第十五章 「アフターストーリー」 2
結論を言ってしまうと、おれは再び逃亡した。
王城の近くで起きた事件は、無職の男がただうっかり門の近くを通り過ぎた所為で尋問を受け、ただの言いがかりで王の前に突き出されそうになっていた、というまだ些細な事件が発端になった。
男にも悪いところはある。彼は記録制度を無視し続けた。無職ということもあって言い訳が通用する力もなく、手錠をかけられ、門の奥へ連行されそうになった、そのときだ。
事件は起こった。
ユリアが男をかばったのだ。
最初は門番に口論で言い負かそうとしていたが、自分が上級者であると勘違いしている馬鹿門番は結局暴力に頼ったのだ。
咄嗟の行動だったのかユリアが門番を蹴散らした。これはレジスタンスが政府の関係者に手を出したと言っても過言ではない。
政府の増援もやって来て、見ていられなくなったのか優しい殺人鬼アンナも参戦し第乱闘が勃発。
そこへさらに参戦してきたサテルがレジスタンスのメンバーを全員始末した。
これは野次馬から聞いたことだが、どうやらユリアはサテルを見るなり、ぶっ殺してやると叫んでいたという。
彼女はそもそも殺意でしか動いていなかったのだ。レジスタンスも恐らく殺意を晴らすために結成したにすぎない。
全てが終わった今、王アーマードはレジスタンスを解体するため見せしめとしてリーダーであるユリアとアンナを死刑に処し、冤罪にかけられそうになった男を無条件で無罪にすると宣言した。
王城の門の前、大通り、野次馬の中心に十字架にかけられたユリアとアンナの姿が見える。
おれはあの夜の惨劇を思い出した。ユリアはいまもあのときと全く変わらない表情を浮かべている。
きっと恐怖も全く同じなのだろう。
なぜならギロチン、つまり処刑道具が目の前にあるのだから。
ふとユリアと目があってしまった。
情けなく目を丸くしたのはおれの方だろう。おれは恐れているのだ、彼女に殺されることを。
おれは彼女に憎まれている。リーナが死亡することを知っていながら見捨てたのだ。憎まれて当然の存在。
葛藤が起きた。おれは彼女が嫌いではないし、今でも仲良く話せるなら話したい。ずっと平穏な日々を送りたい。
もしおれの人生を物語に例えるなら、ユリアルートに進みたい。
未来もずっと彼女といたい。
しかしそんなことが叶うはずがない。もう、おれと彼女は相容れない関係になったからだ。もしも拘束されていなかったらおれを殺しに来ただろう。
憎まれているんだ。
憎まれて当然のことをしたんだ。
大切な人間を失うことを自分の命を失ってまで知っているおれが、大切な人間から大切な人間を奪ったのだ。
だからおれは逃げた。
野次馬から遠く離れた、十字架が見えなくなるまで走った。
また、おれは大切な人を失うんだ。
ユリアとアンナ。
どちらも好きだった。
おれは見殺しにするんだ。
「あいつら、今きっとおれの悪口を言っているんだろうな、全力で怒鳴っているんだろうな。人生の最期だぜ、もう愚痴を怒鳴り散らしているに決まっている。おれみたいに」
自宅のような拠点に戻って、天井ではなく窓の奥で悠々と流れる雲を見ながら呟いた。ここはこの建物の中でも特別よく空が見える場所だ。まさかこんな気晴らしに使えるとは。
「さすがに自意識過剰かな……いやそうでもないよな。おれ、アーマードのこと全力で殺したいと思っていたからな……」
大切な人を殺されたもんなら犯人を憎むのは当たり前だ。
それはおれが一番理解している。
「いつ彼女らは死んでしまうのだろう」
いつ冷たくなってしまうのだろう。
そう遠くはないはずだ。
物体は、この世に存在する限り必ず死ぬ。
人間は死ぬのだ。
命日が早まっただけ。
そうさ、そう考えてしまえ。
とうとう全ての大切な人を亡くしてしまった。失った。喪った。
そんな世界でいち国民としてのうのうと生きていくのか。
影は消えた、もう有限じゃない。
おれはここで生きて、ここで死ななければならない。
ここに埋められなければならない。
ふと母親のことを思い出した。
母親は急病で入院している。
しかしおれは「面倒くさい」というクソ野郎の言う理由で見舞いにしばらく行っていない。
おれはここで多くのことを学んだ。
自分や他人の死。仲間の大切さや裏切り。
おれはこんなところで絶望していていいのか。
自分自身を鼻で笑った。
このとき、実は刃こぼれしないのではなく極限に硬いだけだと近頃判明したトワイライトの剣を握っていたのは、正義ある無意識的行為だと思いたい。
おれは全力で走った。
まるで自分のわがままの所為で処刑されるセリヌンティウスを救うために走るメロスのように。さすがに裸にはならないが、爪先の爪が剥がれそうになるくらいには全力疾走をした。
走りながらおれは剣を構え、全てを自分の無意識下に、腹が立ったときに怒鳴ったりバットを持ったときにとにかく振り回したいような「こうでなければならないという理想の衝動的動き」に身を委ねた。
これからは全て、自分の心の底にたまった不純物を原動力に動く。
言ってしまえば、全て鬱憤ばらしのヤケクソだ。
おれは人生で初めて大量の人間をただの力でかきわけた。
「まだ諦めるなぁぁぁ!――アンナ、ユリアぁぁ!」
王城の前。野次馬をかき分けて執行人に向かって飛んで行く。
ただでさえ重い剣を片手で握る。
そして追放者の英雄を倣って、体全てを使って剣を振る。
「絶対に救ってやる! 罪滅ぼしは受ける、おまえに殺されなきゃおれも死ねないんだよ! おまえも、おれを殺すまで死ぬな!」
執行人を次々と斬りつけていく。思えばこの剣に純粋な人間の血がついたのは初めてだろう。よく憶えていないが。
きっと彼らは死んでいない。人間とは意外と丈夫であることは把握している。腕の一本斬り落とされたところで死なないのだ。
あらかた近くの武器を持っている政府の人間を戦闘不能状態にさせると、ユリアとアンナを十字架から離して、ユリアの手を取って逃走を開始する。
「アンナ、ついて来い!」おまえの手は握れないのでそのご自慢の体力でついて来い。
「あ、ああ」とアンナ。なんだ情けない声をして。
おれは逃亡した。
何から?
それはもちろん敵からだ。
おれたちはとにかく走った。延々と、永遠と。
東にあったはずの太陽が気がつけば頭上を通過して西に移動していた。
目的地とは言えないが、アーヴァシーラの壁の外に出ることができた。壁の外は既に草原だ。おれたちは壁に沿って門から遠くへ歩いて、壁に寄りかかった。
「さあ、憎むべき存在は目の前にいる。もう覚悟はできている」
そういっておれは壁に腰を下ろして休憩しているユリアに剣を差し出した。
彼女が立ち上がる。ちなみにおれはずっと立ったままだ。
自首さ、どこから繰り返すかわからないが、今度は事件そのものを起こさないよう、おれとユリアたちがもう二度と会わなくていいようにするか。
とにかくおれは生きていていい存在ではないのだ。
しかしユリアは剣なんて払って、おれの頬を叩いた。
「馬鹿……」彼女は珍しく泣きそうに見えた。
その通りだ、とアンナ。彼女はおれの剣をひったくり、地面に突き刺した。鞘はそこじゃねえのにな、なんておれは心の中で突っ込んだ。
「ガクト様。教えて、あなたのことを」
ユリアが真正面からおれにそう言った。




