幸福の代償
リシアが人化する事が出来るようになって10日程経った。
一応結婚した扱いなのだが、当初思っていたほど生活に変化はなく、穏やかな日々が続いている。
……そう、錯覚していた。事態は気付かぬ内に、ゆっくりと、しかし着実に進行していた。
兆しはあったのだ。しかし俺はそれを見過ごした。故に今こうして窮地に追い込まれている……
こうしておけば。あんな事しなければ。そんな無益な思考に囚われながら、ターニングポイントとなった日々を振り返る……いくら嘆いても、決して時が戻らない事は理解していながら。
リシアがぼんやり虚空を見つめている。
話しかければすぐに返事を返すが、少し目を離せばまた元に戻る。
人化出来るようになって数日、そんな事が増えた。
美少女がそうしている姿はとても絵になるが、正直それどころではない。
え、まさかマリッジブルーじゃないよね!? と最初は慌てたのだが、返事は普通だし、人化して抱きついてくるし、座ってたら子狼に戻って足の間に挟まってくる。
つまり嫌われたとかそういうのでは、ない。
では何だろうと尋ねてみるも、
「え、何でもないよ? 少し、ボーっとしてただけ」
等と笑顔で言われてはこれ以上詮索する事も憚られる。
……今にして思えば、ここで無理矢理にでも口を割らせるべきだったのだが。
「そうか……それならいいんだけど……っとそうだ。もう一つ聞きたい事があったんだ」
「ん、なに?
「また人化をかけた時みたいな変な景色を見たんだけど、やっぱりコレが何か心当たりない? 親父さんも「自身で試した訳じゃないからわからぬ」とのことで……」
そう、俺はあの日から度々、妙な幻覚を見るようになっていた。
とはいえ見えるのは野山や川で、リシアが遊んでいたり友人らしき狐と寝転がっていたり、そんなアニマル癒し映像な上、現実時間では一瞬にも満たないので実害は全くないのだが。
「ん、私の方には、そんなことないし、よくわからない。疲れてるんだよレスト。ゆっくり休めば、平気だと思う」
屈託のない笑顔で俺にそんな言葉をかける天使。守りたい、この笑顔。
……守るべきでは無かったと知るのは、まだ少し先の話である。
俺は愚かだった。リシアは純粋だと、どこぞの狸狼と違って俺に嘘を言わないし、優しいし、可愛いし、ベタベタ引っ付いてきて最高だし、なんて何も疑う事なく信じ切っていた。
しかし俺は知っていたはずなのだ。この天使こそが、かつてあの惨事を引き起こしたという事実を。
まぁこの時の俺はそんな事、完膚なきまでに忘却の彼方に放り投げてた訳だが。
その盲信と忘却の代償は、信じ難いほどに高く付く事になる。
それからまた数日が過ぎた。
幻覚は突然再生されるようつべみたいな扱いに落ち着き、リシアも虚空を見つめる事が無くなり、一見何の問題もなく過ぎていく日常。
そんな毎日で、少し退屈していた。
リシアが可愛過ぎる、とか。無防備過ぎる、とか。そんな理由もあるだろう。
いや、どれだけ言葉を重ねようと、多分誰の許しも得られないと思うけど。
俺はふと思ってしまったのだ……狼の常識しかないリシアは、多少触られても特に気にしないのでは? と……
人化する前から、身体中撫で回してたし、その延長だよね! と、理論武装と自己欺瞞を重ねて、人化状態のリシアにイタズラをする決意を固める。
……冷静に考えると、割と普通にクズだな。何なら冷静に考えなくてもクズだけど。
そして俺はチャンスを待つ。
まぁ待つまでもなく、リシアは割と常にくっついてくるのだが、親父さんがいる前で迂闊な真似は出来ない。
遺跡で拾った腕輪(結局親父さんも文字は読めなかった)を眺めていると、リシアが隣に座り腕に抱きついてくる。
今親父さんはいない。俺は計画を実行に移す……!
「レスト、何してるの?」
「いや腕輪の文字をどうにか解読出来ないかとね……」
そう言いながら、リシアの体に手を伸ばす。
触れた時、一瞬驚くような反応があったが、特に何も言ってこない。
やったぜ。俺の仮説は正しかったと心の中で喝采を上げながら、その小さな胸を揉みしだく。
一人の性犯罪者が誕生した瞬間である。今回は冤罪ではない模様。
「レスト……くすぐったいよ?」
やはりこれが恥ずかしい事だとは、気付いてない様子!
少し顔が赤いのはリシアが言うように、くすぐったいからだろう。
「いや人化した時はあんまり撫でてないと思って」
そらそうである。絵面がヤバ過ぎるし、親父さんに見られた場合、ウルフクローかウルフファングで、即座に常世の国に叩き送られるに決まっている。
「ふぅん……まぁ好きにして、構わないけど」
そして俺は思う存分堪能した。とても満足した。素晴らしい体験だった。
調子に乗って、その日以降も度々そんな真似をしでかした。
ところで『災禍は糾える縄の如し』という諺がある。
意味は知っていた。しかし実感した事は無かった。する羽目になるとも思っていなかった。
……まぁ要するに、裁きの日は割とすぐに訪れた。
「レストなんて、もう知らないんだから」
「は……?」
突然リシアがツンデレみたいな事を言い出した。
一瞬イタズラの件がバレたのかと取り乱しかけるも、どうも怒っているようには見えない。
表情もそうだし、発言に感情が全く篭っていない。
「え、何なのリシアさん。どうかされました……?」
「……あれ、間違ったかな」
疑問はスルーされた。
再度声をかけようとしたが、リシアの発言で遮られる。
「えっと……お兄ちゃん、大好き」
「………!?」
これもまた棒読みではあったが……
上目遣いで二次元レベルの美少女にそんな事を言われて、平静を保てる筈もなく。
分かりやすく動揺する俺を、リシアはジッと見つめる。
……え? 一体なんだこれ。なんだこれ!!
とりあえず異常事態が起こっている事は、痛いほど分かったのだが対処法が全く思い付かない!
「今度から、レストの事、お兄ちゃんって呼ぶね」
「是非お願いしま……じゃねえ!!」
「あれ? これだと、思ったんだけど」
「はいはーいリシアさん、悪いが今から尋問タイムと洒落込ませて貰うねー!」
事ここに到ってようやく、何かとんでもない事態が進行していると気付く。
激しく遅きに失した感が漂っているが、限界まで現実を直視しない所存である。
「尋問って、拘束して、エッチな事するの……?」
「……そのエロ同人みたいな知識の出所を速やかに吐くんだ」
リシアの肩に手を置き、笑顔で質問する。多分目は笑ってなかったと思うが。
「えっと……もくひけん? を行使、します」
「うん、そんな物は無いし、あっても認めん。正直に吐かねばいつかのような激痛に見舞われるが、よろしいか?」
指を立てた拳をちらつかせると、リシアが目に見えて蒼白になった。
トラウマが蘇ったのか、小刻みに震えだす……が、すぐに落ち着きを取り戻す。
観念したのかと思った。けれどそれは逆襲の前触れだった。
立場が完全に逆転する一言を、死刑宣告に等しい一言を、俺に告げる。
「そう言うレストは、欲望に正直」
「………」
……この世界に来て、一番のピンチの可能性あるな?
「何も知らない私に、あんなことや、こんなことを」
「知ってんじゃねえか…!!」
「でもレストは、知らないと思って、やってたよね?」
ぐうの音も出ない正論をぶちかまされた。
これは……終わったな。
ならば取るべき道は、唯一つ……!!
「すいませんでしたぁぁぁ!!」
「まぁ、怒ってないけど」
「怒ってないのか……」
それはそれでどうなのかと。
怒られたい訳では決して無いのだが……
「むしろ、もっと積極的に、来るべき」
「えぇ……」
「レストが持ってた、げーむとか、まんがみたいに」
「それちょっと特殊なやつなんですよー……」
どこ情報なんだよそれは! いや、もう分かってはいるんだ。
ただ、認めたくなくて。一縷の望みに縋りたくて。そうでない事を祈りつつリシアに頼み込む。
「種明かしをお願い出来ませんかね……」
「仕方ないから、話してあげる」
わーい超上から目線!
事実立場が上なので、全く間違ってないな。
というか俺の立場が海底クレバスの底まで落ちたのが悪い。
俺は予想が外れている事を願いながら、絶望的な心持ちでリシアの言葉を待った……
作者が本当に書きたかったこと。




