
カンナはファビオラを心配させまいと、か細い手を強く握る。ファビオラの小さな手はとても冷たく、震えていた。
「大丈夫。何も心配しないで」
「……」
ファビオラは何も答えない。不安を取り除いてあげることができない自分に苛立ちを覚える。
カンナは焦りを隠すように、握った手にさらに力を込める。
「私が寝てる間のことを教えてくれる?」
ファビオラの説明によると、カンナを気絶させたゴブリンたちは、追っ手を防ぐために周囲を火の海にした上で二人を馬車の荷台に乗せて逃走したようだ。馬車での移動中、目隠しをされたファビオラは恐怖のあまりどのくらいの時間走ったかもわからないまま、気が付いたら拘束や目隠しを外されてこの部屋に放り込まれたとのこと。
ファビオラは思い出すようにゆっくりと話してくれた。
まとめると――敵の人数も、ここがどこかも、よくわらかないってことね。まあ、手足を縛られたりしてないのは良いことなのかな。
「……」
「……ごめんなさい。なにもわからなくて」
説明を聞いたカンナが黙ってしまったせいだろう。
泣き出しそうな声で謝るファビオラに慌てて反応する。
「ううん! 謝んなくていい! ぜんぜん大丈夫だから!」
自分でも何が大丈夫なのかわからないが、そのまま続ける。
「わたしに任せといて。ゴブリンたちなんて、今度こそやっつけてあげる」
「……カンナは強いんだね。さっきもすごかった。ゴブリン相手に戦えるなんて」
あえて明るく振る舞うカンナに対して、消え入りそうなファビオラの声。
その声に思わず、握ったファビオラの両手を自分の胸元へ引き込む。
「え?」
突然のことに驚くファビオラに向けて力強く宣言する。
「大丈夫! ぜっったいに助けてみせる。なんたって、わたしは『勇者』だから」
「……『勇者』?」
目を見開くファビオラの手は、少しだけ、ほんの少しだけ、震えが収まっている。
何かを言いかけたファビオラを遮るように、扉の鍵が開けられる音がして眩しい光が入室してきた。
光と一緒に入ってきたその醜悪な臭いから、入室者はゴブリンだとわかった。
「グフッ」
気色の悪い鳴き声を発しながら、ランプやこん棒を持ったゴブリンたちが入ってきた。
その数は三匹。
「ひッ」
カンナのそばで小さい悲鳴がした。
悲鳴の主はカンナの手を強く握り返してくる。
怖いのは当然だ。
公衆の面前で暴行してくる連中である。こんな密室で何をしてくるか想像するに身の毛がよだつ。
だが、カンナの考えは違う。
――チャンス!!
監禁されていた部屋の鍵が開けられた。それに奴らは武器やランプを持っている。それらを奪えれば脱出できるかもしれない。
そう判断したカンナは素早かった。
ファビオラの手を振りほどくと、ランプを持ったゴブリンに飛びかかり、その手に蹴りを入れる。
「――ッ!」
「グッ」
ゴブリンは俊敏な攻撃に反応できず、思わずランプを床に落とす。
のろまなゴブリンたちが動きに反応できていないうちに、他の二匹にも一撃ずつ叩き込む。
「ふう」
一瞬の出来事であった。
三匹のゴブリンはカンナの攻撃で全員武器やランプを落としており、攻撃された箇所を痛そうに呻いている。
「カンナすごい!」
ファビオラの方へ振り向いて親指を立ててみせる。
ランプの明かりに照らされたファビオラの顔は、キラキラと輝いている。
カンナが気絶していた間泣いていたのか、その瞳は赤く充血していたが、明るい表情をした顔はとても可憐だった。
「なんだあ? この騒ぎは」
カンナの背後、扉の方向から響く野太い声。その声と同時にファビオラの表情は絶望に曇っていく。
扉の方へさっと振り向く。
そこに立っていたのは、二メートル近いとても大柄なゴブリンだった。その後ろに複数のゴブリンが控えている。
「……ボブゴブリンだ」
ファビオラが恐怖に満ちた声で呟く。
「ボブゴブリン……?」
ボブゴブリン。ゴブリンの上位種だろうか。人語を話すその怪物は、他のゴブリンたちとは異なり、並の人間を越える巨体だ。腕や足の太さだけで、カンナやファビオラの身体よりも大きいように感じられる。
ボブゴブリンは部屋の中を見回して、うずくまっているゴブリンたちやファビオラを見たあと、カンナをまっすぐに見据えてきた。
「可愛らしい人間のお嬢ちゃん。これ、お前がやったのか」
頭の悪そうな物言い。だが、その重低音はカンナの腹の底でドスンと響いた。
負けちゃダメだ。
「……そうよ」
ファビオラを助けなくちゃ。
「わたしたち、帰りたいの。あなたたちも痛い思いしたくなかったら、さっさとそこをどきなさい」
「そうか」
ボブゴブリンは一言だけ発すると、こちらへ手を伸ばしてきた。動きは遅く、避けるのは簡単そうだ。
「よっ」
伸びてきた手を軽くかわしたカンナは、そのまま得意のカウンターキックを打ち込んだ。
「たあッ!」
バスッ。
ボブゴブリンの左手に見事に蹴りが決まる。
「ふんッ」
だが、ボブゴブリンは痛がる素振りも見せず、両手でカンナの身体を掴んだ。
「いッ! ……あッ」
なすすべもなく持ち上げられるカンナ。その華奢な身体を掴む両手は力を増している。
ギリギリッ。
圧倒的な力の差。ゴブリンとは比べものにならないその強さに抵抗できない。
「お前、むかつくな。人間の女がオレたちにかなうわけがない」
ギリギリッ。
「かッ……ああッ」
ボブゴブリンはカンナを強く締め上げてくる。逃げ出すことも言い返すこともできない。
「カンナあ!」
ファビオラの悲痛な叫び。
「お前、オレのナカマを傷つけた。お前、罰を受けなければならない」
ボブゴブリンは突如カンナを解放した。床に放り投げられたカンナは受け身を取ることもできずに打ち付けられる。
「あッ!」
全身が痛い。
「カンナ!!」
ファビオラが駆け寄ってきて心配そうにのぞき込んでくる。
心配させまいと「大丈夫」と言う前に、ファビオラの小さな身体が何者かに払われる。
「きゃッ」
払いのけられたファビオラの代わりに、ゴブリンたちがカンナの周囲に立った。ニヤニヤしていて気味が悪い。
部屋中にボブゴブリンの声が響く。
「お前たちは、オレたちの家畜だ。ちゃんとしつける」
その声を聞いたゴブリンたちは一層ニヤニヤしだした。
――カンナはすべてを悟った。