第九章 「コーザリティワールド」 1
フェルセマフィ。かつては栄えていたという現在は廃村と化した集落。
そこで誕生しそこで育ったアーリー・パトシオットは大変優秀な人物で、成人するなり上京し堅実者として成功し、ついには王直々に忠誠の証を渡された。彼を一言で表すならば「愛国者」だろう。
なんといっても自分の村に愛情が絶えなかった彼は王に認められたいわば人間国宝になっても母村で活動していた。
彼によりますますフェルセマフィは栄えるだろうと推測された。
しかし誰もが予想だにしなかった王族の断絶により状況は一変。ブルーノが世界の最高権力者に成り上がった頃、影が侵食を開始する。
おれなりの考察だが、影には周りを不気味にし、生物を死に近づかせる効力も持っている。
影に近づかれたフェルセマフィは廃村と化し、死体に影が入り込み屍者が現れる。
村の中で戦争が勃発し、その巻き添えにアーリーは負傷、影を取り込んで人間としては生きていけなくなった。それを直ちに自覚した彼は自ら牢屋の中へこもった。
「ビルじいさん……」
初対面となる彼に挨拶をする。
「わたしの名前を知っておるか。さては――」
「今回は二人で来ましたが、あなたが誰かしらから貰った手紙の宛先はおれです」
ご老人は頷く。本当に来たのか、と前回と全く同じ反応をしていた。
じいさんから手紙をいただく。
ちなみにアーリアディは自宅にこもり、ユリアはおれの後ろについている。
「すっかりこの村も廃れてしまった。屍の山が未だ積んである。見て行くか?」
無言でおれは頷く。歩き出すじいさんについていく。
「ビルじいさん、この手紙を渡したやつはどんな感じだった?」
「若者だ。黒いローブをまとって、口元は笑っておったが、目は死んでいた。冷酷な表情だった、まるで自分があと少しで死ぬことを知っているように」
「女か?」
「いや、男だ」
一瞬トワイライトかと思ったが、そうではないらしい。
村の中心には鐘がある。祭などに使われていたというが、今では鳴らされる気配がない。その鐘がある塔の前、広場に屍の山はあった。
そこで奇妙なものを見る。
全ての死体が四肢を損失し心臓に杭が打たれて燃やされているのだ。
「なん……だ、これは……」
吐き気を覚える。このような死体を見るのはこれで二度目だ。ひとつはアンナが殺したアルルカ。彼女の死体も四肢が切断され心臓に杭が打ってあった。しかし今回は加えて燃やされている。
アンナは、この殺害方法を昔所属していた組織の浄化の儀式と言っていた。
「これは影人として復活させないようにするための儀式だ。死体をこのようにすることで影人として蘇らなくなる」ご老人はさらっと言った。ようするに浄化だ、しかしアンナは人間に対して使用し、この村では影人に対して使用している。
「アーリー・パトシオットの影人化無効の方法」ユリアが呟いた。
「アーリーがその法則を発見したのか?」
「そう。原因というか理由はあるのだけれど証明されていないから何とも言えない。影人と戦う兵士といった一部の人間は必ずこの儀式を行う」
アーリーとアンナ、何か関係が? 彼に会ったら謝罪の代わりとして頼まれたし。
「詳しく教えてくれ」二人にたずねる。
「全てが逆なんだ」とビルじいさん。
「逆?」
「例えば影人の不死能力。きみたちも知っているだろう、影人は不死身なんだ。確かにもう二度と復元できないほど塵にすれば話は別だが、とにかくやつらは腕を切ろうが胸を刺そうが死なない」
レーゼが約五百年も生きていたことからまあそうだろうとは思っていたが。
「ただ傷を負うだけで影人になっていく。ならば、傷を負って死に近づくごとに不死身、つまり死から遠ざかることになる」
「矛盾か……」
「そもそも影人化無効方法が逆だ。本来影人化は間違いなく人の内側から進む。しかしそれを防ぐ方法は外側からのものだ。精神の安定など期待しても無駄だ。気が狂っているのだから」
「なら、外側へ影人化が進んだら精神の安定が必要ということですか?」
「そうだ。完全に影人になると体そのものが元のものではなくなる。傷の治癒は変化序盤からあるが、特に不死身としてやつらは異常に高い治癒能力を持っているのだ」
「人間として活動していないはずの屍者が治癒か。それで、何故四肢と心臓を?」
「完全なる影人の状態では内側も外側もそれそのもので、対処方法が限られてくるだろう。行動を制限するために四肢を切断する。そして心臓に杭を刺すことで原動力を絶つ。思考することも器官へ命令を出すこともできなくなり治癒が不可能になる」
老人の説明を受けてよく考え、答えを出した。
「まず対処すべきは相手の精神つまり内側について。狂った状態を止める簡単な方法は精神の安定ではなく行動の制限。だから四肢を切断する」
説得するより暴走できなくさせた方が確実に内面を抑えられるのだ。
「次は治癒つまり外側。このためには治癒を司る白血球だったか赤血球だったかを全て取り除くよりも脳からの命令を絶つ方が確実。よって心臓を殺すことでエネルギーが失われ、脳からの命令が途絶える」
治癒は脳からの命令で行われているのだから当然。また、脳とはつまり精神を生み出すもの。すなわち精神そのもの。脳を断つということは精神を断つということなのだ。
「だから、逆なのか。精神を絶つために体を制限し、体を制限するために精神を絶つ。なるほど」
どうやらこの話を知らなかったユリアも納得したようだった。
「外は内から、内は外から。この世界の影に対する法則。矛盾」
なんでもありだな、としか言いようがない。なんとなく頭では理解しているが、いかんせんおれにこんな矛盾で溢れた理屈なき存在を完璧に理解できる脳はない。
「エレヴィダ……」とユリアが呟いた。その言葉の意味はよくわからなかった。しかしなんとなく何を言いたかったかはわかった。
確かヴェルファレムなんて言葉でもこんなことがあったな。
「そろそろアーリーのところへ行こう。覚悟をしておけ」ビルじいが案内する。
火柱を立てて燃える屍の山を一瞥し塔を登る。塔と言っても見晴らしの丘にあったピサの斜塔のような塔ではなく、あくまでも小さな城のような建築物だ。
正面の扉を開け、中へ入る。
古くさいレンガ造り、まるで教会であった。奥には大きなステンドグラスが飾ってある。
横の螺旋階段を上がり、二階の通路を進み、建物の中心にある円形のステンドグラスの前まで歩くと、牢屋があった。といっても、元々は宿のようだった部屋を強引に改造して内側から開けられなくしたような場所だ。鉄格子という悪趣味が牢屋をさらに引き立てている。
その中に短剣を脇に置いてあぐらの状態で居座っているアーリーの姿が見えた。
彼の服装といえば汚く擦り切れて、どこをどう見ても国王直々に勲章を得た人間とは思えない。
肌には古い血が固まってまるでゾンビのようである。
おもむろに彼は顔を上げ、おれたちを見るなり、すぐ横にある武器も持たずに突然起き上がって鉄格子を掴んでこちらへ言葉にならない声で発狂した。
助けを懇願しているようで、しかし彼の顔から生は全くと言って感じられなかった。腐った肌、黄ばんだ眼球、不安定な瞳、岩のように刻まれたしわ、たるんだ皮膚。
すぐに彼は発狂をやめ、数秒全ての動きを止めたのち、今度はもはや火山の噴火のような低い雄叫びを上げた。
痛みや絶望をやけになって叫びによって吹き飛ばそうとする、本来ならシャウトやデスボイスなどと呼ばれる、ストレス解消に使えるそれは今回ばかりは絶望感にさいなまれ自分の中に混在する善と悪に葛藤する、断末魔に聞こえる。
全力で叫んで冷静になったのか、生を感じられないまま、彼は再び同じ位置へ座り込んだ。そして力なく口を開く。
「なんのようだ」
その声はかすれていて、既に死んでいるようである。
「あなたにお願いがあって来た」
「…………」
「現在、王がいなくなったせいで影が世界を侵食しつつある。全ての原因は王家の断絶。王の復活には王の証が必要なんだ」
「…………」
「だから、あなたの忠誠の証をおれたちに託してくれないか」
がらでもなく、おれはユリアの肩を抱いて言った。
「ああ、くれてやろう……中へ入ってくれ」
アーリーの指示に従いビルじいが牢屋のドアを開け、三人とも中へ入る。
おれは彼の短剣を手に取ると、そこへ埋め込まれていたクリスタルを取り外した。
「ついでに訊くが、あなた以外に誰が忠誠の証を授かったか、教えてくれないか」
「すまない、記憶が曖昧で……わたしは聖職者と仲が良かったはずだ……しかし彼は影に飲み込まれてしまったのか、顔も名前も思い出せない」
きっとアーリーは奥歯を噛み締めたいのだろう。それも叶わず顎が震えている。
「この村は、変わってしまった」
アーリーはそう呟いた。
「影のせいだ。おれたちは絶対に影を止めてみせる。この村を救ってみせる。残る三つの忠誠の証を揃え、王を決め、影を追い払ってやる」と、おれ。
「頼もしい……」
彼は今にも死にそうな勢いだ。少し黙り込んでから口を開く。
「世界を……救ってくれ……」
かつてトワイライトに言われたものと全く同じ言葉を頂いた。おれは強く頷く。おれはおれの気が済むまで、この世界を救う。
世界が運命と手を組んでおれをいじめようならば、おれはそれを翻すまで争って見せよう。
そうだ、と思いだし、アーリーへ伝える。
「アンナという少女からの伝言だ。〝ごめんなさい〟だそうだ」
彼の表情が一瞬生を取り戻したように見えた。その後再び口を開いた。
「そうか……」
そう言って彼は横に置いてあったクリスタルのない短剣を手に取った。
「わたしはもうじき死ぬ……そして、もう、世に未練はない」
言い終わった途端自らの心臓を貫いた。
おれとユリアとビルじいはその自害の瞬間を目撃することになった。
しかし心臓を貫くなり、彼はまだ生きているようで、死ぬことができないということに絶望を覚えたように奥歯を噛み締め、急に起き上がり、牢屋の外に飛び出し、ステンドグラスを突き破って、燃える屍の山へと落下していった。
わずか数秒の出来事が数時間のように感じた。
未練はない。彼はそう言った。本当にそうであったと信じたい。
割れたステンドグラスの穴から下を覗くと、既に彼は動いていなかった。
おれは忠誠の証を地面に投げつける。
続いて王の証のレプリカに目をやると、中の光が強くなっていた。
彼の命を背負った二つ目の王の証。
罪悪感と使命感が脳内に混在し、おれは彼に謝ると同時礼をした。
そういえばと思い出す。たった一分ほど前のことを。
彼に自分の名前を言うのを忘れた。
やはり後悔と罪悪感が遥かに勝っていた。