第二十二章 「エゼヴィア」 3
それは惨劇だった。
これも惨劇だった。
影人の大量発生を村間戦争だとするならば、貴族の遠征はテロである。爆破テロ。反王政運動。
そして、死者が少なく負傷者が尋常じゃないほど多いことが特徴的。
この状況もまた、地獄絵図さながらであった。
馬車が横転し、その馬が刈り殺され、地面には幾つものクレーターが出現し、生命体の血が地面を湿らせている。
人が、死んでいない人間が、痛みにもがきながら地面を這いつくばっている。
そのほぼ全員が高貴な服装を身にまとった貴族であり、犯人と思しき集団は西都の村人。
なぜこの世界には爆弾があるのだろう。
貴族が爆破テロに襲撃されていた。
まるで拷問のように、生きたまま痛みに悶えるその姿からは、絶望しか感じ取ることができない。
実際、死屍累々とこの背の低い、しかしやや起伏のある坂のような場所に並んでいる貴族たちのほとんどが絶望しきっているだろう。
自分がここで死ぬことを認めているだろう。
それほどに悲惨な状況であった。
あるものは腕を失い、あるものは足を馬車に押し潰され、あるものはサンドバッグにされ、あるものはあるものを目の前で殺害されている。
「リーナ……、ユリア……」
きっと彼女らもこのどこかにいるはずだ。
助けなければ。救い出さなければ。
せめて彼女ら二人だけでも。
村人に見つからないように歩き、邪魔だった場合は肉弾戦でなんとか押さえ込み、二人を探した。
まさか、こんな悲惨な状況だったとは……、影の力なのか、こんな衝撃的な記憶を忘れさせていたのは。
「あ……」思い出したときには既に遅かった。
おれはそれを目撃してしまった。
そうだ、忘れていた、彼女は死ぬのだった。
リーナが村人によって一方的に殺害される瞬間を目撃してしまった。
奥歯を噛み締めて、叫び声をも噛み殺して、息を潜めて、全力で殺人者の顔面を殴り飛ばした。
「おまえは人を殺した。それは自分も死んで良いという覚悟があることと同意だ。そうだよな、そうだ、そのはずだ、そうでなくてはならない、そうである、もちろんそう思っているよな?」
上からのしかかり、首に腕を当て呼吸を遮り、敵の握るナイフを奪い取り、紋章も確認せずとりあえず手の甲にぶっ刺した。
敵の痛みにもがく悲鳴が上げられそうになるが、頬を殴ることで阻止する。
それでも声を出そうとするため、ファイティングナイフの柄を口に挟ませて、ガードの部分を叩き下、つまり喉の方へ押し込んだ。敵の歯は無論砕け、柄が喉につっかえる。
もはや声すら出なくなったため、やっと我に返り、リーナへ振り返る。
またおれは罪を犯した。
まったく、幾ら異世界だからといってこの敵討ちは駄目だろう。
リーナの死体は今までに何度も見てきた。
けれど、この死体は今までのものよりもより生をまとっていて、人間らしい。
なにも邪悪なものを感じない。
きっと、親の言うことをなんでも聞いてしまう優しい純粋な子供だったのだろう。
そんな人が死んでいいはずがない。
死んでいいはずがあるか。
いかなるときも、そんな理由はない。
おれは彼女に残りの一つの守護を渡した。
すると徐々に彼女の瞼が開き、笑顔は見れないものの、その生きた瞳を見ることができた。
「誰……?」
彼女がかすれた、絶望しきった声でたずねる。
誰、ということはおれが村人であるとは思っていない。そして、さらにいえば、この状況を忘れてしまっている。
でなければ、顔の知らない人間が来れば恐怖に怯えるはずだ。
「おれは、きみにお守りを渡しに来た。ほら、今きみが握っているこのクリスタルだ。これを肌身離さず持っていて欲しい」
「ここはどこ……?」
「ここは、ちょっと荒れた――そう、荒野だよ」
「彼女は……、ユリアは……どこ? 嫌だ、離れたくない……」
「彼女は無事だ、うん、無事のはずなんだ、だから、安心して今は眠って」
うん、と頷いて十歳の彼女は再び意識を失った。
今は巾着はないが、きっと彼女はしっかりとこのクリスタルをお守りとして認識してくれる。
さあ、最後だ。
おれはやや近くに倒れていたユリアの元にかけつけた。
彼女はおれに気付くなり、目を見開いて恐怖した。
「来ないで……来るな! だから嫌だったんだ、あんな娘と一緒にいるなんて……」
彼女は泣いていた。
「おまえらなんか死んじゃえ! 来るな、来るなって!」
石を投げつけてくるが、構わない。
「おれは敵ではない、まずは冷静になってくれ、きみは絶対に死なない」
「なんなの、またそうやって騙すんだ! 結局、お母様もお父様もわたしがいらなかったから捨てたんだ、いらない子だったんだ」
そういえば、おれは彼女の過去を知らない。
「メイドなんていってお金をもらっているのはお母様たちじゃない、大人はわたしを騙すんだ」
ただ、ユリアとリーナは出会った頃は仲が悪かったとは言っていた。
ならば、おれが今すべきことは、二人の仲を良くすることだ。
「まず、落ち着いてくれ、きみに死なれたら困るんだ」
「なに、わたしはなにも持ってないよ、お金も宝石も、全部お母様たちが持ってるもの」
「いらない、おれはいらない。きみが生きていればそれだけでいいんだ」
口調もなにも全く違う十歳の彼女はなんとか叫ばない程度まで気を持った。
「教えてくれ、きみはなぜヴァラウヘクセ家が嫌いなんだ?」
「おしつけられている、わたしはあんな場所で仕事をおしつけられている。大人がわたしを笑うんだ。親に捨てられた可哀想な子だって」
「メイドは嫌いか?」
「嫌いよ、包丁なんて使えないし、食器も壷も洗えないし、間違えたらぶたれるし」
ヴァラウヘクセ家はきっと躾の厳しい方の家庭なのだろう。
そんな過酷な職場に強制的に送られた彼女が不満を持つのは当たり前なのだ。
「それなら、リーナは嫌いか? ずっと一緒にいて、ずっと話かけられて、それでも嫌いか?」
「当たり前でしょ」
「もし、今、死んでいたとしても、それでも、嫌いと言えるか? 嫌いだったと言い張れるか?」
子供に〝死〟という言葉を使うのは過激かもしれないが、そこまで否定的にならなければ子供騙しはできない。
本音を聞くことはできない。
「それは……」
「もし、心のどこかに好きという感情があるなら、それを信じてみろ。大人に騙されるんじゃなくて、自分に騙されてみろ。感情に振り回されてみろ。他人を好意的に見てみろ。そうすればきっと大人はきみを騙さなくなる」
「い、いや……わたしは……」
今のユリアはむしろ、嫌いな人間が死んだことにほっとしたいという表面上の自分のキャラクターに沿って演じているが、心の中で「友人が死んでしまった、どうしよう」という焦りには勝てるわけもなく、葛藤のように人格が破綻しているように見える。
だから、教えてやるんだ、こいつに、リーナの良さを。
「リーナは言っていたぞ、ユリアはどこにいるって、離れたくないって。おまえはしっかり彼女を見るべきだ。彼女がおまえに対して一度でも嫌なことを言ったか? わがままなおまえにわがままだと言ったことがあったか?」
「な……ない……」
「おまえは将来賢い、それに可愛らしい女性になる。その否定的な性格を捨てろ、自分の〝優しさ〟に騙されてみろ」
おれはそういって彼女からもらったペンを渡した。
「これは?」
「お守りだ。そして、もし嫌なことがあったらこれを握って〝エゼヴィア〟と唱えろ、これは勇気が出るおまじない」
意味は――平和で自由な世界。
おれはその場を去った。
――フリをした。
ユリアがどうするか見守るためである。
彼女はおもむろに立ち上がって、周囲を確認し、リーナの姿を確認すると、すぐに駆け寄って、彼女をゆすって起こした。
「リーナ……やっぱりわたしはリーナが嫌い」
第一声がそれか、おれは苦笑した。
「けれど、離れたら嫌だから、嫌い。わがままなわたしにわがままって言わない優しさが好きだから、嫌い」
滅茶苦茶だ、まったく、葛藤がうかがえる。
「だから、一緒にいてほしい、わたしがリーナを好きになれるまで。けど、また今みたいに嫌なことが起きるから、また勇気が出なくなるから、そのときは――」
彼女は泣きながら、今し方覚えたおまじないを彼女に教えた。
「『エゼヴィア』って唱えてみて。わたしもずっと一緒にリーナと勇気が出るように頑張るから」
支離滅裂だが、それでいい。
これが今のユリアに出せる精一杯の勇気だ。
リーナは彼女のお願いに笑顔で頷いた。