第十一章 「追放者」 1
返り血がかかっていないアンナを見て、彼女が殺したと断定するのはあまりにも酷なことだが、その推測は彼女が手に握っていたナイフに血がついていたことと、そのナイフをコートの中にしまったことを見て確信へ変わった。
アンナが人を殺していた。
とはいえ、彼女はアルルカを殺していた。それもまた断定はできないのだが、状況証拠としてアルルカを殺したのは彼女だろう。
しかしその殺人鬼たる気迫を持った彼女の姿を見るのは初めてであったために驚きを隠すことができなかった。
「それは……誰だ……」驚いて顔を引きつらせながら問う。その死体は誰だ。
「『影の世界』の一員だ」そう言うアンナはいつもの馬鹿さを綺麗に消し去って、ただ冷徹な声色をしていた。
「あんたは、何者なんだ」
薄々気付いていた。状況を細かくまとめるとどう考えても一般人ではないことがわかる。それに少し見逃していたがユリアは「アンナは知らなかったと思うけれど」というようなニュアンスな妙なベクトルに迂回した説明をしたことがある。
彼女は何か特別な存在なのだ。リーナやユリアにそれぞれ貴族やメイドというジョブがあるように、彼女にもまるでおれのような設定が、あるいは〝闇〟がある。
あたしは、と彼女は少しためらってから口を開けた。
「あたしは『追放者』の裏切り者だ」
追放者。
彼女はそういった。
「裏切り者?」疑問を投げる。
「あたしは元々追放者に所属していた。サテライトとも面識がある。けれどあたしは裏切った。裏切り者なのさ」
「追放者を離れてこの王国に越した」
彼女は追放者の一員であった。
だから影の世界の一員であるアルルカを殺すことができた。
だから影のことも影人のことも知っていた。
だからアーリーの考えた影人化無効化法を使用している。
「アーリー・パトシオットへの〝ごめんなさい〟って何のことだ」
彼女は彼と面識があったのだろう。
彼が自殺を決心したのは彼女の言葉だった。
「彼も追放者の裏切り者だよ。あたしと一緒に、まあ二人以外にも何人もいたんだけどさ、脱退したのさ、そこを。けれどその脱退に至った理由が、彼が考えた影人化無効化法をあたしが人間に使ったからなんだ」
「……?」
「アーリーは堅実者だった。影人を討伐しながら自分の村を興してさ、それに学問にも優れていたから無効化法なんてものを発見してしまった。実は影人化を阻止できるようになったのは最近のことなんだぜ? それをあたしは人間に使った」
アーリーが追放者というだけでおれは驚いた。アーヴァシーラは追放者を認めているということになる。
「アーリーはあたしに、敵になるかもわからない死体を切り刻むのは死者に対しての冒涜だと言った。けれどあたしは敵になる可能性をゼロにする方が死者への弔いになるって主張したんだ。今でも変えることはないよ。あたしが汚れ役を引き受けるだけで死者が報われるならあたしは構わない」
「配慮してんだな」
「まあ、影人が増えても嫌だからな。それであたしたちは仲違いして空中分解しちまったのさ。便乗して辞めたやつもいる。あたしは何かに惹かれたのかアーヴァシーラに行って、アーリーは堅実者の証をもらってフェルセマフィに専念した。けど今になって思うのさ、辞めることなんてなかったのになって。だから、あたしの謝罪は彼への喧嘩の仲直りじゃあなくて、多分彼への別れの、彼が気持ちよくこの世を去るための暇乞いなんだと思う」
謎が解けた。
アンナは元追放者だ。
アルルカを殺したのは彼女だ。
影の世界にすら無効化法を使う理由は、死者が報われるようにするため、また影人化の可能性をゼロにするため。
アーリーも元追放者で、謝罪は彼が気持ちよくこの世を去れるようにするための暇乞いであった。
「すまない……アンナ。人の事情に首を突っ込んで。でもありがとう、おれたちを守ってくれたんだろう?」
おれは四肢のない死体に目線を落として言う。
「汚れ役ならお任せだぜ」
そう答えた彼女は馬鹿みたいに作った笑顔を浮かべていた。
「ユリアやリーナは知っているのか?」
「ユリアには見抜かれちゃったけど、リーナは知らないと思う。もちろんアーマードもね」
「というかそもそも追放者から脱退したあんたはどうやってリーナと知り合ったんだ?」
「路地裏でカツアゲをしていた輩をぶっ飛ばして金を得て生活していたところ彼女に拾われた。今は彼女の紹介で低家賃であたしが住みやすい――追放者の頃を思い出させる物件を紹介してくれというようなニュアンスで安価な物件を紹介してくれと頼んだからなんだけど――家に住んでいる。その後彼女の屋敷に何度も訪ねるうちに冗談も言い合える仲になったというわけさ」
確かこいつに初めて会ったときリーナは「げ……」と言っていたよな。何があったんだ? まさかアンナには百合っ気があるのか?
「よし、戻ろう」
おれは今日得た情報をメモに記してリーナたちのいる場所へ戻ることにした。
アンナは死者に対し十字を切っていた。
この世界ちょいと多文化すぎやしないか?
寝所に到着すると同時アンナが「何を書いているの」とこちらをうかがっていた。
「メモ。この世界での冒険の整理だよ」
「へえちょっと見せてよ」
「人のメモを勝手に見るんじゃ……」
アンナの手を振りほどこうとすると、一枚の紙が手の内から落ちた。
「あ、それは」ビルじいさんからもらった好きな人は誰だとか意味不明なことを書いてある手紙だ。すっかり忘れていた。「まだ手元にあったんだな」
「なになに」手紙を広げて読み始めようとする彼女。
もちろん手紙を奪う。
しかし彼女は眉を寄せていた。まさかあの程度で全て読みきったというのか? 以外と文章量多いぞ。
「その手紙、誰のものだかわかる?」
「ん? いやわからないけど」
「じゃあ暗号かな……? 貸して」
今度は言われるがままに手紙を貸した。彼女の表情が真剣だからだ。
彼女は料理に使った焚き火を再びつけて手紙を炙った。
すると手紙に〝M・M〟というイニシャルが浮かび上がった。
「なんと!」馬鹿みたいに驚くおれ。
「文字が読めないあたしにはよくわからなくってさ、なんのことだかさっぱりだけど、イニシャルなんじゃないかな」
「ああ、きっとイニシャルだ」
誰だ? なんか知っていそうで思い出すことができない。
M? マックスフォード?
けれどいずれこのM・Mには会う気がするためこのこともメモに加え放置することにした。
おれたちはべつに寄り添うわけでもなく眠った。
ちなみにユリアは今回も穏やかな表情で声を漏らして寝ていた。
「朝だぞー起きろー!」
未だかつてないテンション――この世界に来て初めてと言っていいハイテンション――の声に加え思いっきり飛び乗られおれは起こされた。
「何の真似だ、アンナ……!」
おれは恐らく文面に起こしたときたった一行のブランクしか寝ていないのだぞ。
くそ、眠った気がしない。
おれは目を覚まし、色はやや褪せているもののしかし青空を覗かせる森林の木陰に腰を落とし休んでいる。
隣にユリアが寄って彼女も腰を下ろす。
「怖い?」彼女はおれに問うた。
怖いさ。おれはそう返したくなったが苦しい笑顔で誤魔化した。死ぬのは怖い。いい加減慣れたけれど、きっとこの仲間の内たった一人でも死ねばおれは自殺するだろう。おれが死ねば死んだ仲間は生き返るのだから。
なんという自己犠牲だよ、まったく。
「アンナが元追放者だってどうやって気づいたんだ?」
「彼女は甘い。話している内に彼女の口から自分が昔どこかに所属していたことを連想させる言葉が出ていた」
「ああ。彼女は甘い。優しすぎる殺人鬼だよ」
けれどおれは皮肉ではなく本音から憧れという愚痴をユリアに吐いていた。




