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夜のソーダ

作者: 矢光翼

突然書きました。久しぶり。


 うちのエアコンは冷風ではなくゴッゴッゴッゴと奇怪な音を吐き出す。毎度毎度、壊れてやがんな、ポンコツ。

 ゴッ! とひときわ大きな音が出る。

「お前が何を言おうと」

 リモコン様には敵わない。黙ったエアコンに対しての征服感は、同時に生ぬるさを呼んだ。お前、冷風も吐いていたのか。

 静かな生ぬるさとうるさい涼しさを天秤にかけ、る前に私はリモコンを放り投げる。

「情に訴える作戦、効かないからな」

 危なかった。さっきのゴッ!が、反抗の怒号から物悲しげな断末魔に思えてきた。

「修理だ、お前みたいなやつ」

 言うことを聞かなくなったAIに対するマッドサイエンティストのようだ。実際修理するのは修理屋だから私はさしずめマッドサイエンティストに事の顛末を伝える下っ端か。

 広がる妄想。自分の自由な世界のはずなのにボスではなく下っ端になってしまう自意識を呪う。

 エアコンを止め、気分も若干下り坂。重みがちょっぴり増した空気を入れ替えるために窓を開ける。

 夜風が生ぬるい。さっきまでとは何か違う生ぬるさ。

 あぁ、部屋の中よりも風が生だからだ。より生の生ぬるさがゆったりと吹き込んでくる。もうこれは吹き込んでくるというか、滑り込んでくるみたいなレベル。空気が遅い。

「まぁ、より新鮮な方がいいか……」

 空気の鮮度は大事だ。生ぬるくても。


 十分。たった十分で我慢できなくなる。生ぬるさが生すぎる。なんだこれ、さっきと何が違うんだよ。鮮度? バッカじゃないの。

 窓を閉めると、急速に息が詰まる思いがした。きっとあれだ、罠にはまったシャケとかこんな感じだ。出所を失って、もう自由がなくなってしまったような状況。生きながらに死を確実のものとされるあの感じ。私はシャケじゃないからわからないけど。

 ただまぁ、私はシャケ好きなので、このままでもいっか。

 絶対に勘違いの息苦しさを感じながら、私は涼しさを求める。油断すると奴のリモコンを取ろうとしてしまう。気にしなければそれほど不快でもないはずの気温なのに、一度涼しさを知ってしまったせいでこのザマ。

「笑えよ、お前が居なくなっただけでこんなに私は」

 修理し初期化されたAIに対して、やっと気づいた感情を吐露する寸前のマッドサイエンティストのようだ。修理、されてないんだけどさ。

「どーすっか」

 ほんと、この微妙な空気感、どーすっかな。


 冷蔵庫の冷気をこの部屋に流せばいいんじゃね? と、私の心の中の悪魔が言った。このやろ悪魔め。マジで悪魔的な提案してきやがる。そんなことしたら電気代が馬鹿にならない。

 でも冷蔵庫は鳴かなくね? 悪魔、お前正論だな。たしかに冷蔵庫は鳴かないね。

 心の弱さ、ブレやすさ、ともに高得点をたたき出していることだろう。

 生ぬるさを打開するエクスカリバーは、白くて直方体だった。

「持ち運べないが、ゆえにこの土地で敵う者なし」

 私は冷蔵庫に手をかける。

 ガパリ。独特の音とともに十年物の冷蔵庫は冷気を吐き出す。エアコンよりも即効性の高い、冷気をまとった一撃。

「効く……これは効く……」

 もしかしなくてももっと暑い時にやるべき行動だろうな、これは。

 客観視しちゃいけない。ヤバすぎるもん。冷蔵庫に「効く」と発する女の図は。

 生ぬるさが横行する中で、涼しさが市民権を得る瞬間。その引き金は私の手の内にある。何という優越。この場において一番偉いのは涼しさだが、その涼しさを掌握している私が一番強い!

 政治家に取り入ろうとするよくわかんない人たちの気持ちが分かった。こうやって力は使うんだな。いや、使うんじゃない、使わせるんだ。

 私が優越を超越し恍惚に身をゆだねていると、目の端にあるものが写った。

「厳選ソーダ……」


 厳選ソーダ。それは私が地獄のような暑さの外から帰って来た時に決まって一気飲みする言わばポーション。これをキメないと家の中でさえダレてしまう。キメても時折ダレる。

 あるのは知ってる。いつも買い溜めしてるもの。こんな状況に飲むものじゃないということも知ってる。もっと頑張って、耐えて、やべぇジリ貧だ、ってなった時に一気するのが至高なのだ。惰性で飲むものじゃない。

 でも惰性って裏を返せば贅沢ってことじゃね? と、心の中の悪魔が言った。私の心には悪魔しか居ないのか。

 とはいえ、ふむ。惰性は裏を返せば贅沢? 惰性で厳選ソーダを飲むときは、暑さに負けてなくて、別に疲れてなくて、体もそれほど欲してないってことか。なるほど。いやはや。

 私の中の悪魔はどうやら天才らしい。こりゃ乗るっきゃねぇな。

 悪魔の提案に乗りっぱなしの私。そろそろ魂を抜き取られても文句は言えない。

 罪悪感を感じるのだろうな、この厳選ソーダをこんなただ生ぬるい空気の中に居るって理由だけで手に取るのは。酷く、心が痛むのだろうな。


 痛まぬ。そんなことで痛む心を私は持ち合わせておらぬ。この手にかかった厳選ソーダは敵武将の首も同然。私に敵う奴は居ない。

 厳選ソーダのふたを開ける。今どき珍しいビンのソーダ。サイダーではない。ソーダなんだ。ラムネでもない。ソーダなんだ。ここにこだわるから最終的に厳選ソーダになれるんだよ。途中であきらめるような奴は厳選ソーダにはなれない。サイダーでもラムネでも、どこへでも行きな。

 ソーダソーダ言ってないで早く飲んだらどうだい。そーだそーだ。どーだ。誰もが想像できるような駄洒落だぞ。

 いい具合に場も冷えたところで、いつものような頑張りのハードルをかなぐり捨て、いつもの飲み方で一気にキメる!


「効く~……!」

 エクスカリバーは直方体ではなかった。上がキュッとした円柱だった。

 喉を通り、胃に落ちる。液体でありながら刺激性を持つそれは、確かに私に飲まれた。

 シュワ、よりも、実際ジワ、って感じの刺激は、生ぬるさをものともしない力強さがあった。

 この冷たさは体の表面からこの空間全体へと伝播し、きっとこの部屋は涼しくなる。だって私今涼しいもん。清涼感あるもん。

「最ッ高……!」

 体が外の暑さにやられていない時にキメる厳選ソーダ、それは贅沢そのもの。調子に乗って焼き肉を始めてしまいそうなところまでメンタルが高次元に引っ張られる。

 自分に背いてまで手に入れたこんな生ぬるい夜のソーダ、二度経験したら三度目が訪れてしまいそう。

 仏の顔は三度までだしギリ大丈夫じゃね? そうだよな悪魔、三回目まではセーフだよな。

 そう。仏だって許してくれるのであれば、怠惰だって悪くない。私は二本目の厳選ソーダを手に取る。

 キメる。

 最高がやってくる。

 生ぬるさが消える。

 小学生の時コインゲームで経験した、持っていたものがなくなる速さを今、私は厳選ソーダで追体験している。同級生の女子がコスメ系アーケードゲームにはまっている中、私はコインを転がしコインを落とそうとして落とせずスゴスゴと帰って行ってたんだ。経験値が違うぜ。

 二本目はもはやトランス状態だ。ここに三本目が入ったらもう、生ぬるさに打ち勝つ涼しさの王にでもなってしまうんじゃなかろうか。ヤバい、もうこの季節勝ったも同然だ。

 私は三本目の厳選ソーダを……。


 その日は、厳選ソーダ買い溜め分の在庫が切れる前日でした。そのことを忘れてたんです。

 私は気を急いてしまった。あろうことか在庫切れ。情けないことこの上ない。

 悩みました。買いに行くのか、我慢するのか。

 決めに決めかねる理由がありました。非常に簡単なことです。冷静になり始めてました。

 微妙な暑さに浮かされて変なことをしてみた大学生のような行動。皮肉にも涼しさの王に近づくことによってそれに気づいてしまった。冷静、そして客観視とは酷ですね。

 一気に押し寄せる「ルールを破った罪悪感」と「得たものの無さによる謎の喪失感」。

 不貞寝と決め込む。それ以外の選択肢が私にはありませんでした。


 次の日、私は罪悪感と喪失感から厳選ソーダを買い足すのを忘れ、ただ暑さに負けて帰ってきて、やむなくエアコンをつける。

 ゴッゴッゴッゴ。嬉しそうに鳴きやがって。

「私が居なきゃダメか? いや、お前が居なきゃ私がダメなのか」

 あの時のAIが帰ってきて気持ちに素直になってしまうマッドサイエンティストのようだ。


ありがとうございました。

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