第十四章 「破滅」 2
意外性を求めすぎると物語は破綻する。
物語の面白い面白くないを判断するのは人間の好みであるため、面白さに関して優劣をつけることは許されない。
しかし物語の上手い下手を判断することはできる。
一般的に、破綻した物語は上手ではない。
例えば、主人公は実は人より何百倍も優れた演算能力を持っていて、幼馴染は敵組織と繋がっていて、新しい友人は自分を監視する存在で、消えたはずの仲間はいずれ戻ってきて最後の強敵を倒す。新たに出た三人のキャラの内一人は他の一人を騙し、もう一人は騙した側に寝返ったふりをしていた。これらの意外性を起承転結全体にまんべんなく散りばめる。
その物語は間違いなく破綻している。登場する全てのキャラには読者にも内緒の裏の顔があって、それを毎回のように実は実はと明かしていく。
これを面白いと思う人はいよう、だが上手ではない。
意外性は多ければいいという問題ではない。
意外性がそのまま意外であれば面白くないのだ。
信頼していた仲間が、なんの素振りも見せないまま、いつか実は敵であったのだと正体を明かす。読者は主人公とそうだったのかと全く同じ衝撃を受ける。
しかし主人公はこの際「そういうことだったのか」とは思わない。読み手を混乱させてはならない。上手な書き手はトリックを混乱させずにショックに変えるのだ、「そういうことだったのか」となるように。だからあのときそう振舞っていたのか、と。
意外性は伏線あっての意外性なのだ。
「きみの人生は意外な終わり方をするのだろう、ハズネ・ガクト」
目が覚めればそこは地獄だった。
館の地下室と思しき部屋の中心に火のついた蝋燭が三本。
おれは鎖で両手を天井と繋がれ、足を一つに枷でまとめられ、吊るされている。
目の前でサテル・ヴァロンツェッヒがナイフを持ってにたにたと笑っている。
左のほうにユリアが見えた。
彼女は一糸まとわぬ状態で机の上に大の字に四肢を固定されていた。
既に見ていられないほど、残酷な光景だった。
「おまえ……いったい何がしたいんだ」
おれは怒りを喉あたりに潜ませてただ尋問する。
「意識を奪う前に聞こえなかったかな、遊ぶんだよ」
「人の命で遊ぶのか! このクソ野郎が!」
「正確には人の命を弄ぶ、だ」表情を変えない。こいつはきちがいだ。狂っていやがる。
「ユリアを開放しろ、おれはいいから、彼女だけは」
「嫌だ」悪魔は笑う。このときには既にユリアも目を覚ましているようで、脱出方法を探っていた。「嫌に決まっているじゃないか。きみはチェスでボードに駒を並び終えた後、戦わないまま席を外せと言われて、その指示に従うのかい」
こいつはいちいち、いちいち、不快なことしか言ってこない。
「それともなぜわたしが影の世界なんかに入っているのか、という質問かな? 生憎だけど、尋問をするのはわたしのほうだ――いや拷問かな――いずれにしてもわたしはきみたちから聞き出す情報なんて一つもないのでただの遊びにしかすぎないのだが」
「お――」
「おまえは何者だ、なんて言おうとしたのかな。まあいいでしょう、それには答えるとするよ。確かわたしが吹き飛ばした後にアインツヴァイがきみに教えようとしていたこと」サテルはユリアの裸体を触りながらおれに言う。
アンナが死んだ、リーナが死んだ、アーマードが敵だった、王の証が完成してしまった。
この夜だけで幾多の死と裏切りと敗北を経験した。
おれは絶望し、ユリアは激怒している。
「そう、わたしはサテライト・マックスフォード――二週間ほど前までは『追放者』のリーダーだった者だ」
予感だったのかもしれない。おれはその可能性を考えていた。けれど否定を続けた。トワイライトは弱者を救うような人間だ、その姉妹だか親戚だかが弱者を虐待するような殺人鬼だとは思いたくなかったからだ。
「現実は厳しいものだ、なあそうだろう」
「おまえがサテライトならアンナがわかるはずだ」
「そう、きっとわたしが死んでいなければあの娘には一目で気付かれていた」
「死んで……」なにを言い出すのだ、こいつは。
「わたしは死んでいる。死んで、生き返ってもない、ただ死んで、死にきっていないだけだ」
「なにがいいたい」
「わたしは影人なんだ」
まあ待てとおれの言葉をサテルは制した。
「これを見ろ」と奴はポケットの中からクリスタルを取り出した。
「忠誠の証……いや、違う、まさか」
「そう、これは、いやこれが〝影を拒絶する守護〟だ」
だったらおまえは影人にはならないはずだ。ただ効力が弱いだけならサーシャルトスみたいになるだけだ。
「よく思い出してみな、影の対処法を」
影の対処法、影人化無効の方法。それは、矛盾した存在には矛盾を、というもの。
そう、外には内から、内には外から。
「その通り。影人になるためには影を体内に吸収する必要がある。つまり影人にならないために守護を使うならば、外にある影を拒絶する必要がある。そのため体内に守護の光を秘める。逆に影人になったが、体内にある影を取り除いて人間に近づくためには体の外に守護を秘める必要がある」
そしてと続ける。
「影人になった者の過去は消えるんだ。わたしは二週間ほど前に何者かに殺された。それより過去のわたしを良く知るものは全員わたしの顔を忘れていた。同じように、影人になった英雄サーシャルトスに関連する書籍から情報はほとんど消えていた。影人になった罪人レーゼの伝説は曖昧なまま語られた」
おれは最悪の事実に気が付く。
「意外と鋭いね、その通りだ」
なぜサテルは仲間に、努力者の証はわたしが手に入れると言ったのか。
なぜリーナはクリスタルを手放すと死にそうだと恐れるのか。
なぜリーナは死んでいなかったのか。
なぜたった一晩でリーナの背中の傷は完治したのか。
「リーナ・ヴァラウヘクセは影人だ」
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
そんなことがあるか、今までずっと笑い合っていた彼女が、死んでいた、そんな話ありえるか。
「彼女が大事に持っていた巾着の中のクリスタルは証ではなくて守護だったんだ。だから、ケルビンズが破壊した後、影を取り込んで影人として復活した」
「だから……」ユリアが驚愕の表情を浮かべていた。
「そうだ、彼女の過去は非常に曖昧だ。きみは彼女の幼馴染だ。六年以上前に知り合っている。しかしきっときみは彼女の過去をあまり憶えていない、そうだね? ヴァラウヘクセは死んだ、そのとき近くにいた何者かが彼女に守護を与えた、そのことが曖昧にされている」
辻褄が全て合ってしまう。
最悪な方向に。
「さて、そろそろわたしに遊ばせてよ」
その宣言としてユリアのむきだしにされている腹にナイフの峰を当てた。
ナイフの冷たさと屈辱にユリアは奥歯を噛み締めているようだった。
「やめろ!」
「やめない、楽しいことは飽きるまでするのが人間として当たり前だから」
おれもここから脱出する方法を探る。施錠魔法とかそんなトンデモなことをされない世界なんだ。枷の耐久度を勝れば壊すことができる。
大の字に固定されているユリアは手錠を外そうと試みるが、ただ金属音が虚しく響くだけだ。
「こんな非人道的なことをして楽しいのか!」
「楽しさというのは好みの問題だ。わたしは戦争を知的なゲームと考えている。そしてゲームには勝者と敗者がいる。わたしは勝者だ、だから敗者の命を戦利品として受け取った。私物をどう扱うかは所有者次第だ、例え非人道的なことだとしても、わたしが楽しいと言えばわたしは楽しめる」
「サイコパスだ……」もう口で言い負かしてやろうなんて気は微塵も起きなかった。
根本的に感性が違うのだ。
「物語には起承転結がある。けれど人生にはない」サテルはユリアのそばに立っておれを見ながら、ナイフで遊びながら語り始めた。「正確には承と転がない」
この前と同じだ、ユリアにナイフを向けて、外して、いつでも攻撃できることを示している。
「逆に言えば人生には起と結がある」
おれとユリアはまだ必死に抵抗をしている。
「終わらない物語が存在しないように、終わらない人生も存在しない。必ず結がある」
サテルがナイフを振り上げた。その直後。
「このようにね」
とユリアの右腕の表面を深く斬った。
「ああ……!」
痛みに堪えるユリア。腕から血が流れ出る。
「やめろ……やめてくれ、やるならおれにしてくれ、彼女だけは!」
「それはしない。わたしは考えているんだよ」
人は根源に思考を持っていてそれは他人と合致することがない。その危険度も完全に異なる。わたしにも無論、その思考は、思想は存在する。
「物語には起承転結があって、人生にはない。その理由を教えてあげようか?」
悪魔は笑う。咲う、嗤う、嘲笑う。
「起承転結のない物語は面白くないからだよ」
奴は二度と手拍子をする。おれたちはその音によって強制的に意識を取り戻す。
「きみたちの人生は面白かったかな? 転と結がかなり近い位置にあったようだけど」
こいつは気が狂っているんだ。性根が狂っているんだ。存在ごと、おかしいのだ。
「逆に、面白いと思わない? 人間はこんな残酷な状況に面白みを覚えて、こんな卑猥な状況に性的興奮を覚えるんだ。人の命が、絶対に救われないはずの命が、檻に囚われたまま、檻の外からの攻撃にただただ従うしかできなくて、いずれ奪われる。こんな状況を人間は求めてるんだ」
サテルは再びナイフを振り上げた。
「ああでも安心して。わたしは性行為に興味があるわけではない。だからきみの服を脱がせるつもりはない」おれに狂気的な笑みで言う。
やめろ、おれはそう怒鳴るしかなかった。
「それに獲物は一人で食べたいタイプだから誰も連れてきたりなんかしない」
ナイフを振り下ろさず、そのまま下げた。そして空中に投げ始める。
柄をキャッチする音が耳から入って鼓膜を震わせて脳を混乱させる。
サテルはよりいっそう狂った笑みを浮かべて宣言した。
「女性には陵辱を、男性には搾取を」
どちらも残酷で卑猥で美しく見える方法、ただそれだけだ。
そう言ってナイフを逆手に持ち振り上げる。
そして振り下ろす。
「ああああああぁぁぁぁぁ――!」
ユリアの腹にナイフがそのまま突き刺さった。
瞬く間に血が溢れる。彼女の体が震える。痛みに断末魔を上げ、涙を流している。
「わたしは考えている。実在しない〝心の痛み〟は存在すると。きみの心は痛くならないか? 大切な人間の命が弄ばれている。腹の中を抉られている」
もはや声すら出なくなった。
目の前の残酷な状況を信じることができなくなり、完全に理性が死亡していた。
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ。
「ごめんね、わたしが男じゃなくて」
サテルが机にのぼりユリアの腹に刺さっているナイフをいい加減に抜く。
「あああああ!」
「男ならもっと、綺麗に切り落とせるからね」
そしてそのナイフをユリアの腕に当て、踏みつけた。
ユリアの左腕が地面に落ちた。
「あああああああああぁぁぁ!」
大量の血が地面に舞い散り、海を作る。悪魔の笑い声がこの場をよりいっそう地獄に変える。
おれは果てしない罪悪感に襲われた。少しでも余所見をすれば罪悪感に殺されそうになっていた。
ただただユリアが虐待され、死にいく姿を、絶叫をして断末魔を上げて、苦痛に苦痛を重ねた悲惨で残酷な光景を見ることしかできないおれは生きていていいはずがない。
今度は腹部に再びナイフが刺さった。傷にそのまま再びナイフが入るのだ。
そこで内臓をかき混ぜるように回す。
ユリアの断末魔が上がる。
おれはなにをしている。
体を抉られて苦痛を強いられて、死ぬことができない彼女を見ることしかできなくて、なにができるというのだ。
おれは生きている意味がない。
例え『いろは』という不思議な能力で生き返ったとしても、生きる価値がない。
ああ、罪悪感におれは殺されていた。
「おれを殺せ……」
「ふふ、そろそろこの娘が死ぬところだ」
気が付けばユリアの断末魔がなくなっていた。
彼女の顔は完全に生を失っていた。どこにも焦点が合っていない眼、力なく開いて閉じない口。
返り血で真っ赤になったサテルがこちらを向く。彼女の表情はユリアと正反対で生に満ちていた。
狂っている。
そう表現する以外ない。
「死亡を確認。さて次はきみか。きみは自殺を図っている。けれど自殺とは一番されたくないことだ。戦利品は自分の手で壊す」
そう言いながらサテルはおれの枷の鎖を全て断った。
しかし逃がすはずもなく、髪をつかまれ、無理矢理ユリアのもとに運ばれた。
「死ぬなら同じ場所がいいだろう、それに最後くらいは裸に触れておかないとね、大切な女性なのだからね」
完全に力の失せたおれの体はユリアの無残な死体の上に乗せられた。
視界が暗転した。
そしておれは雨の音で覚醒する。
覚醒先はリーナが殺された広間の隅。
おれはそこで呆然と立ち尽くしていた。




