第二章 「アーヴァシーラ」 2
正門を目指し牢獄を歩く。死者はおれに助けを求めることもせず、水分のない顔で永眠している。牢屋の中、血を流して。そろそろ赤の海が固体化してきた頃だろう。
死者の服装は様々だ。店、農家、紳士、騎士。この全員が追放者である。はたして何をやらかしたのかはわからない。何の罪を負って、何故死んだのかはわからない。
そしておれも謎のままだ。
おれはおれでありながら己が誰であるかを把握していない。おれは異世界、つまりおれの元いた世界はここから見て異世界なのだが、そこから来た者なのだから当然この屍と同じ罪を負ってはいないし、追放者でもない。
しかし正門から出ようとしたところを石像に化けていた男が襲いかかった。果たしてその事実が現実であるか夢であるかもわからないが。それにしても何故おれはそいつに殺されたのだ。いやいや、そもそも蘇るなんてありえないのだから殺されたとかどうとかってありえない話だ。
正門に着くのは二度目だ。今回は迂回し、中庭側のドアからではなく、反対から出たのでまだ甲冑の男には見られていないはずだ。
というのも、あいつが番人的な存在で、おれを撃破したことで再び眠りについていたらの話だが。本来、現実的なことを言うなら奴はぶっ壊れた正門を死守するために門の前に立っているはずなのだが。
おいおい。
予想が外れていた。かすってさえいなかったのかもしれない。
おれは奴に殺された時、奴自身の斧で正門が破壊される瞬間を見ていた。だから、今もなお破壊されたままで、全力疾走してここから出ようと考えていたのに、裏切られた。
正門が綺麗に修復されている。
いや、攻撃なんてなかったことにされている。
やはり夢だったのか? あの激痛が、意識の揺れが、死という感覚が。現実的すぎるぞ夢ならば。あんなの悪夢でしかない。
ふとした疑問を解消するために右を向いた。おれが騎士に斬られた時ふっ飛ばされた方向。おれが大量の血を撒き散らし、内蔵を垂らし、赤の海を作った場所。おれが誰かに救われ蘇生されたり、リスポーンしたりしたなら、本来血痕があるはずの場所。
そこには何もなかった。
内臓も海も血も、そして死という事実も。
どういうことだ。何もかもなくなっている。ここまで来ると悪夢でしかなくなるぞ。痛みを伴う夢より恐ろしいものはない。
人を一瞬で二つにぶった斬るあの甲冑の騎士が丁寧に掃除したとも考えられないし、死ぬ寸前のトワイライトは何もできなかったはずだ。
鎖の音が、正確には甲冑の一部チェーンでできた防具の音が背後で聞こえた。
「――――あ」
おれは凄まじい神経を費やして何とか背中への斧の一振りをトワイライトの剣で防いだ。
「ああああああぁぁぁッ!」
しかし受けきれずに後ろへ吹き飛ばされる。驚いて正門の前まで歩くなど自殺行為だぞ、おれ。また同じ状況だ。今度は悪夢じゃない、現実だぞ、しっかりしろ、死にたくないだろ!
トワイライトの言った通りあれほどの一撃を受け止めた剣は壊れずに、刃こぼれもせずにいた。どういう理屈だ、いや異世界に理屈を求めるのは間違いか。
おれの目の前には生きているとは思えないような動きをする甲冑の騎士の姿がある。中庭にはもう石像がない。
こいつは誰なんだ。死に恐怖を覚えないのか。おれはこいつには勝てない、勝てるはずがない。警備員の防具を盗んだとはいえ、こんな奴甲冑を装備してもまともに戦えないぞ。
人間かよ、いやこいつが人間ならこの世界は異常だ。ロールプレイングゲームだと最後の方の中ボスくらいの強さだぞ。
「おい、待て! 取り敢えず話し合おう!」
試しにおれは叫ぶ。こいつとて言葉が通用しないでもないだろう。でなければ人を見て殺しにくる奴が牢獄にいるなどありえないのだから。牢屋にいる者、警備員の全員が殺されているはずだ。
驚くべきか騎士の動きが止まった。しかし何も言わない、喋らない。残念ながら口が見えないので開いているかどうかわからない。
まあなんだ、話がわかるじゃないか。
「おれはトワイライトという西の国の遣いから任務を受け継いで、東の国へ行く。そのためにはまずここを出る必要がある。通してくれ」
まさかこいつを倒すなんてことをおれはできないので、説得してここから出る必要がある。ほらどうだ門番よ、おれにはここから出る必要があり、西の国の遣いから命令されているのだ。つまりおまえもトワイライトに命令されているのだよ、ハズネ・ガクトを通せとね。
この西洋騎士、人間だろうか。おれとしては空間の歪みに耐えきれなくなった人間は死に、途中から異世界に飛んできたおれは空間の歪みを一度しかくらってないので死ななかったという仮説を立てたが、こいつが人間なら仮説は崩れる。
しかしこいつの体、右脇腹あたりに深い黒の紋章なんかつけちゃって、刺青みたいでかっこいい。無論、こいつはおれの敵だから本音ではないが、というか弱点はここですよと教えているようなものじゃないかばーか、という意味を裏に込めて思ったことだが。
それにしてもどうこの門を突破しよう。騎士は手出しできなくなったにしても門は壊れていない。つまり開いていない。おれの剣では破壊できそうにもないし、かといってスイッチがあるわけではない。
手で押して開くか? 別におれは引きこもりだからといって筋力がないわけでもない。ただ、なんか異世界という地にまだ慣れていないのか全身の動きが鈍い気がする。
おれが門に向かって前進した瞬間、鈍色に光る大きな刃が目の前に迫っていた。
「は――?」
気がつけばおれは空中で回転し地面に叩きつけられていた。一瞬いや刹那だ。感覚が戻り激痛が徐々に伝わる。特に左腕に感じる痛みと違和感。
視界がクリアになり、前に落ちているものの正体が判明した。汚い地面に落ちている肌色と赤色のそれ。生々しく吐き気がするそれ。
おれの腕だ。
さっきの一撃で腕を吹き飛ばされたのだ。あいつの斧、斬るというより粉砕する部類のもの、刀ではなく青龍刀だ。というかやはり言葉の意図が通用しなかった。
激痛が徐々に伝わりとうとう精神まで進撃し始めた。
「あああああぁぁ! 痛い、痛い痛い!」
殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される、殺される!
これは夢じゃないんだぞ、逃げろ、逃げろよ、おれ!
残った右腕だけで必死に立とうとするが恐怖の所為で足が震え中腰の状態にすらならない。息が荒い、痛みが脳を打ち付ける、心臓の鼓動が全身を震わせて破裂しそうだ。
自分でもわかる、この恐怖の強さを。自分でもわかる、この死との距離を。自分でもわかる、この臆病なおれ自身を。
「畜生、畜生、畜生、畜生! こんなところで死ぬわけにはいかないんだ! まだ死にたくないんだぁッ――!」
おれがそう全力発声で恐怖から自分を守ろうとした直後、おれに二度目の死が訪れた。
断末魔を上げる隙もなく、残酷に、冷酷に、不死はおれに地獄を見せつけるのだ。