千尋の谷は獅子だけの物に非ず
あれから3日経った。ザ・サバイバルな感じの生活だが、会話による頭痛を除くと、存外苦労することもない。魔獣も普通に美味かったし。
昔やらされてたボーイスカウトの経験が、今頃生きるとは人生わからないものである。
しかし仕事やソシャゲの時限イベに追われる生活より、余程快適なのには苦笑を禁じ得ない。
前者はともかく、後者は趣味でやってたはずなのだが。いつの間にか義務になってたよね……
木漏れ日の中、座禅の真似事をしながら考えていると。
【集中、する】
瞑想中にぼんやりしてた俺に、リシア先生から叱責が飛ぶ。
化身状態故に雑念は筒抜けであり、今の俺にプライバシーなどないのだ……
化身しての瞑想。何故そんな二重の苦行を強いられてるかと言うと、リシア先生指導の魔力増幅訓練のためだ。落ち着きのない俺には、割と本気で拷問まである。
リシアの親父さん曰く、化身で器を膨張させて、その状態を維持出来るようになれば、素養が無くともてっとり早く魔力を増やせるとのこと。
そこはかとなく漂うスパルタ臭……魔力が互いに干渉しないから出来ることって話だが、絶対荒療治の類だよこれ!
普通に瞑想して魔力を増やす場合は、自力で器を広げる必要があり、膨大な時間がかかるらしいので、是非もないが……
因みに親父さん、名前はリベルスと言うらしい。この説明を通訳してくれた時リシアに聞いたら、完全に忘れてたって感じのリアクションが返ってきた……父親の扱いってどこでもこんなか。
【化身は、魔力増幅の近道ではある。けどあくまで補助でしかない。レスト自身が努力しないと、自分の魔力はつかない。頭痛が止まらなくて、いいの?】
【すいません、真面目にやります……】
器が広がり魔力が増えれば、それに伴いパスも強化されて頭痛も消える、はず。とはリシアの弁。
リシアとは多少我慢すれば普通に話せるからまだいいが、親父さんとは未だちゃんと話せていない。
通訳を介せば話せるが、いつまでもそれじゃ不便だし、頑張らねば……
一瞬親父さんとも化身すればと思ったが、婚姻の秘儀らしいし、色んな意味でないな。
【……それに、魔力がつかないと、私と結婚、出来ないよ?】
謝ったそばからまた雑念に埋もれ出した俺に、爆弾発言が炸裂した。
【待って、何故結婚することが既に既定路線みたくなってんだ!?】
楽しみに待ってるってマジだったの!? いや俺も一瞬乗り気になりかけたけどさ!
そりゃ元の世界でも犬猫と結婚する人は居たし、会話や人化出来る以上それより遥かにまともだとは思うけども! ってそうじゃない。親父さんに娘さんを下さいって言うの、超怖いんだけど! これも違う。いや内容自体は違わないけど。あ、恩返しの一環でもありそうだなこれ……
【人間としないなら秘儀もノーカンみたいだし、普通に同じ狼とした方が……ってそういえば、親父さんとリシア以外見ないけど……】
聞いてから自身の迂闊さを呪う。
やばい。これデリケートな話題だったかも……と、内心焦っていると、少し無理をしたような感じでリシアが言う。
【……気を遣わせてゴメンね? もう少ししたら、ちゃんと話すから】
うっかり踏み込み過ぎてしまった……適切な距離感の重要性は、痛いほど知ってたはずなのに。
俺はこの空気を払拭すべく、少し大袈裟に、敢えて口に出して言う。
「そんなに俺と結婚したいなら仕方ない! こうなったら本気で頑張るかな!」
【うん、あんまり待たせないでね? それと、恩返しも理由の一つだけど、それだけじゃないから】
やはり可愛い。可愛いは正義。後で撫でまわそう。
それから俺は、本当に真面目に瞑想した。
自分の為でなくリシアのために、無心で頑張った。
どれくらい経ったのか、根を詰めすぎても良くないからと、リシアが切り上げようと言う。
気付けばすっかり陽も傾き、森が闇に飲まれつつある。
結界内とはいえ、月明かりくらいしかない夜の森は、見通しが悪く単純に危ないのだ。
リシアが化身を解き、早く行くよと首を振る。
俺はリシアを抱え上げ、目的の場所である泉に向かって、足早に森の中を進む。
「遅くなったから、ちょっと冷えるな……明日にするってのは……」
「私はいいけど、また動けない程痛むかも?」
「うん、寒い方がマシだわ。入りたくない理由はもう一つあるんだけどね……」
無理矢理膨張したものは、その要因が消えれば、当然の帰結として収縮する。
洞窟で目覚めた時に感じた、筋肉痛とは違う痛みは、器の急激な収縮によるものらしい。
親父さんが俺を泉に叩き込んだのは、魔力補給による収縮速度の減衰の為と説明された。娘に睨まれながらの謝罪と共に。……割と本気で死ぬかと思ったし、フォローはしかねる。
しかし魔力の泉て、完全にロープレのノリだよなぁ。最もこの泉、魔力補給以上の事は望めないようで、そこまで大層な代物では無いらしいが。
簡単に言えば宿屋に泊まるようなものだろう。最大MPを上げたければ、レベルアップするしかないのだ……
そんなことを考えながら、数分程歩き泉に辿り着く。
「さっさと済ませるか……」
服を脱ぎ泉に入る。リシアにジッと見られているが、努めて気にしない。
断っておくが別に露出の気はない。最初は見られてると恥ずかしいと言ったのだ。
しかし帰ってきた反応は「何が恥ずかしいのか、分からない」という厳然たる種族差の壁を感じる一言だった。そういう恥じらいは無いのね……
下手に説明して過剰反応された結果、リシアをモフれなくなるのも怖いので迂闊なことも言えない。
魔力補給は一瞬らしいが、そのまま風呂も兼ねて少し浸かり、冷え過ぎないうちに上がる。
これで明日、地獄を見ることもない。怠れば死ねるが。近道とは斯くも険しい物也……
体の水気を払い、リシアの視線を黙殺しながら元の服を着る……
「タオルと着替えが欲しい……」
生活に関する目下の悩みがこれだ。
洞窟で火に当たるから風邪の心配は無いが、どうにかならんものか。
俺がボヤくとリシアが、何でも無いことのように平然と告げる。
「簡単な物なら、魔力で作れるよ?」
「……………………………マジかよ」
そうか、作れちゃうか。チートが無いから、勝手に便利な物な無いような錯覚に陥ってたが、誰もそんなこと言ってなかったね。
出来ればもう少し早く教えて欲しかったが、種族も違えば世界も違う以上、通じる常識の方が稀だろう。
つまりさっさと言わなかった俺が悪い。
今後何か困った時は即座に聞こう………そう固く決意しながら、リシアと共に帰路についた。
適当で脇の甘い設定をぶっこむと、後で死ぬほど苦労するという見本。