第十二章 「アナザー・パーソン」 2
「誰だ!」とおれは叫ぶ。例のごとく叫んでいる感じがしない。
このタイミングで現れるのは都合が良すぎる。きっとおれたちをずっと見ていた。
おれはアンナが昨日影の世界の人間を殺していたことを思い出した。
「誰? きみはなぜ正体を推測していながらそう問う」
「は? 推測が正しいか確認しているんだ、答えろ、おまえは誰だ!」
「きみの推測通り〝影の世界〟の人間さ。けれどさ、きみはどうしてそんな確実じゃない方法を取るんだい。わたしが嘘を言えば真偽が傾げる。推測が立つなら直接確認するんじゃなくて立証するのが一般的だろうに」
アルルカに続き今度はおまえか。影の世界、ユリアを人殺しにした存在。そしておれの敵、世界を滅ぼそうとしている組織だ。
「何が目的だ。おまえら、人を殺してなんのつもりだ」
「もうわたしの情報は興味がないのか。さてきみは人を殺して良いと思っているのかと訊いているようだが、それはどんな状況だい。敵を殺すときと無関係な人間を殺すときには大きな差がある。きみはなにを悪いと思っている」
くそ、ペースを乱される。不愉快で仕方ない、不愉快だ不愉快だ、吐き気がする。
おれはアンナがアルルカを殺したとき特にどうも思わなかった。それならおれの答えは後者だろう。
「おれは――」
「ああ、いい答えなくて。後者だ、無関係な人間を殺すのが悪いと考えている。例えば、アーリアディが街を爆発させて住民を殺そうとしたとき、きみは心の底から怒っていたんだろうね」
「な――」
「なぜそれを知っているかって? きみはまた推測を立てたにも関わらず質問する。ずっと監視していたんじゃないか、アーリアディに入れ知恵したのはこいつじゃないのか、と考えたんだろう?」
全くその通りだった。
「さて、じゃあきみはどうなんだい。わたしのことを影の世界の一員だってことだけで殺そうとしている。それは無関係な人間を殺すのと大差ないと思わないのか」
「思わない。おまえが影の世界の一員だからだ」
「はっはっはー」
今度はただ笑うだけだった。
「わたしはサテル・ヴァロンツェッヒ。影の世界の一員であり、今し方英雄を殺した人間だ」
影の世界には女性が多いようだ。昨日アンナが殺していたメンバーも女性のように思える。おれは例え相手が敵であったとしても、女であることに気が散っていざというときにでも手を上げられないだろう。これは厄介だ。
今、とやはり彼女から口を開けた。
「今、きみはわたしに対して激しい怒りと憎悪を覚えている。また影の世界には女性が多いから厄介だとも考えている」
「な、…………」
不愉快で不愉快で不愉快で仕方がない。まるでおれの心が読めているようだ。さっきからずっとおれの声にかぶせてきて。
「まるで心が読めているみたい。ふふ、よく見破ったね、そうわたしは心が読めるんだ」
嘘だ。
「嘘だ。そう思ったね、よかった今度は推測じゃなくて断定だ」
こいつ、何が目的なんだ。
ずっと上に立って、今度はナイフを取り出して、投げるふりを何回もしている。それに投げる先はおれたちだ。おれも何度かターゲットになったが、恐ろしかった。あのまま投げられていたら確実に刺さっている。
それにおれたちは知っている英雄を貫いた槍がどれほどの速さで飛んできたか。
目にもとまらなかった。あの速さで投げられて避けれる自信なんてさらさらない。
「影の世界には女性が多い。ははは、おかしな話だ。男であるきみも影の世界だというのにね」
「え?」
「そうだったのですか?」
声が二つ耳に飛んできた。リーナとアーマードさんだ。
「いや違う! おれは捕まったときブルーノに王の証を作れと命令された。奴は影の世界のボスだった。だからおれもそう捉えられるだけだ。けど違う、おれは断じて影の世界に入った覚えはない」
くそ、この女!
「愉快だね。先刻影の世界の一員だから殺していいと言ったね。ならなぜきみを殺そうとしていたユリア・アンツヴァイを止めた。殺して良いはずなんだろう?」
「ユリア……」リーナがユリアの名前を呟く。ユリアは明らかに怒っていた。目を開け、奥歯をかみ締め、犬歯をむき出しにしている。
「黙れ! ユリアを人殺しなんかと一緒にするな!」
「否定しないところ、きみは流石馬鹿だ。本当、愉快だね」
なんなんだ、こいつは。
おれとユリアしか知らないことまでペラペラと。
「さあ日が傾く頃だ。わたしはこんな樹海で寝るなんて真っ平御免だからここでネタばらしでもして帰るとするか」
何言ってんだこいつ。
「大人のするズルだよ、ガキ」
「な……」
「ハロー効果、きみはアーリー・パトシオットが死んだときに罪悪感を覚えた。けれど自分に怒りはしなかった。明らかに彼を殺したのはきみなのにね。今回も同様、きっとわたしに対する怒りや憎悪の内サーシャルトスを殺したという理由の割合はわずかだ。ならなにがそこまで怒りや憎悪を増幅しているのか」
ハロー効果……。
「きみはわたしにペースを乱され、心を読まれているようで不愉快だったはずだ。人間はたった一つの評価対象を元に他の対象の評価も歪める。わたしを不愉快な存在であると認識したため怒るべき存在、憎悪するべき存在と評価した」
わたしはわざとそうきみたちに思わせるよう仕組んでいた。
「他にも、最初に固有名詞まで出して、絶対に当たる、しかしきみだけが知り得る重要なことをさらっと言ってみせる。するとわたしは心を読むのが得意な人間だと思う他ない。ならわたしは例え当たらないが当たりそうでもあることをいい加減に何個も悪戯っぽく言うだけで、きみは無意識的に外れたことをただの遊びと思い、的中したことをさらに衝撃的に捉える」
相手の思考を把握するんじゃなくて掌握する技。これはなんのエスパーでもない。ただの心理学的な戦術だ。
究極を言うと奴のやっていることはこうだ。
突然ある人間の両親を目の前で殺した。その人間の前で「わたしを悪人だと思ったね」と言う。
よっぽどなことがない限り、その人間はそいつを悪人だと思っただろう。けれどサテルと同じことだ。両親を殺すことでその人間の心を掌握した。
さらにわかりづらくすることでまるで心が読めているように思わせるのだ。
「それじゃ、用は済んだ、わたしは帰る」
なぜか奴は握り拳を見せて屋上から飛び降りた。
落下死しろと強く願ったが、突如屋上に現れる人間だ、きっとなにかあるのだろう。
それにしてもやつはなにをしたかったんだ。
「これを見てください!」
アーマードさんが何かに気づいたようにみんなを呼び集めた。
彼の手にはサーシャルトスが腰に下げていた忠誠の剣が握られていた。
「英雄の証が……ない……」
そこには王の証の材料である忠誠の証がなかった。
やられた。
影の世界の人間に盗まれたのだ。おれたちは瞬時に奴が去り際に見せた握りこぶしを連想した。あの中にクリスタルが……。
このときのおれはまだ、サテルがわざわざ延々と話し込み、ナイフを投げるふりなんかしていたのか、気にもしていなかった。
目標を達成するために仕掛けた最大の戦術に、気づいていなかった。