第七章 「見たことのある状況」 3
嫌な予感が一度に三つ解消された、いや的中してしまった。それに詳しくわければ四つだ。
アルルカとおれは全く同じ場所に立っていた。
ユリアはおれのことを殺そうとしていた。
おれはユリアと仲良くなりたがっていた。
ブルーノはおれを影の世界に参加させていた。
意識を取り戻すと同時、ふらつきながらおれは廊下を走り出した。
「あ、ガクトくん、どうしたの?」
リーナと衝突しかけて足が止まってしまった。
「いや、見晴らしの丘にでも行ってこようかと」
この場を早く立ち去るための嘘はあながち間違いではなかった。おれは今からこの屋敷を出て見晴らしの丘にでも逃げる。
「外出?」
一番聞きたくない声が背後から聞こえた。ユリアだ。決しておれは彼女が嫌いなわけではない。ただ殺されるという恐ろしさと殺人者にしてしまった罪悪感と、仲良くなりたかったのに今のおれでは近づけないという悲しみがこみ上げてくるのだ。
「畜生! おれはリーナと、おまえと、一緒にいちゃ駄目なのかよ!」
つい前回のループの続きをしてしまった。無論、彼女らにこの言葉が理解できるはずない。
おれはポケットから王の証のレプリカを取り出し、ユリアの足元に投げつけた。
「おれは影の世界になんて入った記憶はない。ブルーノについては、従っているんじゃなくて脅されているだけだ。勝手にしろ。どうせ逃げるんだ、影の近くにでも行って、きた奴ら全員消滅させればいい」
全力で走り出す。リーナをのけてエントランスを抜け、その勢いで敷地を出て見晴らしの丘へ。
相変わらずやや強めの風が吹いている。静寂が世界を支配していた。風に揺れる花がこすれ小さな音を出し、それが集まり共鳴する。静寂と沈黙は違うのだ。
やってられるか。
これが正直な今の感想だ。リーナやユリアを諦めて世界の果てに逃亡するか、リーナやユリアと仲良くするためにユリアと対立するか。
どっちが正しいなんて関係ない。どっちも狂っているのだから。
今の状況をより未来を見て解析するのなら、おれにそんな解析するほどの未来は存在しないという結果が出るだろう。
レプリカを捨てる、つまりブルーノとの契約を破る――契約なんてした覚えはないが――行為となり殺される。
半年後には影が世界を覆っているだろうし、おれ以外のやつらが王の証を完成させ、王なる者が誕生するとは思えない。
そんなこんな色々と考えながら塔を登る。
どれくらいの速度で影が世界を侵食しているのか、ずっと見ていれば暇潰しになるだろうし、その気になれば鐘守りのいる街にでも行ってやろう。
強風が突き抜けた。
初めて影を見た時よりもおれは言葉を失った。
目を閉じ首を振ってもう一度見る。が、間違いない。
スークロックが影に侵食され尽くしているのだ。
時間が巻き戻っていないのか? いやそんなはずはない。では何故この前見たときは村の半分しか取り込んでいなかった影が、ほんの数十分で全部取り込めるはずもないのに、全部を侵食しているのだ。
何が起きている、この世界で。
まさか、嫌な予感はこれを言っていたのか。
おれの期限は半年ではない。
てっきりブルーノが暴れると解釈していたが、違う。
影の侵食は不変なんだ。時間が巻き戻っても、影の侵食は戻らない。徐々に世界を覆う。時すら超えて。記録からも存在を消滅させる、「この世界の物理法則に反するもの」こそが影なのだから不思議に思う必要はない。
だが、このままではいけないことも同時にわかっていた。
けれど今のおれに何か手があるわけでもない。王の証を集める手段があったとしても、それを格納、吸収するレプリカを持っていない。ユリアが厳重に管理してるならウォルシンガムの分が欠け、永遠に王の証は完成しない。
「ガクト!」
唐突に背後から名前を呼ばれたため驚き塔から身を投げ出しそうになった。振り向くと知った顔、緑色の髪のアンナが肩で息をして涙目でおれを見ていた。
「ユリアが……!」
彼女の話を聞くなり、塔を急いで駆け下りて、ペシャワール寄りのグランダルスギッドまで走った。さすがに引きこもっていたおれは体力が低下していたらしく女性であるアンナにすぐ追い抜かされ先を行かれた。
現場に到着すると地獄絵図だった。全壊の建物が二つ、半壊が四つほど。かなり大規模な爆発事件だ。
野次馬の壁を壊しながら事件の中心へ向かう。
「ユリア……」
布が被せてあったが、その死体が彼女であることくらいすぐにわかった。爆発に巻き込まれて死んだ。彼女の服の一部が地面に落ちている。
彼女の横にもう一つ子供らしき死体がある。
「どうして、おまえらはこうも……」
目を閉じ歯を食い縛るしかなかった。
野次馬に紛れて、リーナとヨーステン夫婦の姿が見えた。どうやらおれをさがして外に出たリーナはヨーステン夫婦と共にシュンをさがし始め、遠目でユリアとシュンを発見した二人は追いかけようとしたが、その瞬間爆発。
「ガクトくん……ユリアが……」
リーナがおれに涙を流しながら言う。おれが死に慣れたところで、他人が慣れるわけではない。全てがマイナスだ。
「……なぜユリアとシュンイェルは一緒にいた」二つの死体のうちより小さい、シュンイェルと思われる方を見ながらたずねる。
そう、二人は一緒にいた。その場に。でなければ、前回どおりなら死者はゼロだったはずだ。おれが命令を放棄したことでユリアの行動が変わり、こうなったはずだ。
「多分、ユリアは道に迷っているシュンを助けたかったんだと思う。彼女はそういう人だから」
人を助けようとして、死ぬのか?
なんでそうなるんだよ。
そんな善いやつが、なんで死ななくてはならないんだ。
善人が死んでいいはずないだろ!
ヨーステン夫婦は既に泣き崩れていた。
必死に探していた自分の子が、爆発に巻き込まれて死んでいたのだから。
「どうしておまえらはそんなに死ぬんだ!」
「え……」当然おれの叫びにリーナは反応しきれない。
「そうやっておまえらは何度も死んで蘇って、痛みと記憶を伴わない不死を持って屍の山を築くんだ。おれはその度に吐き気を覚えながらおまえらの積み重なった屍の山を見るんだ」
「ガクトくん……?」
「憶えているか? おまえがアルルカに殺されて、おれも殺されて、だからおまえを救うために色々なことをしてきた。おまえはおれを命の恩人と言って、ユリアの爆弾をかばって死んだ」
「憶えて、ない」
「おれだけ――まるでおれだけじゃないか。おれの努力は誰の記憶にもとまらない。誰も知らない、憶えてない。おれがどれだけ努力したところで、おまえらは気づかない」
「…………」
「もう、うんざりだよ……」
とうとうおれは二度目の逃亡を始めた。運命とおれに散々振り回される彼女からしたらはなはだ迷惑だっただろう。
結局、彼女がおれをどこに連れて行きたかったのかすらわからず、ユリアとの関係も直せず、生活が板につくこともなく、ループなしで考えるならたった四日目でおれはこの世界から逃亡した。
どこかウェブ小説で読んだことのある展開だが、気にはしない。そんなもの知らない、もはやどうでもいい。そんなパクリの小説があったら訴えればいい。シュミレーテッド・リアリティなんて興味がない。所詮ここは現実でもないのだし、異世界なのだし。ひょっとしたらメインヒロインは銀髪美少女で、その友人と敵対関係にあって、敵だとわかった次にはそいつは死んでいる、という展開はどこの異世界でもお決まりなのかもしれない。
もうどうでもいい。
絶対にリーナを救うとつい最近に宣言したが、無理だ。こんな状況でどうしろと言うのだ。前言撤回する気力もない。
やってられない。
報われない、救われない。
努力は誰の記憶にもとまらない、残らない。
死ぬ感覚は誰にも伝わらない、伝わるわけがない。
おれについて理解されない、語ることが許されない。
そもそもおれはつまらない人間でしかない。
世界を救う英雄になんてなれない、なる資格などあるはずがない。
報われない、救われない。
そんな元の世界と変わらない異世界なんて、もう、うんざりだ。




