第十七章 「新たなる未来」 1
虚無感が込み上げる。
蘇ってみればそこは丘で、つまり〝巻き戻しがきかない〟ことを意味していた。
もう、彼女を救うことはできない。どんなに謝罪をしても、懺悔しても、懇願しても、絶対に彼女が帰ってくることはない。
再び笑顔を振りまくことはない。
世界樹の下、おれはなにもかもどうだっていいと薄ら笑いながら、地面に突き刺さった、まるでエクスカリバーのような剣に近寄り、引き抜く。
これが努力者の忠誠の剣。
クリスタルが輝いている。
「その剣を渡したまえ」
背後から女性の声だ。冷静でいて、人を見下している声。
忘れるはずもない声。
「おれはこいつをおまえに奪われないようにするためにここに来たんだ」
サテル・ヴァロンツェッヒ。
彼女はおれの肩を叩いた。そう、人間の反射速度を超えた速さで間合いに入り、肩を叩いたのだ。
「ははは、知っているよ。かの貴族、リーナ・ヴァラウヘクセを殺したのはきみだ。そしてその〝影を拒絶する守護〟を彼女から奪ったのもきみだ」
さて、と続ける。
「今回の件において、わたしは何も手を汚していない。感謝する、実は彼女の持っていたクリスタルが証か守護か考えていたのだよ」
「ならなぜリーナを殺そうとしていた」問わずにはいられない。おまえのせいで運命が劇的に変わったのだ。
「証でも守護でも、のちのち邪魔になってくるのは想定済みだからね、ヴァラウヘクセ家が」
確かに言われてみれば別の未来でヴァラウヘクセ家は除け者にされていた。貴族の友好関係は全くわからないが、実はケルビンズ家とはそこまで良いわけではなかったという可能性が高い。
あれだけ激怒しておいて、空回りしたのか今のおれは非常に冷静でいる。
サテルは敵だ。だが、それゆえに情報源ともいえる。こいつは言語や心理を重要にする人間、頭を使えばおれでも対等に渡り合えるだろう。
メリットのないことはせず、デメリットのないことはしてもよい。
それがこいつだ。
「サテル、一生のお願いがある」
言葉の通り一生のお願いだ。どうせこのあとも死ぬのだから。
「ほお、感情だけで動いていたきみが、ようやく動いたか」
「……そのまえにこれは今この瞬間気になったから聞くけど、やっぱりおまえはいつでも冷静だよな。まるでおれに対する敵意識がない。さぞ仲間になってもいいと考えているようだ」
「その通りだよ、少年。わたしはきみの不思議を高く買っているんだ、仲間になってもいいと思っている」
「まあおれからしたら御免だけどな」
「それで、一生のお願いとはなに」
サテルはにたにたと笑っている。
それが、どこか――。
「おれになんでも聞けることを条件にこれを受け取ってくれ」
「なに、ラブレター?」
「ぶっ殺すぞ、こっちはシリアスな話をしてるんだ」
おれはポケットからクリスタルを取り出し、投げ渡した。腹が立ったので高めに投げてやったが彼女は謎の跳躍力でキャッチしやがった。
そして視線がクリスタルに落ちる。
とはいえ別に視線誘導をしたいわけではない。
これを見た彼女の反応は面白いものだった。
「おまえは同じものを持っているはずだ」
そう、これは影を拒絶する守護。
元々リーナが持っていたものだ。
「遺品じゃないのかな、大切にしないで大丈夫かい」
「大丈夫じゃないな。けど遺品じゃないといえば遺品じゃないから」
そう、これでおまえから聞き出せる情報がある。
「自分に使え」
そう命令すると彼女は納得したようだった。
笑いながらクリスタルを地面に叩きつける。下は草だというのに音を立てて崩壊したクリスタルから光が出て彼女の中に入っていく。
そしておれはたずねる。
「トワイライト・マックスフォードという少女を知っているか」
サテル、もといサテライト・マックスフォードは馬鹿のように笑っていた。
ゆっくりと答える。
「ああ、知っている」
珍しく、動揺している表情で彼女は語り始めた。
「トワはわたしの一つ上の姉だ。そして追放者のリーダーだった。現在じゃあいつは影に飲まれ、わたしがリーダーということになっているが。しかし一週間前に解散したしこの表現は正しくないかもしれない」
「一週間前に何かあったのか」
「わたしがトワに殺された」
サテルは死んでいる。リーナと同じ状態になっている。死んで、死に切れず、ただ生き延びているだけで、生の核は心臓からクリスタルに移っている。
「元々追放者は二つにわかれていてね、わたしはアンナたちを率いてトワと対立した。原因はまるで宗教レベルで馬鹿なことだ」
おい、おまえ消されるぞ。
「敵を救うか、敵を敬うか、そんな争いだ」
「どっちも善いことじゃないか」
「ああ、両方できたのならな。どちらも死は揺るがないが、救済と尊重は全くの別物だ。敵の死体の四肢を切断し心臓に杭を打つか否か、いつどう語っても馬鹿げた話だ」
アンナがおれに語ってくれた話だ。追放者の中の対立。
「ただしそれだけなら馬鹿げた話だった」
「何かあったのか」
「まず、トワは残酷な殺し方を嫌った。わたしまでぶっ飛べば慣れるものの、死体をさらに切り刻むのは案外精神にくるものがある」
当たり前だ。
「そんなあいつがわたしの仲間を一人、殺した」
「トワイライトが?」どうして、あいつはそんなことしない奴だろうに。
「敵、と言ってきたが正確には〝影の世界〟だ」
恐らく初耳だ。
「影の世界には元々独裁による完全なる統治という目標があった。表ではケルビンズとエクセラクロが動き、住民情報の記録と管理の国営化を政権公約に掲げていた」
未来、影の世界は公約に従って独裁という形で完全なる統治を遂行していた。
「そして裏で動いていたのはわたしたち、追放者だ」
「アンナも、元々は影の世界の一員だったということか?」
「そうだ。ただ彼女はすぐ立ち去ってしまったがね。わたしたちは独裁を悪いものとは思っていなかった、そのため利潤の得れる方についたのさ。影の世界はある意味国家組織だからね」
「それでトワイライトとより対立して……」
「追放者は本来、ディシヴァシーラの遣いだった」
初耳、おれは衝撃を受けた。
「そうなのか」
「東西のバランスを取るために派遣された団体だった。しかし当時西都の王の権力は弱く、それゆえに東都の王は自分を暗殺しに来たのだと思い込んだ。その団体は監獄に追放された」
「だからトワイライトはなにも恐れずに追放者の監獄で西都の王の遣いだと言えたのか」
「む、きみはあいつにあったことがある……いや憶えているのか」
「ああ、おれはトワイライトと同じく体内に守護を宿している。あいつの死に際に立ち会わせたよ」
それはいい、話を戻してくれとおれ。
「トワがわたしの仲間を一人殺した。それこそが一週間前の話で、わたしと彼女に完全な溝を作り上げた事件だ」
話の真相が徐々に明かされていく。
「死体は四肢を切断され、心臓に杭が打たれていた。トワが殺意を持って人を殺した」
心なしかサテルは拳を強く握った。
「わたしは激怒した、だからすぐにトワを殺しに行った。と思えば彼女は既に影人の攻撃を受けていて、死に損ないとも言えた。あれは一生で最大の油断だ、わたしは不意を突かれそんな彼女に殺されてしまった」
「一撃で……?」
おれはある推測を立てた。いや、衝撃を再び受けた。
「そうだ」
まさか、トワイライトもあの必殺の紋章が見えていたというのか。
「種を明かせばなんてことない」
「わかったのか? 必殺の紋章が!」
「ああ、わたしの場合は紋章ではないようだがな」
わたしの場合は?
ということは。
「どうやら守護を宿している人間は生の核の場所を知ることができるのだろう。今一撃でおまえを殺せる自信がある」
「おれも、見えている……」
彼女の装備のポケットの中、クリスタルがあると思しき場所に紋章が現れている。
「恐らく影という不純物を完全に拒絶しているからではないのかな、きみは今影が侵食している先の風景を見渡したことはあるか?」
「ある、見晴らしの丘で」
追放者の監獄が見えた。
「それほど影を認識しないようになれる。クリーンに見える」
だから生というものを形として認識できる。
「閑話休題だ。わたしは死亡し、持ち合わせていた守護によって復活した。恐らく彼女は西都で受けた使命を全うするため後継者を探しに監獄に行ったのだろうさ」
これが、わたしの話せる全てだ。
サテルは手の内を明かした。
「おまえ、良い奴だったんだな」
「ふふ、人間はいつだって自分にとっての善行をしたくなる生き物さ、それがトワたちにとって悪行になっていたことは言わずもがなだが」
さて、と彼女は手を叩いた。
「きみの手の内を明かしてくれ」
おれは『いろは』のこと、この先の未来のこと、トワイライトのことなど、おれが異世界人であること以外の全てを話した。
彼女は聞き入った。
しかしおれは自分を語っていることであることに気がついた。
そう、この世界の全ての謎、「なぜおれは異世界に転移したのか」「なぜ転移先が牢屋だったのか」が解決したのだ。
それは同時に最低の解決方法であることを理解した。
おれの名前はハズネ・ガクトなんかじゃない。