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3話

「エリエラ、行きますよ」

 数日に1度、昼食と夕食の間の時間、ミーランは途中で仕事を抜け出して私の元へとやって来る。ベッドへ身を寄せるミーランに身体を支えられ、そして私は彼の首へと手を回す。

 これが移動の準備である。

 ミーランは初めてこの部屋に私を連れて来た時と同様に、部屋から出る際に私を歩かせることはない。目的地に着くまで抱えて運ぶのだ。

 この国に来てから、ミーランの妻になってからどれだけの日々が経ったのか、数日に1度のお風呂以外は部屋の外に出ることがない私にはわからない。けれど、もうそれにも慣れてしまうほどには彼といる期間が長いのだ。

 私を抱えながらやはり無表情で城内を闊歩するミーランはやはりこの国の人たちから見ても不思議なものらしく、すれ違う使用人や使用人の制服とは違う、おそらくは城の要人なのだと思わしき人物は無表情ながらも私たちをしばらくの間じっと見つめていた。

 今だって彼らは足を止めて私たちを見ている。

 だがミーランは全くそれを気に留めることはなく、今も変わらずに私を運んでいる。そのため私は毎回移動の度にその視線を受けることとなるのだ。

 だからだろう、無表情な彼らのほんの少しの変化に気づくようになった。

 確かに表情は全く動かない彼らではあるが、私とミーランの移動中に出くわす彼らは私たちを視界に捉えると少しだけ目が見開くのだ。

 おそらくはそれが彼らの驚きの表情なのだろう。

 わかりづらいとは思うが、そう思った感情こそ私の母国で受けた私の評価と同じなのだろう。いやきっと私に対する評価はもっと悪いものだっただろう。

 今ならわかる。陰口を言って回った貴族たちも親戚もきっと私を怖がっていたのだ。

 貴族の社交は常に腹の探り合いだ。笑顔を張り付けて相手の腹を探っては仕掛けるような、そんな水面下で必至に足を動かし続けることこそ彼らの生きがいだったのだ。だが私は周りとあまりにも違いすぎた。

 笑顔を張り付けて飛び回る彼らと表情の全く変わらない私はさぞ異質な存在に見えただろう。

 私だって楽しいと感じたことがなかったわけではなかった。

 お姉様が私にピアノを聞かせてくれた時、婚約者のアレックス様が自慢の庭園へと導いてくれた時、そのどちらにも私は感動したのだ。私に向けてくれた好意に心が震えた。

 けれど凝り固まった顔の表情筋はわずかに動くだけだった。それは長年私の顔を覗き込んでいたお姉様や、心の機微に敏感なアレックス様には伝わったが、その他の人たちには伝わることはなかった。

 どんなに綺麗な花を愛でようとも、媚びを売るために諂う爵位が私よりも低い貴族にも、交流を持とうとする同級の者にも、自分の姉や婚約者にさえも笑みを浮かべない私は次第に彼らの恐れを刺激していったのであろう。

 お母様は喜怒哀楽がすぐ顔に出てしまう人で、お父様は場所によって感情の仮面を付け替えることができる人だった。そしてお姉様は二人のいいところだけを取って育った。

 もしもお姉様が私たち家族の、ほんの少しの綻びに気づかなかったのならば、どこの令息に嫁ごうが最高の嫁だと賛辞されることだっただろう。それは身内びいきでもなんともなく、事実だ。

 社交やマナー、教養はもちろん、令嬢の嗜みであるピアノ、バイオリン、刺繍、そしてお菓子作りまでも完璧にこなしてみせるのだ。

 私の自慢の姉で、お父様とお母様の自慢の娘なのだ。

 だから余計に私の異質さは浮き彫りになっていったのだ。


「エリエラ、降ろしますよ」

 そうこう考えに耽っているうちに目的地の王族専用の浴場に着いたらしく、やっと地上を踏むことができる。

 ミーランは私を立たせると手早く服を脱がせ、そして再び抱き上げると今度は大きな石の内部をくり抜いて作ったらしい、大きな浴槽へと降ろした。

「熱くないですか?」

 ミーランは私をたくさんのお湯の中の中へ入れると決まってこう尋ねる。

 だから私もそれには必ずこう返すのだ。

 「ちょうどいいわ」

 その言葉を確認するとミーランは浴槽から出ている私の頭の上の辺りに立ち、髪を洗いだす。

 幼少期から伸ばし続けていた私の長い髪を洗髪剤と混ぜ合わせるようにして洗う。量の多い髪を1本たりとも見逃すことなく、汚れを落としていくのだ。

 数日前となんら変わらない手順で時間をかけて繰り返す。

 初めこそ自分でできると、異性のミーランが入浴の時間に介入することを嫌がった私だが今ではすっかり慣れたもので、今では心地いいとさえ感じている。


 それはこの時間に限ったことではなかった。


 抱かれて寝るのも、手から与えられる食事も、人の視線を集めながら移動するのも。

 ミーランから与えられた書物には決まってその行動の意味が記されてはいなかった。 だが決まってミーランが口にする『妻とは』『夫とは』『夫婦とは』という言葉に、そして彼の手に絆されてしまったのだ。

 お父様とお母様、そしてお姉様と過ごした時間は私の人生の多くを占めていて、それに比べればミーランと過ごした時間などほんの少しだ。

 だが私が彼に好意を寄せるのには十分だった。

 ミーランと『家族』にはまだなることは出来ない。そうなるには彼のことを知らなすぎるのだ。

 ミーランはおそらく私のことをよく知っていて、そして私は彼の名前と外見以外のほとんどの情報を有してはいない。

 けれどミーランは私を『妻』として扱い、そして私が彼を『夫』として認識し始めているのだから『夫婦』にはなれているのだろう。

 私がミーランを一人の異性として愛すことはないだろう。

 そしてきっとそれはミーランも同じだ。

 彼は私に『妻』であることを望む一方で夜に抱こうが、毎食ご飯を食べさせようが、風呂に入れようが、彼は一向に私に『女』であることを望むことはないのだ。


 けれどいつだって私を優しい手で触れる彼とならば、いつか『家族』になれるような気がした。


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