色を灯して
「ミーラン、どこへ行くつもりですか?」
お風呂から上がり、綺麗に水滴を拭き取ってもらった後で、いつものように部屋に帰されるのかと思っていた私は、今まさに進んでいる道がいつもとは違う景色であることに気がついた。
いつもは壁、壁、置物、人くらいにしか眺めるものがないのだが、今日は久しぶりに外の景色を、人工物ではない物を目に捉えることが出来る。
窓のあるところになんて連れて行ってもらえなかったのに、どういう心境の変化なのだろうかとミーランを見上げる。
「秘密です」
やはり彼の表情は変わらない。真っ直ぐに目的地を見据えているらしい瞳からも何も読み取ることはできない。
完全に秘密の状態である。
「そう、ですか……」
ミーランが私に危害を加えることがないことはよく知っているため、これ以上聞き出すことはない。もしかしたらお散歩か何かかもしれないとのんびりと周りの風景を楽しむことに決めた。
手は届かないが、そこに広がるのは見たことのない木々や草花ばかり。花から香る甘い香りが鼻をくすぐる。
花に特別な興味を持っていたわけではないが、久々に見たからか案外悪いものでもないと思ってしまう。もちろんお母様のように屋敷のいたるところに飾りたいとは思わないが、一輪や二輪なら慣れてしまったあの殺風景な部屋に飾って楽しみたいとは思う。
例えばあの花なんてどうだろう?
鮮やかな蒼はたった一輪だけでもきっと映えることだろう。
届くはずのないその花に手を伸ばそうとすると急に花との距離が開く。
「エリエラ、危ないですよ」
「……ごめんなさい」
私が手を伸ばしたことにより、傾いた身体を真ん中へと戻してバランスを取り直すとミーランは歩みを再開した。
蒼色の可憐な花は次第に遠ざかり、角を曲がってしまってからはもう目で捉えることすら出来なくなっていた。
その代わりに私の目に映ったのは立派な木だった。
「綺麗だとは思いませんか」
ミーランは私を支える手を片方だけゆっくりと外すと、木の肌に手を這わせた。その手つきは私に触れる時と同じで、まるでその木を慈しんでいるかのようだ。
「そうですね」
彼に倣って私もそれへと手を伸ばす。ゴツゴツと頼りがいのあるその肌はほんのりと温かいような気がした。
空を仰ぐとポツリポツリと燃えるような紅色の花が身をつけてあちらこちらにその顔を見せては笑っている。
だから私もミーランも口を閉ざして美しい彼らを目に焼き付けることにした。
風に乗って鼻腔をくすぐるその香りはどこか懐かしいような気がした。
その翌日から殺風景な部屋には一輪の蒼色の花が飾られるようになった。
届くことが叶わなかったあの花は今やベッドの隣に飾られている。
「ミーラン、この花はどうしたんですか?」
「綺麗でしょう」
ミーランは紅い花を見せてくれたあの日のようにそれだけしか言わない。
けれど彼の瞳と同じ色をしたその花を移すその目が柔らかいものであることを私は知っている。そしてミーランがこの花を私のために持ってきてくれたことも。
殺風景なこの部屋を初めに彩るのはミーランと私の色だった。
それは夫となった彼に一歩だけでも踏み込めたような気がして、一人になった部屋で花を突きながら頬を緩めるのだった。