第二十三章 「やがて物語は循環する」 2
おれは色々、この世界について母親と話した。流石は堅実者の親、良いことは良いと、悪いことは悪いとしっかり評価する。建前も偽りもない、信念を貫いている。
おれに、そんな強い信念はあるのだろうか。
いや、きっとない。
ない、あるはずがない。
いつまでも信念なんてすぐにねじ曲げて、情緒不安定を演じるほど情緒不安定な人間なのだ。
だから、過去の自分に、時系列的に言えば未来の自分に意地悪なアドバイスができるのだろう。まるで、他人のように。他人事のように。
そして物凄く己のことのように。
矛盾している曖昧で変な、回りくどい手紙。
まず、サラダに盛り付けられていたレモンを絞って紙に〝M・M〟と描いた。
炙り出しのための道具にはレモン汁だけで十分らしい。
アンナによって見つかったビルじいさんの手紙に記されていたこのイニシャルは、なんてことない、おれの本名間宮三咲のものだ。
そう、おれはこれからビルじいさんから受け取った手紙をビルじいさんに渡しに行く。
〝この手紙を読んでいる君は、恐らく全てを諦めて今この瞬間も逃げているのだろう。〟
この文章はなにもユリアに殺され逃げたときにもらったとき専用ではない。思えばおれは辛くなったときにこの手紙を読んでいた。
リーナが運命に殺されていたときこそ全てを諦めて逃げだしていた。
〝運命というのは考えてしまえば単純だ。パラレルワールドについて語ったとんでも人間が誰かは知らないが、人間誰しも一度は考えたことがあるはずだ。例えばもし自分が過去を書き換えることができたなら何に利用するだろうか。実験者ならば原理を解き明かすだろう。犯罪者ならば犯罪が成功したことにするだろう。悪人なら、善人なら、どう使うだろう。〟
おまえはどうするために時を遡行する。
おまえはなんのために運命を変える。
〝しかしその時点で、運命の歯車に関与した時点で、君は流される者ではなくなる。〟
運命に干渉した時点で、運命の言う通りに世界を進めなくてはならない。
どんなに抗っても、運命は絶対に変わらないようにできている。たった一日そこら巻き戻ったところで未来なんて変えられない。
例え人の命を救ったところで、その結果が正解であって、そうでなかった方の抹消された可能性がそもそも間違いだったんだ。
世界は、運命は、元々その命がおまえの手によって救われることに設定されていた。
ただそれだけのことだ。
だからこそ、運命に関与した瞬間、おまえは運命に従わなくてはならない。
絶対に、運命の言う通り世界を誘導しなければならない。
未来を構築しなければならない。
それが既に定まった使命なのだ。
〝君はいずれ知ることになる。それまでは浮かれているがいい。ただし過去に戻ることができない限り、時は一定に進んでいく。数時間前でも過去は過去だが、所詮書き換えることができるのは数時間後起こる事件だけだ。事件を防ぐ、より良い方向に書き換えるために過去に戻ったようなものだ。〟
これでおれは気付くことができなかった、決断することができなかった。
命を救っても救わなくても、設定された行動を取らない限りもう一度やり直せと命令されることを。
気付かれないことを知っている文章を書くには少し切ないものがあるな。
〝さて、ならば考えて欲しい。半年前の過去を書き換えることができたのなら、半年後のタイムトラベラーはその書き換えられた運命通りにことを進めなければならない。それが、運命の歯車に関与した者の義務だ。〟
その逆をおれは今している。
六年後のおれに従って過去を構築している。
けれど六年後のおれからすれば、今のおれに従って未来を進めなくてはならないのだ。
干渉し合っている。
運命、つまり過去現在未来を一本の線に繋いだものだとするなら、そりゃそうならなければならないだろうさ、どこか異なっていたら崩壊してしまう。
〝 そこでよく考えていただきたい。これから起こる出来事はよい選択しか待っていない。〟
どんなに嫌な決断でも、それは未来のためのものなのだ。
高校受験のとき、はたまた特に大学受験のとき、必要とされるのは学力だが、それ以上に勉強したという事実だ。
合否にはなにも関係ないが、それは将来自分自身に降りかかってくる。
解の公式なんて、モル計算なんて、将来ちっとも使わないし記憶の邪魔だ。
けれど勉強したという事実、勉強できるという才能は絶対に将来役に立つ。
合否なんて関係ない。おれたちはその才能を、力を、身につけなければならない。
嫌なことを強いられて、それでも自ら完遂してのける人間はかっこいい。
部室で部活動なんか放ってノートと参考書を広げ勉強している先輩には憧れる。
そんなものだ、一時嫌な決断を強いられても、必要なのはそれを活かして嫌なことではなくならせる決意だ。
〝慎重に歩んでくれ。君が本当に心に思う人は誰だ。論理的にも理論的にも倫理的にも判断するな。直感でものを捉えろ。君が本当に好きな人間は誰だ。〟
おまえの好きな人間は誰だ。
おまえが救いたいと思う人物は誰だ。
もし、それがあいつなら――あいつらなら、これまで記してきたことを受け入れろ、嫌な決断もしろ、そして本質的に、本当に――
未来を変えてみせろ!
「ありがとうございました、わざわざ食べさしてもらって」
「いえいえ、おもてなしですから」
おれは一礼して「失礼します」と言ってパトシオット家を去った。
最後はまさか今の自分へのアドバイスだったとは。
おれはすぐにビルじいさんの家を訪ねた。
ごめんくださいとノックする。
「誰だね」
フードをかぶって、すべて悟ったような表情をしたおれにもちろん彼はそう尋ねる。
「ちょっとした預言者です。六年後この家に若い男か、少女連れのその男がやって来ます、そのときにそいつにこの手紙を渡してやってください」
おれは手紙を渡す。
ちらと玄関から部屋の奥の、世界の村の分布を記した地図を見かけたが、西側がなにもなかった。あの地図は元々あのようなものだったのだ。
「それでは失礼します。間違っても、捨てたり破いたり燃やしたりしないでくださいね」
そしてやっとのことでこの村に別れを告げた。
鐘守りの街、マフィナ。
教会に訪れてもよかったかもな。
そう思いつつ草原を歩む。
さあ、六年前の寄り道ですべきことは残り一つになった。
なぜおれは監獄なんかに転移したのか。
それを解き明かす。
――とはいえ既に答えは出ているので、毎度のごとく伏線頒布に行くのだ。
最終目的地は追放者の監獄だ。