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5話

「ひと月ぶりだな、妹よ」

 しばらくは開くことのないはずのドアが開かれたのは、かの皇子が唐突に部屋へとやってきてからしばらく経った時のことだった。

 時間の感覚があまりない私にとってはその間はひどく短いものにも思えたが、外からやってきた皇子からしてみればその間はひと月と表されるらしかった。


「……アニマ皇子、ご機嫌よう」

 この国で皇子という確固たる地位を所有しているらしい彼の訪問に警戒心を抱いたのは、朝食を私に取らせたミーランが再び仕事へと戻ってすぐのことだったからだ。それに……皇子の顔を見た途端、以前来た時に見せたあの瞳を思い出す。

 背筋を蛇のように這う一筋の汗が気を抜くなと告げていた。

 ミーランの不在の間、この場所を守るのは妻である私しかいないのだ。


「兄でいい」

「私の兄弟姉妹はお姉様だけですので」

 その短い掛け合いにさえも身体を強張らせる。きっと顔にも出てしまっていることだろう。けれど視線は逸らすことはできない。人ならざる者にさえ感じる、生気の感じられない瞳から。逸らせば彼はたちどころに私を制してしまうだろうとさえ思えた。

「……そうか。まぁよい。それでエリエラ、お前はいつここから出ていくつもりだ?」

「何を言っているのか、わかりかねます」

「難しいことは言っていないだろう。言葉、そのままの意味を取ればいい。ここ数ヶ月は逃げずにいたようだが所詮お前は余所者だ。いつかは居なくなるのだろう? お前の母親のように……」

 ほんの一瞬、無表情のはずの皇子の顔が歪んだ気がした。

 それはおそらく私のお母様を思い出して。

 この国に来て、そして初対面で皇帝は言った。

 18年と6ヶ月26日ぶりであると。それは私が生後3か月ほどはこの国にいたことを表している。

 私はお姉様と異父姉妹であることを知っている。だがお姉様の父親が誰なのかまでは知らないのだ。

 ずっとお姉様の父親はお父様だと思っていた。

 だがそう断定するには情報が足りなかった。別れる直前、お父様は私を愛してくれていたのだと知った。自分の子ではない私を。だとすればお姉様を愛していたのは実の娘だからとは言い切れなくなってしまうのだ。私がお父様と慕ったあの人は他人の子どもでも愛せる人だったから。

 そしてもしお姉様がお母様とお父様の子だったとしても、いやだとすれば私はどうなるというのだ。

 確かにお母様は私を産んだのだと認めていたし、皇帝様もまた私を娘だと言った。

 ならば……。

 私の導き出せなかった答えをアニマ皇子はこの国の人であることを証明するように淡々と言葉にした。


「知らないなら教えてやろう。兄として、そしてこの国を担うものとして、私はお前に真実を告げる義務がある。

 お前の母親がこの国にやって来たのはお前を産む2年ほど前のことだ。それから間もなくして当代の皇帝、つまり我が父とお前の母親との間に子が産まれた。それがお前だ。

 皇帝の娘として生を受けたお前は例に漏れず産まれた直後に婚約者が決められた。それがミーランだ。

 当時10になったばかりのミーランは産まれたばかりの婚約者を、母親から見放された赤子を父のように、母のように、そして兄のように育てた。

 感情の起伏というものが少ない我が国の国民の特徴に漏れずあいつもまたそれに疎いというのに、持てる限りの全てを未来の花嫁に注いだ。

 そしてお前の母親の夫だと名乗る人物があの女の身柄を引き取りに来てもなおずっと一緒に居られるものだと信じた。女が、皇帝に愛を囁いたあの女がその男と共にこの国を去るのだと騒ぎ立ててもなお、婚約者という形で結ばれた自分たちは引き離されることはないのだと幼かったミーランは疑うことをしなかった。

 ……だが結果としてお前はお前の母親とその男の元へと引き取られることになった。その間に父上とあの男との間にどのような取引があったかは俺もミーランも知らない。

 だが事実としてそのことによってミーランはエリエラと引き裂かれることになった。 元よりこの国の国民ほとんどが外の者のことなんて信じてなどいなかったが、それが一層亀裂を生んだ。僅かに開いていた他国との交流も打ち切り、俺たちは他者をますます受け入れることがなくなった。

 ミーランはお前を信じているようだが、俺はお前を信じてなどいない。半分は同じ父の血が流れていようが、半分はあの女の血で構成されているお前を、他国で育てられたお前を信用することはできない。

 もしいつかミーランを裏切るならばいまここで死んでくれ。

 さすがのミーランもお前が死んでしまえば、繋ぐ物がなくなりさえすればこれ以上の執着はしないだろう」

 皇子の中で語られる二人は私の知っているお母様とお父様だった。

 2人に悪い印象しかないのだろう、皇子には悪いが私はその話で家族を懐かしく思えた。 他人ならば皇子のように憎むことができただろうが、たとえ初めから望まれていなかったとしても、私の中に流れるお母様の血が、注がれたお父様の愛情が、両親を嫌うことを頑なに拒否しているのだ。

 まさか恨み言を聞いて家族への情を再確認するとは思いもしなかった。


 だがそれはミーランへ対するこの感情を明確化する機会ともなった。


「あなたの指す『裏切り』がここからの、ミーランからの逃亡だとするのならば私は彼を裏切りません」

「なぜそう言い切れる」

「3億です」

「は?」

「それが、ミーランが私を娶るためにお父様に支払った対価です。私とミーランの間ではすでに契約が果たされました。一度なされた契約を破棄することはありません」

 私は『商品』だ。『妻』として扱われようが、その手がどんなに優しかろうがその事実は変わらないのだ。

「金のために来たから逃げないのだと?」

「ええ、私は逃げません。ソファやリンゴが勝手に動かないのと同じように」

「お前は人だろう。それらとは違う」

「同じです。私もそれらと同じように買われたのですから。ただ違うのは私が桁外れに高かったことくらいでしょう」

 今もなおも世界の各地にいるらしい、家庭教師に教わった『奴隷』とも違う。

 私は私の意志でここに来たのだから。


「例え買われたものだとしても、ネコやトリは見ていないと逃げ出そうとする」

 「ええ、そうですね。心配ならば腰に下げた立派な剣でこの足を奪ってしまっても構いません。ここにいれば移動するにもミーランが抱き上げてくれますから」

 服と同化しつつある、その短い剣でも抵抗さえしなければ私の足くらい奪うことはできるだろう。完全に切断などせずとも、歩行機能さえ奪えばいいのだからそう難しくなどない。

 以前いた国なら少しの不便はあっただろうが、今の私にとって『歩行』するということはほとんどない。もう不要のものとなったのだ。


 私が『人』として歩むことがなくなったのだから。


「お前には望みがないのか」「私の望みは私の家族が幸せに暮らすことです。それ以上は望みません」

 だがその望みはすでにお父様へと託したのだ。 私は組み込まれていない夢に私の出番などないのだから。

「お前は……お前はミーランによく似ている。だからあいつも求めるというのか……」

「皇子?」

 皇子は言葉をつっかえるようにして語る。まるで認めたくない事実を語るように、辛そうに、けれど確かめるように問うのだ。


「……エリエラ、お前にとってミーランとは何だ」

「夫です」

「お前はずっとこの部屋に閉じ込められることになっても……そうであるといい続けられるのか」

「ミーランがそれを望むのならば。『妻とは夫に従順であらなければならない』らしいですから」

 ミーランがその言葉を初めに口にしたのはいつのことだろうか。

 もう『初め』を覚えていないほどその言葉は繰り返されてきたのだ。


 私が『妻』。そしてミーランが『夫』であると刷り込むように何度も何度も。


「……そうか。エリエラを、我が妹を信じよう。これは部屋に入ったものが俺であるという証拠品だ。ミーランと共に食べるがいい」

 「はい」

 つい先ほど私の死を願ったのと同じ口で皇子は私を信じると語る。なんとも不思議なことだ。

 だがその両方の言葉が嘘ではないことを彼の瞳が如実に表しているのだ。

 あいも変わらず無表情な皇子は、使用人たちと同じように、全く動かない表情よりも目の動きが彼らの感情を伝えてくるのだった。


「何をしているのですか、アニマ皇子。すでに休憩の時間は終わっているのですが」

 もう無機質のようだとは思えなくなった皇子の背後からは聞きなれた、抑揚のない声が部屋へと入り込む。 その声はこの部屋への侵入者を排除しようとしていた。


「休憩の散歩ついでに妹に会いに来ただけだ。今帰る」

「散歩……ですか。皇子、先日も申した通り、私は誰であろうとエリエラを譲るつもりはありません」

 「ああ覚えているさ。ではまたなミーラン、エリエラ」

 私とミーランの名前を呼び、去っていく皇子の足取りはこの部屋に入り込んできたときよりもよほど軽く、足元にへばり付いていた何かが落ちていったようだった。


 皇子とは対照的に部屋の外からやってきたミーランは大股でベッドへと近寄ると私の身体を遠慮なく触り始めた。

 「何も……されていませんね」

 前回といい今回と言い、ミーランはアニマ皇子を全く信用していないらしい。

 ミーランは念のためと言いながら服を脱がすと、私の手足に傷が刻まれていないかを懇切丁寧に確かめた。

 やっと納得したらしいミーランは再び私に服を着せると自らの顎に手を当て、何かを考えたような仕草をするとその答えを出した。

 「昨日入りましたが、今日も風呂に入りましょう」

「なぜですか?」

「念のため、です」

「そうですか。ああ、そうだ。皇子にこれをいただきました」

 皇子にもらった小さな包みを手に乗せて差し出すと、ミーランは大きく目を見開いた。 ミーランがそうするのは初めてだったが、すでにこの顔の意味を知っている。彼はとても驚いているのだ。この城の誰もが私を運ぶミーランに抱いたのと同じように。


「ミーランと共に食べるようにとのことです」

「……………………エリエラ、本当に何もされていませんか」

 その包みを皇子は部屋に入ったのが皇子である証であるといったが、どうやらそれだけではないらしい。 ミーランは皇子が居たことを知っているのだ。

 つまりこの包みにはそれ以上の意味があるらしいのだ。 ミーランの行動の意味といい、この包みの意味といい、渡された書物にはどこにも答えなんて載っていなかった。 ミーランの『妻』になって時が経とうがやはり私はよそ者なのだ。


「ミーランは私にとって何かと聞かれました。なので『夫』であると答えました」

 それで全てではないけれど、皇子の語った昔話は私たちの間では意味のないものなのだ。

「なぜそのような当たり前のことを聞きに来たのでしょうか。……とりあえずはあなたに害がなかったのでいいでしょう。ほらエリエラご飯ですよ」


 そしてミーランはいつものように私の口へと食事を運ぶ。彼の指先から伝う果実は特別甘くように思えた。


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