調子のいいときほど、用心するべし!
最悪の状況と言える。
何も起きないことに気付いたゴブリンたちは、茶番に付き合うのをやめてカンナの方へにじり寄っていく。
「グフッ。グフフッ」
「くっ……!」
気色の悪い笑みを浮かべながら近づいてくるゴブリンに対して戦う術を持たないカンナは、後ずさりしながらなんとか間合いを保とうとしている。
犬耳の少女や周囲の人々が不安そうにその光景を見つめている。
助けてやりたいが、マサヒロも武器を持ってきていない。
どう助け出すか思案していたそのとき――。
「グッフ!!」
間合いを詰めようと一匹のゴブリンがカンナに向かって躍りかかる。
その手に握られた太いこん棒が勢いよく振り下ろされた。
ブオンッ!!
マサヒロのそばで行方を見守っていた女性陣が、「あっ……」と息を呑んだ。
「……っと」
ドスッ。
意外なことに、カンナは軽やかにこん棒の襲撃をかわしてみせた。
空振ったこん棒は地面に叩きつけられ、重い音を響かせる。
「てやああ!」
バシッ!
攻撃をかわしたカンナは、雄叫びをあげてゴブリンの顔面に強烈な回し蹴りを放った。
もろに蹴りを食らったゴブリンは衝撃で後ろへよろめいた。
「「おお~~」」
周囲の人々からどよめきが上がる。
先ほどのカンナの奇怪な行動によって失わていた期待が、再び空気を支配し始めた。
「なんだかんだ言っても、『勇者』判定を受けるだけはあるな。身体能力は高そうだ」
案外なんとかなるかもしれないと、心配するのをやめたマサヒロが冷静に分析している間も、カンナは軽い身のこなしでゴブリンたちの攻撃をかわしつつカウンターキックをお見舞いしている。
最初はゴブリンを恐れて黙って見ていたギャラリーも、カンナの善戦に応えて声を上げ始めた。
「いいぞー!」
「やれー!」
「カッコイイよー!」
声援に応えて笑顔で手を振って見せるカンナ。
その姿は『勇者』というより、プロレスリングの人気選手のようだ。
まさに、「余裕です」という表情。
――そこに隙が生まれた。
「グフッー!」
ゴブリンの一匹が、観衆に手を振るカンナの背中目掛けてこん棒を投げつけた。
「つッ……」
それを間一髪でかわすカンナ。
ガシャンッ!!
避けられたこん棒は観衆の方へ飛んでいき、路面商の荷駄へぶつかって派手な音を立てる。
荷駄の近くにいた人たちから悲鳴が上がった。
「……っ」
カンナは悲鳴に気を取られ、こん棒の飛んで行った方を振り返る。
――それが失敗だった。
「カンナ! バカ、前を見ろ!」
マサヒロの叫びに応じてカンナが振り返ったときにはもう遅く、ゴブリンは目の前まで迫っていた。
こん棒がカンナの腹目掛けて思いっきり振られる。
――ゴスッ。
「か、は……」
華奢な身体から鈍い音が鳴る。
崩れ落ちるカンナの姿に、その場にいた誰もが言葉を失い微動だにしない。
ただ一人、マサヒロ以外は。
「このバカ!」
倒れるカンナへ思わず走りよるマサヒロ。
ゴブリンが髪の毛を掴んで乱暴に引き起こしても、カンナからは何の反応もない。
その頭からは血が滴っている。
走って近づいてくるマサヒロに気付いたゴブリンが、近づけまいとこん棒を投げつけてくる。
「……ちっ」
慌てて飛んでくるこん棒をかわすが、その間にゴブリンたちが奴隷輸送用馬車の荷台から大きな袋を持ち出してきた。
「なっ……」
その中身は大量の包爆石だった。
包爆石――小規模の爆発魔法を魔力で封じ込めた結晶で、衝撃を与えると封じ込められた爆発魔法がその効果を発揮する代物だ。小規模といっても、あれだけの数があれば民家や櫓を破壊してこの周辺を火の海に変えることは容易いだろう。
逃げるためにここを火の海にするつもりか。
「やめろッ!!」
マサヒロの叫びを無視して、ゴブリンたちは包爆石を周囲に投げ散らし始める。
地獄。
周囲から次々と巻き起こる爆音と火柱。
逃げ惑う人々の叫び声がする。
親とはぐれた子どもが泣き、その親は悲鳴を上げながらただ逃げ惑うのみ。大の男が熱い熱いと呻いている。
ゴブリンたちは、地獄絵図に大した関心もなくカンナと犬耳の少女を馬車の荷台に乗せて、いままさに逃げ出そうとしている。
「待っ……」
バガァンッ!!!!
声を上げようとするマサヒロの近くで新たな包爆石が爆発する。
爆風に巻き込まれ、吹き飛ばされるマサヒロ。
「ッ……。くッ、そ……」
体中が痛い。
熱い。
意識が朦朧とする。
ぼやける視界の先で、カンナを乗せた馬車が遠ざかっていく。
「……ッて。くッ、れ……」
遠ざかっていく意識の端で、大勢の人が近づいてくるのを感じる。
「なんの騒ぎだ!!」
「これはひどい……」
「とにかく火を! 急いで!」
「魂を浄化する愛を。『オンディーナ』!!」
雨か。
天使の涙か。
心地よい水が、マサヒロを包む。
熱さも痛みも和らいでいく。