第三章 「無人の王座」 3
魔物や魔法が存在せず、一般市民は武器を所持してはいけない。ここは本当に異世界だろうか。確かに街並みや人間を見るに元の世界とは全く異なる。しかしそのような夢も希望もない異世界があって何が面白い。
魔物がいないならやはり門番騎士は人間だったのか。ならば何故牢獄の人間は一人残らず死に、あの騎士だけが生きていたのだろうか。
それに、魔物がいないなら何故トワイライトはあれほどまで死にかけていたのだろうか。魔法がないなら紋章はなんなのか。
王の証とは何だ。何故おれがその王の証とやらを集めねばならないのだ。王を選出するためにだと? 何故そんなものが必要なのだ。
バルサネ・ブルーノなる老人は、おれにその王の証とやらがどこにあるかも説明しないで、どう集めろというのだ。
おもむろにポケットから水晶を取り出す。
これはブルーノがおれに押し付けたものだ。使用方法も聞いていない。何に使うかも聞いていない。そもそも何かに使うのかすら怪しい。
水晶は俗に言うクリスタルだ。この形の証クリスタルを何と言うのかはいかんせんおれの酷すぎる学力ではわからないけれど、とにかくクリスタルと言ったらこれという形のものだ。
水晶の中心は暗い。光を吸い込んでいるようである。
こいつが王の選出に必要だというのか。
何故おれが嫌々王の選出に協力しているのかと言えば、王城の別れ際ブルーノがおれに「半年までに王の証を集めねばうぬを罪人として処罰する」と言い放ったからだ。
なんて理不尽な。しかし逆らって勝てる気がしない。だからおれは王の証がどうとか考えているのだ。
謎が多すぎる。これはさらなる情報収集が必要だな。
ということで近くの武器屋に話を聞くことにした。
「なあ、あんた、王の証ってやつがどこにあるか知っているか?」
と単刀直入に。
「おめえ何も買わずに質問たあいい度胸してるじゃねえか」
人を殺せそうな顔で睨む店長。
それに対しおれは剣を見せつける。トワイライトからもらった高貴そうな剣。
「悪いな、これでもこの国の遣いなんだよ。この世界じゃ剣を持っていていいのは騎士か狩人くらいなんだろ?」
剣を見て武器屋店長はかじりついた。やはり目には目をで武器屋には武器さ。いや使い方が違うか。
「そうだな、王の証か。聞いたことねえな」
「じゃあ秘宝が隠されていそうな場所とかはあるか」
王の証という響きから古代の秘宝のようにも聞こえる。
「レーゼト神殿かね。北西の門をくぐってヴォルステックの湖の先だ」
ヴォルステックの湖? そういえばリーナが夕方に行くとか言っていたな。
礼を言って武器屋を去る。
そのまま街の裏へ行く。光が入らぬ路地。子供が不良にかつあげをされる場所。
おれの入った裏路地でもかつあげが絶賛行われ中だった。子供一人に対し二人で集っている。
なんだ二人か。余裕だぜ。
不良に向かって走り、横から顔面を殴った。殴った感覚が全くなかったが、まあまあ普通のダメージは与えていたらしい。かつあげ現場は硬直し、全員がおれを見る。そこでおれは言う。
「子供よ、逃げろ」とかっこつけながら。
「……うん、ありがとう!」
誤解しないで頂きたい。おれは子供なんかに興味はない。あいつの家の財産がゼロになっても知らんこったない。
あいつはおれを正当化させるために救った。不良から子供を救ったおれは子供の証言によりヒーローとなる。善人となる。
悪も善も紙一重だ。例えこの後どれほどこの不良をぼこぼこにしてもおれは善人であり続ける。
「なんだおまえは!」
不良の一人がおれに叫ぶ。対しておれは堂々と名乗る。
「この王国の遣い、ハズネ・ガクトだ!」
数十秒のうちに喧嘩は終了した。というのも剣で脅し、両手を上げさせ、不良二人のポケットから財布を抜き取り、クールに去っただけなのだが。こっちじゃ不良もナイフ一本持ってないのな。
ほう、こりゃ幾ら金を持っているのかわからないな。
銀貨二枚銅貨十枚青銅貨十数枚。銀貨一枚銅貨十二枚青銅貨十数枚。合わせて銀貨三枚銅貨二十二枚青銅貨数十枚か。
ということで先刻の武器屋に戻り、防具を購入することにした。なるべく軽装で、値札を見てなるべく価値の低いものを選ぶ。盾はいらないし剣は持っているので、服だけだ。
デザインはまあまあ普通。胸や肩に少し金属の防具がついている。ズボンも膝当てがある。どうせ鎧でがちがちにしたところで斧で薙ぎ払われればダメージに大差ないのだから、動きやすい方がいいだろう。
これで銀貨三枚だった。どうやら銅貨十枚で銀貨一枚相当なのでかの不良は意外と金を持っていたことになる。ちなみに青銅貨は最も価値の低い硬貨で、百枚で銅貨一枚に相当する。青銅といっても恐らく錆びた銅なのだろう、これは。まあ日本の十円硬貨は銅ではなく青銅らしいのだが、見た目はまったく異なる。
一文無しは解消されたわけで、途端に空腹感に襲われた。
レストランを少し覗くとピザやオムライスが豪華にイラストで載っている。そう、イラストだ。やはり写真も模型もないのだ。
その中で一番安い料理がもやし料理であった。食事の十中八九がコンビニだったのでこのもやし料理が何と言うの名前なのかわからないが、豚肉もやし炒めといったところだろう。他の商品が銅貨四枚青銅貨数枚だが、このレシピは銅貨二枚もいらないお手頃のものだ。
さっそく頂く。味は元の世界と変わらないか。しかしもやしは少量でも満腹感を覚える食材であると聞いたことがあるので、やはりこれから少しは何も食べなくていいだろう。
それにしても今までよく空腹にならなかったものだ。牢獄からここまで丸一日はかかっているのだが。
のんびりとおれはアーヴァシーラ北西の門を目指す。
防具及び服も普通のものに変えたし、恐らく服装で怪しまれることはないだろう。リーナもおれのこの変わりようを見ても、防具を買ったのだろうとしか思わないだろう。まさかおれが一文無しであったなど気づきはしないのだから。
日が暮れてきた。これはおれの勘違いなのかこの世界では日が短い気がする。
北西の門から出てふと思う。リーナは何をしにヴォルステックの湖に行くのだろう。絶景なのか、それとも夜会があるのか。見た目は狩人でもないので――魔物はいなくても普通の豚や鹿などはいるはずだ――そいつらを狩るために行くということはないだろう。
そういえばまだ地図を持っていない。ヴォルステックの湖とはどこだ。
結局おれは門番に道を訊き、湖に向かって歩き出した。そこでリーナと再会し、もう少し情報を集めたのち、翌日にレーゼト神殿へ向かう。
ヴォルステックの湖までは近かった。基本的にこの世界において移動というものは難しいものではないらしい。途中に断崖絶壁があるとか、そういうことはない。
湖に来て理解した。レストランとなっていたのだ。豪族が集まりそうな場所。元の世界にあってもおかしくない建物に、湖。それをのぞめる席。
そこに知っている顔があった。といってもリーナではないが。
「あ、昼の時の人じゃん」と無駄にハイテンションなアンナ。
「アンナか……。ハズネ・ガクトだ」
「変わった名前だねえ」
「…………。リーナは来ているか?」
「来てないけど。でもそろそろ来ていい頃なんだけどなあ」
まだ来ていないのか。
「ここで何かあるのか? 貴族が多い気がするのだが」
「知らないで来たの? 演説があるんだよ。次代王選挙の」
「はあ、あんたらは演説を聞きに来たのかい?」
「いや、あたしは王なんか興味ないぜ? ただリーナが行くっていうから勝手に来ただけさ。きみも同じだろう?」
「いや、おれは少し違うが……」
「そうだ、きみってリーナの恋人さんなの? 全く知らなかったけど」
「ま、まさか。初対面だよ。あいつが餓鬼に何か盗まれてて取り返したのさ。それだけ」
「へえ」とアンナは興味の有無がわからない声色で頷いた。
「巾着を盗まれていたのだが、その中身は知ってるか?」
「あたしは知らないよ。というか彼女がここに来る理由もわからないもの」
こいつどうでもいい系の設定がばがばなストーカーか。
それにしても来ない。リーナにとっての夕方は日が完全に落ちたことを言うのか?
「そうだ、あんたとリーナって貴族だったりするのか? こんな豪華なところに来てるけど」
「そういうきみは貴族なのかな? その豪華なところに来てるけど。――まあリーナは貴族だね。城のような家だもの」
それは家と言うのか?
「あたしは……到底貴族にはなれないよ。裏切り者だもの。みんな捕まった……」
「すまん、気に触ることを言ってしまった」
「いや、いいよ。平気」
日が落ちてしまった。既に演説は始まっている。客の中にリーナはいない。
「リーナを探しに行ってくる」とおれはアンナに告げ、レストランを出て湖周辺の森を探すことにした。
アンナは、自分も探してくると言った。
何か違和感を覚える。なんだろう、とてつもなく自分の懸念が当たりそうな気がする。
近くに木造の建物を発見した。思った通りだ。
建物へ忍び寄り、ドアを開ける。鍵はかかっていない。思った通りだ。
足を踏み入れると水を踏んだような音が足元からした。思った通りだ。
中を覗けば、リーナが横たわって血を流していた。
思った通りだ。
「リーナ!」彼女に駆け寄る。「どうした!」
細い体を抱えても動かない。背中から大量の血が出ている。首に手を当て脈をはかる。
脈がない。息をしていない。
死んでいる。
「おい……どうして!」
どうして死んだ。殺されたのか、何故殺された。
彼女の身に巾着がない。奪われたのか。あれを奪うついでに殺したというのか。
急展開すぎる。いやアンナと会ってリーナの姿がなかった頃から薄々気にしていた。こうなる可能性もあると思っていた。
アンナはずっとおれといた。だから絶対に彼女はリーナを殺していない。
おれが……おれが死ねばリーナは生き返るのか?
門番の騎士に斧で殺された後、死んだはずのトワイライトは生き返っていた。そりゃ時間が巻き戻っているのだから生き返るというか元に戻っているのだろう。
おれが今すぐ死ねば生き返るのか?
おれが今すぐこの剣で自分の命を絶てば元に戻るのか?
おれがおれ自身を犠牲にすれば助けることができるのか?
けどなんであれ死にたくない。
痛いんだ。あんなもの無理に決まっている。自分で死ぬなど不可能だ。
しかし死ねば彼女は生き返る。
畜生……死にたくないのに。死ねばリーナを生き返らせられる。
「自殺までする覚悟があるなんて、どれほどそこの女を愛しているのか、面白いわね」
剣を抜き腹に突きたてようとしていた時、背後から声がした。低い女の声。狂気染みた声。アンナとは対照的な声。
暗くてよく見えないが、よく見れば見えた。
この女、リーナの巾着を持っている。
「おい、おまえ!」
「その顔、人を殺せそうね」
誰だこいつは。こいつがリーナを殺したに違いない。
「わたしはただの運び屋だから、あるいはよろず屋だから、憎むならクライアントを憎みなさい」
無意識に体が動き、剣を女に向けて走っていた。
「ふふ、冗談」
その声を聞き終わった後、おれは床に倒れ伏せた。意識が離れていく。
この世界において三度目の死を迎えた。