第十八章 「世界の終わり」 2
「おれは時の旅人だ。これから言うことは全て迂回した言い方になるが、察してくれ、ユリア」
言語強制変換が効かない中で最も真相に近い言葉が「時の旅人」なのである。
しかしおれは今までに何度も彼女に『いろは』については説明しているので、その先を察してほしい。
「正確には過去に戻れて未来を知ったままでいられる。つまり時の遡行者ということさ」
「それで、世界を救う方法が見出せるの?」
「ああ、きっと。おれたちは現在進行中で聖職者の墓地を目指している。そこには初代国王が眠っている」
察しのいい彼女はこれだけでわかったようだ。
「そう、初代国王に会いに行く、おれのチカラで大昔に戻って」
「それで国王に頼み込んで〝過去を変える〟つまり〝現世のありかたを変える〟ということ?」
「その通り」
「けどこの現世をどのような世界に変えるというの?」
そうそこなんだ、重要なところは。
おれとサテルの案の圧倒的な差異。
「影の存在しなかった世界。おれはその運命に導きたい」
頼みは至って簡単だ。
「西の国を信じろ、と。他人を信じろ、と」
おれは頼みに行く。
全ての元凶は東西の対立にある。それによって追放者や影の世界といった組織が誕生した。
もし東西で「戦争」が起こっていなければ王の権力は問題なく機能し、影の侵略を阻止できるだろう。
「さあ境界線だ」
おれたちは影の目の前まで歩いていた。
しかしその物質は目には見えないがそこにあるという感覚はある、という変なものだった。
「入るぞ」
怯えていてはいけない。この程度で怖気づいては先が思いやられる。
ユリアの手を握り、踏み込んだ。
一気に空気が重くなる。
いや、胸が圧迫されている。
まるでストレスが異様にたまっているように、まるで自分の好きな人間が誰かに告白されている瞬間を目撃したように。
心が苦しい。
「なんだ、これ……負の塊みたいな……息苦しい」
数多の人間の死、そしてそれを忘れ去られる悲しみ、その理不尽さ、負の連鎖、負の塊。
そんなどろどろな、憂鬱で吐き気がするような、「影」と呼ぶしかないような空気。
ひょっとしたら既にアンナやサテルたちに忘れ去られているのかもしれない。
この時点で死んでいて、消滅していて、おれたちがこうして生きているのが幻なのかもしれない。
影の中では生命は死滅する。
ただその生命は死んだことを理解できない。
ゆえに客観的に見て死んでいて、主観的に見て死んでいない。
ただ、守護のおかげでなんとか生きながらえていると信じて。
歩みを止めない。
「結局、影ってなんだったんだろうな、なんで影っていう名前なんだろうな」
わかりきっている質問に彼女は答える。
「〝負の感情〟としか思えない。わたしも、息苦しい」
「負の感情か……」
「多分影は王の支配を陽としたときの影なんだと思う。陽が照らし、影を作るものは人間。だから、東都に不満を持っていた西の方から、その負の感情の大きい方を伝って侵略しているのかもしれない」
それなら昨晩泊まった村よりスークロックの方が先に飲み込まれるのも、王座が埋まったことで影がなくなったことにも説明がつく。
「だったらおれの解決策は成功の見込みがありそうだな。つまり、全世界のみんなが不満を持たなければいいということだろう?」
「そうなる」
東西で対立しなければ不満もなかったはずだ。
「不満のなかった過去、影が侵略しなかった過去に書き換えれば、現世では西都も存在する、どこも欠損していない世界になるはずだ」
もし成功すれば。
「カオティック・レコード理論に基づけば、おれの解決策でタイムパラドックスは起きない」
一、世界は唯一無二である。
意味、多世界解釈は否定されている。
二、運命は定まっている。
意味、過去から未来まで定まっている。
おれのようなイレギュラーがいない限りは。
三、世界は変動する。
意味、その運命を変えることは可能である。なぜなら世界は「幾つもある運命」間を移動するからだ。
ちなみにこの第三項によって運命を変えたとき、過去までもが変わることを定義されている。よって過去を変えることはできる。
四は三とほぼ同じなので省略。
この理論では運命を「可能性」として解釈している。
幾つもの可能性があって、それを一本の糸として例えている。
例えば、売店で一つりんごを買おうと悩んで、買ったとする。
悩んでいる瞬間に二つの「可能性」が形成されることになる。
そしてその内買う方を選んだ。
さらに言えば買ったことを運命づけられていた。
これによって未来ではりんごが買われていた、つまり売店から一つない世界が続けられている。
これが「可能性」。
ただ、ここでおれのような過去に戻って運命に干渉できる人間が、買わない方を選んだとする。
すると世界は元々「りんごを買う運命」の糸から「りんごを買わない運命」の糸に移動する。
これが変動。
全て可能性なんだ、こうかもしれない、そうなるのかもしれない、という「かもしれない」が世界のあり方。
幾つもある運命。
よりスケールの大きい話になると第五項にも関わってくる。
この理論を詳しく読み解けば、まるで量子力学のような、観測が絡んだ話ができる。
前提として、この話は世界についてではなくいち個人についてということを理解する必要がある。
まず、この理論には観測者とそうでないものが存在している。
例えば、ユリアを観測者とするならばおれの『いろは』によって何度も自分の運命を変えられてきた。おれの殺害を決意していた運命から、おれの仲間になるという運命に。
そう、彼女はあらゆる可能性を変動し続けていた。
だが、観測者をおれに変えたとき、話は変わってくる。
おれが『いろは』をつかって他人や世界の運命を変えたとしても、おれはその行動を常に観測しているのだから、「おれが辿るべき運命」はそもそもこうであったと考えることができる。
つまり、おれはおれの運命は変えておらず、何度も死んでは時間を遡って、という行為が決められていた、ということだ。
なにがいいたいかというと、運命というのは個人の話になると変わってくる。
しかし、もしおれがこれから「影の存在しなかった世界」に書き換えることができたのなら、どうなるか。
それがおれの既に定まっていたことだったとしても、おれ以外の全世界の人間と世界そのものの運命が変動することになる。
この大きな変動を「イレギュラー・アップデート」と呼ぶ。
そして第五項。
五、変動後の世界の過去は運命に沿って再形成される。特に変動が大きい際には過去改変が行われず空白が生じる。
おれ視点で話が進んでいたが、今度は観測者をユリアに変えたとする。
ユリアがこの場で「世界から影をなくした」とおれに告げる。
するとおれの持っていた記憶と完全に食い違う。
その瞬間、世界は生めることができない穴を作ってしまう。
矛盾を曖昧にしてしまうのだ。
恐らく、今この瞬間も、おれの気付かないところで、おれが他人に作らせてしまった、「穴」が存在しているのだろう。
「話が長い」
「ちょ……すごいざっくりと言ったな。それにまだ本題に入って……」
ユリアが結構鋭い目でおれを睨んだ。
「もうここまで話されればわかる。第五項によってタイムパラドックスは起きない」
「簡潔にまとめやがった……!」
そういうことだ。
矛盾は曖昧になる。
つまりタイムパラドックスも曖昧にされてしまう。
その所為で世界が滅びるとか、そんな心配はいらないということだ。
「ミッシェルまであとどれくらいだ?」
そろそろ歩き疲れてきた。相変わらず影が体力と精神力を奪ってくるのだ。
「あと少しのはず」
「距離は?」
聞いたおれが馬鹿だった。
ユリアの答えは驚くべき距離で、この世界ではこれくらいの移動は当たり前みたいな感じだったが、おまえらは京都から江戸を行き来する建築士か、と素直に思った。
そんな会話をしているおれたちの前に一つの影が現れた。
なんて「影」と使ってしまうと、まるで今まさしくおれたちが中にいる影に聞こえてしまうが、人影のことだ。
そして現れたものこそ、人影の順序を逆にした、影人だ。
おれは剣を抜く。
さあ実践だ。




