第一章 「死という地獄の始まり」 2
牢屋で歪みを感じた直後のことだ、一人の少女が廊下の天井を突き破っておれの目の前に現れた。信じられない話だが、目を疑いつつもどうにかここが異世界であることを言い訳に全てを受け入れようと努めた。
少女は軽そうな防具を装備し、美しい剣を携えて、こちらを見るなり物珍しそうなものを発見した目で近づいてきた。
沈黙を続けるおれに構わず、少女はその剣で牢屋の扉の蝶番を破壊し、牢屋の中へずかずかと入ってきた。
なんだ、助けてくれたのか、と思ったが少女の体を見れば流石に嬉しがってはいられなくなった。
満身創痍だ、身体中が血だらけで、服が破れ、目が死にかけている。それでもなお美しく、長い金髪は牢屋の小窓から射す陽に輝いていた。
「珍しいな、ただの人間がいるとは思わなかった。生者の綺麗なうめき声を聞いてもしやとは思ったが」
流暢な日本語だった。いや、言語が通用するのはどの異世界ものでも当たり前か。ともかく少女――とはいえおれと同い年あたりだが――はおれにそう言った。
「きみをこの牢屋から出そう」と彼女は続けた。
内心、こうなるだろうとは思っていた。牢屋から出られないまま死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。
「ただ、わたしの使命を受け継いでくれぬか?」
「は?」無礼にも驚いて口が滑ってしまった。
「わたしは、今は消滅してしまった国に仕えていた者だ。名をトワイライト・マックスフォードという」
彼女の話は自身の紹介から始まった。いかにもハイファンタジーらしい名前だが、今まで読んだ小説の中で、その名前は一度として聞いたことがない。
ということからわかるものといえば、まずここは聞いたこと覚えた事を整理するための夢ではない、そして目が疲れて幻覚を見ているだけというわけではない。
取り敢えず彼女から情報を得るために質問をした。
「消滅、とはどういうことだ? 国民が全員死んだとか城が落とされたとか」
「どちらでもない。国と国土自体が完璧に消滅した。そう、簡単に言うと地図から消えた」
どんな威力の爆発だ。地図から消えるなんて現実世界では異常な威力の核爆弾じゃなきゃありえないぞ。
「わたしは、今は亡き国の王に命じられて、東の王国に伝言を伝えるためここまで来た。しかし獣に多く遭遇し、わたしは後もう少しで死ぬだろう」
「おいおい死ぬなんて簡単に言うなよ。剣とか矢がぶっ刺さってるようには見えないぜ?」
おれの言葉を受け、トワイライトは俯いた。少し考えたのか静寂が牢屋を支配し、彼女は裾を上げた。下着が見えるんじゃ、と思うと案の定下着が露わになり、彼女が何をしたかったのか一瞬理解できなかったが、そのすぐ下の腹に目をやるとおれはつい腰をぬかし倒れてしまった。
情けないというよりは失礼で、申し訳ない。
彼女の体が朽ち、内臓も露わになっていたのだ。血が流れ、もはや包帯すらないのか数時間いや十数時間放置しているように見えた。
「おい、それは……!」
「だから、わたしは後もう少しで死ぬだろう。遺言としてわたしの使命を聞いてはくれぬか?」
黙ることしかできなかった。死が目の前に迫る彼女は一体何を思っているのだろう。
「西の国々は消滅している。西の王国も同じく。この追放者の監獄もいずれ消えるだろう。この現象は東の国の王座に誰もいないからと考えられる」そこで一度きり「わたしの使命は、古来栄えてきた東の国の王を直ちに決めるのだ、と伝えることだ」
王の不在。ありがちな設定だが、それで消滅とはどういう原理だ。
「驚かないのか……?」と彼女は言ったが、言葉の逆に彼女が驚いていた。
いや、驚いているが何かおれが驚いている部分ではない点を指摘しているようである。何故王の不在で西の国々が消滅するのかと訊けば、そのことではないと制されそうだ。
「名前も知らぬきみよ、わたしの使命を頼んでくれるか」
何がどうなってやがる。そもそもこの牢屋は追放者が入る場所だって? 何故おれが追放者なんだ。いやまあ現実世界から追放されたっていうことならわかるが。
とにかく、今すべきことは一つか。どうやらここにいても死ぬらしいからな。
「訂正しよう。おれの名前はガクトだ。いいか?」
トワイライトは少し苦笑いしたが、腰に下げた剣を取り、おれに渡した。幾らか重量のある美しい剣。ハイファンタジーの主人公になった気分でどうにも興奮する。
しかし彼女を見ればそんな気にもなれない。
「任せた」短く言って彼女は廊下の方へ歩いた。
「おい、もう行くのかよ」
「もうすぐで死んでしまうから。わかるんだ、何人も殺してくれば自分がいつ死ぬかなんて」
最後に彼女は言った。振り向いて、綺麗な金髪を揺らして、笑顔で。
「世界を救ってくれ」




