第五章 「罪人」 2
翌朝、実に酷い大雨である。
ただし、天気ではなく演説会場横のレストランのエントランスの空気を表現しているのだが。貴族達野次馬が一箇所に集まっている。
緑髪の見覚えのある女性が血だらけで倒れていたのだ。そう、アンナである。恐らく〝影の世界〟の一員アルルカを倒すべく夜中戦闘をしていただろう彼女である。
前回の世界ではこんなことは起きなかった。おれが遠回しにアルルカを倒してくれと頼んだからか、あるいは他に原因があるのか。
彼女は剣を握っていた。刃は鞘に入っており、杖のように持ってまるで跪いているように座っている。
おれを発見するなり血だらけの体を起こしておれに歩み寄り言った。
「逃がした」
ああ、そういうことか。前回、戦闘後の彼女を見かけなかったが、前回も今回同様血だらけになっていただろう。
話によれば、アルルカは今死にかけだというのだから。
「すまない、汚れ仕事を人に任せ、こんなことにさせてしまって」
「いや、あれはあたしのミスだ。あんなところに崖があるなんて知らなかった。気をとられて……」
もはや自分が剣を所持していると貴族たちの目の前で堂々と言っている状況など関係ないらしい。彼女は必死におれに訴えた。
前回、彼女は崖の下でアルルカを殺していた。逆に崖を利用していたと考えられる。彼女は戦闘を始める前にリーナを探すべく森をまわっていた。ひょっとするとそこで崖を発見し、利用したのかもしれない。
「アンナ、あんたにはまだ言っていなかったな。おれにはあんたの正体も影の世界とやらもよくわからねえが一つ更に意味のわからない奴らを知っている」
「…………?」
「レーゼが未だ地下牢にいると言って信じられるか?」
彼女が口を少し開けたのと同時、違う女性の声がエントランスに響いた。
「アンナ!」と肩を上下させながら叫ぶリーナは彼女を見つけると貴族を払いのけくずおれた。「大丈夫?」
リーナはアンナが剣を持っていることに驚いていない。彼女が何者であるかはともかく、そういった人間であることは承知のようだ。
「ああ、リーナ。へまをしただけさ。こんなもの一日で治るぜ」
アンナは無理に姿勢をよくし、次はおれの方を向いた。
「あたしは信じる。そもそもそういった奴らがあたし達の敵だから」
そう言っておれの手を引きエントランスのドアを開けた。
おれは取り敢えずリーナについてこられるのは非常に厄介なため「ここで待っていてくれ」と言っておいた。
湖の奥の道に辿り着くとアンナは手を離した。そこでおれが尋ねる。
「王の証ってやつが何か知っているか?」
「うん、まあ」と彼女は歩きながら答える。
「忠誠の剣のクリスタルであってるか?」
「それ以外にもあると思うけれど、それであっていると思う」
「何故王の証を知っている?」
「いや、噂かな。昔に王の証はクリスタルだって耳に入ったことがあるから。でもよくあたしも今までそんなどうでもいいこと憶えていたな」
「どこにあるかはわかるか?」
「残念ながら知らない。けどレーゼが生きているのなら地下牢、あるいはレーゼが持っているかもね」
「王の証とはなんだ」
「王が持っていた、何と言うのだろう、権力というか、王としての力、王が王としていられる品、そう王冠のようなものかな」
「バルサネ・ブルーノって奴からそれを集めろと命令されているのだが、命令の理由はわかるか?」
「セウリュトス家が滅びてしまったから、今王選挙を行っているけど、その王のために散らばった王の力を修復しようってことじゃないかな。ブルーノってのが誰だか知らないから何も言えないけれど」
「王がいなくなった所為でディシヴァシーラ辺りが消滅しているらしい。それについて何か知っているか?」
「何も。というかディシヴァシーラがなんなのかわからない」
神殿、城門の前に辿り着いた。
エントランスは大雨だったが、実際の天気は綺麗な晴れである。
「ここの地下牢にレーゼがいるはずだ。そのために情報をくれないか。なんとなく倒せる気もしてくるんだ。またどうせ死ぬんだろうけど」
「何を言っているんだ、あたしも戦わせろ」
なんだこの戦闘系漫画のノリは、おれはとっとと王の証とやらを集めて平穏な日常を過ごしたいだけなんだ。戦闘なんてやってられるか。
――何かまた嫌な予感がした。
違和感を覚える方向、真後ろにすぐさま振り返る。
やはり的中してしまった。
「何故――ここは危ない!」おれは怒鳴った。
リーナがこちらへ向かって来ているのだ。
「アンナは無茶しては駄目だよ、怪我してるんだから」
「平気だ、でもとにかくここから離れた方がいい」とアンナが応える。
「また誰かと戦うつもりなんでしょう? 嫌だよ、血だらけで帰ってくるアンナを見るのは」
「ここは――」
おれが彼女を説得しようと試みたその時、神殿の奥で女性の悲鳴が聞こえた。
「アルルカ!」アンナが大声で言った。「まずい!」
気づいた頃には黒い何かがリーナに向かって飛んで来ていた。
「危ない!」叫びながら手に握っていた剣で抜刀の勢いで黒い何かを斬りつけた。
黒い何かは地面に転がるが、すぐに立ち上がった。その瞬間、この場にいる全員がそれをレーゼと判断し、右手に握っている剣をウォルシンガムの忠誠の剣と理解した。
黒く、ただ旅人の服だけが少し色を持っている。五百年間人間の体を放置するとこうなるのだろう。
しかし何故地下牢から脱出できたのだ。
おれにはそれを考える暇すらなかった。
「奴はなんだ!」おれはアンナに問う。
「影人だ。正直あたしもよくわかってないけど最近になって急増した不死の死体だ」
不死の死体? 矛盾しているぞ。おれはこのようになっていないから、多分影人と呼ばれるこいつらの不死とは違う不死なのだろう。影人は不死身でおれは不死だ。
レーゼの傷といえば、血の代わりに黒い粉を噴出させていた。不気味で、見ているだけで自分も暗闇に引きずり込まれていく感覚に陥る。
レーゼが物凄い速さで突進してきた。リーナを狙っている。おれは彼女の前に出て、レーゼの剣を払うもおれの腹に突き刺さった。
「っぐ……」徐々に血が服に染み込んでいく。
「ガクトくん!」
「大丈夫だ……」せっかくの心配に即答する。
考えろ、何か手をさがすんだ。勝機をさがせ。
レーゼを見ているうちに奴の体に紋章が浮かんでいることに気づいた。ちょうど心臓の位置だ。
「なあ、あんたら」レーゼの剣を振り払い少し距離を置いてから尋ねた。「奴の心臓らへんにある紋章が見えるか?」
「見えない」とアンナ。
「見えないよ」とリーナ。
やっぱり、この紋章もおれの能力か。主人公補正がだいぶ強いなあ、こんな漫画があったら誰も買わねえぞ。
レーゼが攻撃してくる。カウンターとして奴の心臓部に剣を向けたが呆気なく払われた。レーゼからの攻撃はアンナが防いでくれたため今回おれは無傷だった。
これは無理だ。攻撃を当てることすら難しい。心臓なんて攻撃できるわけがない。
「レーゼ、こっちだ!」
挑発をしながら、ある方向へ走る。レーゼがおれの後を追う。
何か秘策があるはずだ。ないなら作るしかない。また『いろは』で戻って降り出しは御免だ。
森を全力で駆け抜ける。その間アンナとリーナは追いかけて来たのだろうが、全く追いついてはいなかった。
木々を上手く利用し、まるで脳を持たないゾンビのようなレーゼを誘き寄せる。
そして森をぬけた先でギリギリまでレーゼを誘導し、奴が攻撃してくるところをひらりと避け、奴の走りを補助するように蹴飛ばした。
そう、森をぬけた先にあるのはセイリュースが齎した湖だ。
レーゼがつけた火を消し、地下牢に叩き込んだ神の湖。そして物理的に考えて水の中では身動きがしづらい。だからレーゼを湖に落とした。
勢い余ってレーゼは転落し、豪快に着水音を鳴らしながらしかしこちら目掛けて水に浮いてくる。
おれはその上に飛び乗る形でレーゼの心臓めがけて剣を突き立てる。水は言うことを聞かず、奴はおれの攻撃を綺麗にくらった。
皮膚、骨を突き破る鈍い感覚と音を手から認識したが、我慢して奴が死に至るまでその場で剣を刺し続けた。
やがてレーゼは動かなくなった。つついても反応はなく、紋章も既に消えている。これは死んだと捉えても問題はないだろう。
レーゼの剣を拾い上げ、湖から這い上がったところでリーナとアンナが到着した。
「奴をやった。これでヴォルステックの伝説に本当の終止符が打たれた」
おれは倒れながら、腹から大量に出る血も気にせず宣言した。