第十四章 「破滅」 1
剣をその場で落とした。手の内からすり抜けた。
「あ……アーマードさん……なんで……」
アーマードさんがいつもの微笑みを崩さずに振り返る。その笑顔が今はまるでジョーカーにしか見えなかった。
にわかに信じることができないことが起きていた。
「気がつかなかったかい、ぼくは『影の世界』の一員なんだ」
「どう、して」
「現在の最高位権力者はアヴァリナ・エクセラクロ、そしてぼくは新王の候補者。これでぼくが影の世界の一員かは十分でしょう。そしてなぜぼくがきみと仲良くしていたか、きみたちは忠誠の証を二つも確保していた。なら奪う以外選択肢はないだろう。そのために、懐に潜り込んだのさ」
「アヴァリナ……?」
「わたしだ」
奥から一人の老人が歩いてくる。おれはこいつを知っている。忘れるはずがない。
「バルサネ・ブルーノ!」
「それは偽名だ、いやアヴァリナが偽名か、わたしは二つの顔を持っているのだよ。冷徹な執行人と反王政組織の元締めという顔を」
「この通りだ」とアーマード。
「どうしてリーナを殺した!」
「正確には死んではいない。ギリギリ生きているがもう数分で死ぬような状態にした。理由は簡単だ、彼女の忠誠の証を奪うためだ」
「ふざけるな! 殺すことはないだろ!」
「彼女は拒絶した。ぼくも女性を殺す趣味はないからね、交渉はしたんだ、けれど拒絶した、だから一度腹部を斬っただけだ」
おれは剣も持たずにアーマードに飛びかかった。
「そんなことで、人の命を奪うな!」
「それならきみはどうなんだい」階段の上から女性の声がした。
その女性の顔を視認したところでおれは空中に舞った。アーマードに殴り飛ばされたのだ。
地面に落下して急いで態勢を整える。もう一度女性を見る、こいつもおれは知っている。
サテル・ヴァロンツェッヒだ。
「きみは堅実者の証を手に入れるためにアーリー・パトシオットを殺した。それとどう違いがある」
おれはアーリーを殺した。彼はまだ影人と人間の狭間にいた。
「なぜおまえはおれのしてきたことを知っているんだ! ユリアがおれを殺そうとしていたことも全て!」
「監視していたからだ。ずっときみを。きみは凄い人物だった。まるで未来が見えているように行動し、状況を良好な状態へ持って行った」
監視していただと。しかしそうでもしないとわかるはずがない、おれが何をしてきたか。きっとおれがバルサネ・ブルーノに捕まったときからずっと監視していたんだ。
アーマードは巾着の中身を開けた。その中からクリスタルを出す。
「これで全ての忠誠の証が揃った、王の証が完成する」とアーマード。
「全てって……まだ聖職者の証を持っていないじゃないか」
「自惚れるな」サテルがにたりと笑う。「証を入手したのはきみだけではない。わたしたちはきみたちがまず後回しにするだろう聖職者の証を先に狙っていた」
バルサネ・ブルーノが王の証を見せつける。
本物とレプリカは全く同じ大きさであったが、ただ本物は豪華な王冠に装飾されていた。そしてその本物の中の光の強さは一層強かった。
きっとあの中に聖職者の証と英雄の証、おれが手に入れた貴族の証と堅実者の証が吸収されているのだろう。
アーマードさんが努力者の証を割ろうとしたその瞬間、二階で凄まじい金属音が鳴り響いた。
「ガクト様! アーマードさんを!」
「ユリア!」
ユリアがサテルを攻撃していたのだ。不意打ちにすら負けないサテルを見るなり、彼女に任せるしかなかった。
アーマードさんを視認する。彼の「絶対に死ぬポイント」はみぞおちあたりに存在した。あの紋章のことである。
「遅いよ」とおれの攻撃を待たずにアーマードさんがクリスタルを投げ割る。
ほぼ同時にユリアがサテルに薙ぎ払われおれより後ろに落下する。
「ユリア、大丈夫か!」
「ガクト様……サテルは……」
ユリアのかすれた声を、必死な言葉を笑い声が遮断した。
「これで王の証が完成した、全ての目標が達成され、次の段階に移行する」
ブルーノだ。ブルーノが、もといアヴァリナが哄笑する。
「アンナは……あいつはどうした」
おれは呟いた。おれはやはり無力だ。たった一人の少女どころか、一つのクリスタルも守れない。
「アンナ・ヴァルシアはわたしが殺しておいた。きみたちは彼女を過小評価しすぎだ、実はユリア・アインツヴァイよりもずっと彼女の方が戦闘においては危険であることは知っていた。彼女は元追放者だ、そこのメイド如きよりは遥かに強い」
アンナでも、勝てない……。サテルに勝てる奴はここにはいない。
ブルーノらが外に出ようとする。
「待て……ただで帰すわけないだろ、絶対に殺してやる、絶対にぶっ殺す!」
ユリアが痛みに堪えながら立ち上がり、ナイフをブルーノめがけて全力で投げる。しかし攻撃は通じない。アーマードさんがナイフを弾いたからだ。
「リーナとアンナを失って、ただで済むと思うな、何千回も何億回も、地獄の果てに行っても殺してやる!」
サテルがユリアに歩み寄る。おれはトワイライトの剣を拾ってサテルへ駆ける。そのまま剣を奴の紋章のある左胸の少し上目掛けて突き立てる。
しかし奴は態勢を低くして攻撃を避けて足でおれを吹き飛ばす。
「きみは戦闘技術が極端に足りない。あと最低でも三年くらい鍛錬を重ねないと指一本アーマードにすら触れることはできないだろう。そんなきみは体よりも知能を鍛えた方がいい」
サテルがユリアの髪を掴んで体を無理矢理持ち上げて、言う。
「怒りに体を任せれば必ず崩壊する。戦争は知的ゲームだ、戦闘技術はただのアドバンテージにしか過ぎない」
そしてユリアの腹を全力で蹴る。そのままユリアは壁まで吹き飛ぶ。
「やめろ!」
「戦争において状況の作成が勝敗を決する。わたしがきみたちにたった一度も指を触れずに英雄の証を奪ったように。あの状況でのわたしの戦闘技術は実はほんの少しでよかった。死に損ないだった英雄を瞬殺できる、不意打ちという汚い手で瞬殺できるほどの力があればきみたちを脅すことはできたからだ」
説明しようか、と奴は続ける。
「わたしはきみたちの注意をなるべく自分に向けていた。そのせいできみたちは周囲の状況を把握することができなくなった。だから、アーマードにこっそり証を奪われるのだ」
敵の一員があの場に一人いた。
それがバレていない以上、証を盗むのは容易いことだった。
「永遠に抗ってやる……おまえらが王国を掌握しても、いつか絶対にぶっ殺す」
ユリアは起き上がって、ナイフを持って、サテルへ駆ける。
しかしその途中、ここにいる全ての人間の心理状態を変える出来事が起きた。
リーナの声が聞こえたのだ。
それは空間に静寂を作り、全員の心理状態を驚愕に変えた。
「なぜだ」サテルの不気味な笑顔ではない表情を、何かを考え込む無表情を初めて見た。
リーナは生きていたのか。
おれは不覚にも少し希望を持ってしまった。
しかしサテルの無表情は一瞬のことだった。
「まさか、きみもわたしと同じ」
そう言って再び不気味な笑みを取り戻し、槍を握り直してリーナに素早く駆け寄り、心臓めがけて突き刺した。
希望を絶たれた。
絶望しか存在しなかった。
空間を震わせた小さな音が絶望を構築するのだ。
「エクセラクロ、ケルビンズ、王国に戻って。努力者の証はわたしが持っていくから」
にたりと奴は自らの仲間に言った。
そのブルーノもアーマードも状況を理解できていないようであったところを見るとむしろ影の世界の元締めが奴のように思えた。
少なくとも、リーダー、つまり先導者はサテルだった。
「わたしは少し遊んでから任務に戻る」
おれとユリアはサテルの浮かべた狂気的な笑みを見て言葉を失った。
そして何を怒鳴ろうとしたのか、永遠の謎となった。
サテルの槍に薙ぎ払われ、視界が暗転したからだ。