病弱の真相
初夏に入り、ディアナを多忙な日々が飲み込んだ。マルベリーの葉が芽吹いた瞬間、ディアナはセリカの指示で、蚕の世話をさせられた。望ましくない噂が立つことと、人目を避けるため、ディアナは夜にいろいろなことをした。さらに、昼間には王子としての教育も吐き気がしそうなほど詰め込まれたのだ。
ディアナは夜の虫の世話だけに集中したかったから、昼間受けている授業をやめさせようとした。しかし、セリカはディアナが王子としての教育を怠ることを許さなかった。
『あのね、厳しいことを言うけれど、ディアナは体が弱い王子という設定の時点で普通の人より劣った場所にいるの。劣ったものは優れたものに追いやられる運命にあるから、せめて普通のふりをして、優劣があることを相手に感じさせないようにしなければならないの。わかる? 体は弱い、勉強はできないとなれば、貴族たちのおもちゃにされるわよ。あの陰湿な連中のことだから、ディアナの秘密を面白半分にあばき立てるかもしれないわ。だから、身を守るために勉強は続けて。寝てもいいから。せめて授業を受け続ける意志があることを示すの。最悪の場合、体が弱いから授業中に寝てしまうことにしてしまえばいいの。だから、授業は受け続けてください。授業を受けないなら、契約を反故にして今すぐディアナの魂と一緒に地獄に行きます。それでもいいの?』
「わかった。寝ちゃうと思うけど、授業続けるよ」
ディアナはしぶしぶ授業を受け続けた。ディアナが予想した通り、授業中に度々寝落ちてしまった。だが怪我の功名で、本当に王子は体が弱いということを家庭教師たちに強烈に印象付け、それでも学び続けようとする健気な王子だ、という好評価を得ることができた。陰湿な貴族たちもその話を聞いて同情し、皇太子が公式行事に出たこないのも当然の事だと思うようになったので、ディアナは、自分が少女であるという秘密がバレそうな公式行事に全く行かなくて済むようになった。
人目の問題も、自然と解決した。国王アルスが郊外に新しく建てた豪華な宮殿に移り住んだため、王の取り巻きたちもそちらに移動してしまった。舞踏会の一つも開かれなくなった王城の中は、火が消えたように静かになった。自分の世話をする召し使いしかいないため、変な噂を立てられる心配なしに昼間でもディアナは虫の世話ができるようになった。
ディアナはよくどこかで見たような後ろ姿を見かけるようになった。森の中で仕えてくれた召使いかな、とディアナは考えたが、当時の召使いなら全員顔と名前を覚えているから、召使いではないだろう。どこかで見かけた人なんだけど、喉に名前がつかえて出てこない。ディアナはもどかしかった。謎の人物は気がかりだったが、懸命に世話をしたおかげで、無事にカイコとクワコをかけ合わせた虫が繭になった。静かな夜の中で、ディアナとセリカはあらためてこれからのことを話し合った。
「繭を煮て糸を取るのが、絹づくりなんだよね? あと一歩だね、セリカ」
『ええ。でも、売り物にするための絹づくりは、一人でできることじゃないわ。実際に手を動かす人があと3,4人は欲しいし、そのための設備とか土地とかお金とか出してくれる協力者はもっとほしい』
「その3,4人に娼婦を選ぶの?」
『それが一番やりやすいわね。ある秩序の支配している社会では、その秩序の枠にはまらない力は排斥される運命にある。だから、新たな秩序を作る必要があるの。その為には、下から上に突き上げる力を使うのが一番よ。娼婦って、教会に一番低い身分の人としていやしめられてるから、そういう意味でもぴったりだと思うのだけど?』
「新たな秩序を作る、んだ」
改めて考えると、自分はとんでもないことをやっているのではないか。ディアナは身震いした。 悪魔と契約して、世界を変える。それは、14歳の少女にはできそうにもない事とに思える。でも、私は走り出してしまった。最後まで走りきれるのか。ディアナは不安が体の中を凍らせていくのを感じた。
『ええ。ディアナが幸せになれる世界を。何が幸せかってことは、人によって違うわ。特にディアナは、自分自身を幸せにするのは何か探さなきゃいけないのよ』
ディアナの不安を感じ取ったのか、セリカの声はいつもよりも優しかった。ディアナは、セリカに言われた事を自分の言葉でゆっくり考えてみることにした。
ちょっと怖いような気もするけど、絹を作れれば自分を偽り続け、誰も自分をディアナとして扱ってくれないというつらい思いをする事もなくなるんじゃないだろうか。世界を変えるとは、誰も見たことがない場所へ行くのに似ている。ディアナはふと思った。なにがあるのかわからないから、怖くて当たり前だ。でも、進めばすこしだけでも、あかるい明日があるのはわかってる。
『いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力よ。たとえそれが親の意見で、いかに正しく思えても、受け入れるかどうか決めるのは、自分自身よ』
進もう。ディアナは心を決めた。ただ、一つだけ気がかりなことがある。
「そうだね。セリカ。でも、一つだけ心配なの。絹は教会の神聖な布として信仰されているから、教会を通さずに絹を扱ったら異端として縛り首になるかもしれない。そもそも、絹じゃないかと疑われたら、買わずに教会に通報されちゃうよ」
『神が王子に絹を授けた、ってことにはできないの?』
「うん。教会は、絹を与える条件として篤い信仰心、つまりは大量のお金の寄付を求めてる。絹は触り心地がいいだけじゃなくて、神から捧げられる恵みのうち、最高のものの一つなんだ。だから、慎重に動かなきゃいけないと思う」
『でも、王子様って天使の子孫なんでしょ? 絹が授けられたっていいじゃない?』
「召し使いたちの間で噂になってたんだけど、ギャビン・クェンタールっていう伯爵が、財産の半分を教会に寄進して、それで絹のハンカチを教会から授かったんだって。私の両手合わせたくらいの大きさなのに、それをもらえたのは、信仰心に篤いと認められて、その上で巨額の寄付をしたからなんだって」
沈黙が部屋を支配した。
セリカの顔をディアナが見ると、大口を開け、驚きの表情で中空に浮かんでいた。




