小心者エルフと脳筋魔術師
*プロポーズ*
「結婚しないか? 指輪は買ってあげるから」
唐突に告げられた言葉にしばし理解が追いつかず、沈黙が降りる。
「・・・考えさせてください」
ようやく口から出た言葉は、ただただそういうものであった。
その場にいたのは二人だけ。テーブルに並ぶ食事をたいらげた女性と、それを片付け始めた男性。
普段と変わらない様子の彼女と、絶句して皿を落としかけた彼のお話である。
彼は、エルフと呼ばれる森の民であった。成人の儀のために、人族の住むこの町に着てまだ一年ほど。
ようやく慣れてきたと思われる頃である。古来より森の民は民族意識が強く、排他的で、ようするに引きこもりがちであった。
このままでは種族の存続が危ぶまれたため、ある程度の年齢になると一度森を出て他種族と交流するという慣わしが生まれたそうだ。
それが成人になるための試練となったわけだが、最近のエルフの若者は試練とは思っていないようで、喜んで旅立って行く。
そして、一人前の騎士や商人となって、その勇姿を仲間に見せるため戻ってくるのである。昔程エルフも人見知りではないようだ。
しかし、その青年エルフは引きこもり中の引きこもりで、なかなか森を出る決心がつかず、他のエルフの若者よりだいぶ遅く森を出た。
本当は一生森の中で静かに暮らせればそれでよかったのだが、そうもいかなかった。長老たちに追い出されるようにしぶしぶ森を出た。
そしてやっと先日、証としての高価な商人の札を買って持ち帰り、一人前と認められた。
その日のうちに森で薬草や木の枝を採取し、珍しく引きこもらずにまた人族の町へ戻る様子の彼を、長老たちは目を細めて見送った。
この町は「始まりの町」と呼ばれ、少年達が狩りの腕を上げるため最初に選ぶ町として程よい強さの獣や魔物が周辺に多かった。
そのためこの町の若者達はエルフをはじめ、近隣から己を鍛えるためにやってきた初心者が多い。
そのエルフの若者は現在、あるグループに所属している。
グループとは、若者達を中心に狩りや未開地の探索などを行うために組む少人数の集まりである。
狩りで一人前になるためには、お互いに助け合わなければ生きてはゆけない。とにかく群れることは魔物などから身を助ける術でもあった。
人族とエルフ族の大人たちの思惑もどこかにあったのかもしれない、と元・引きこもりエルフは思っていた。
必ずしも常時同行するわけではないが、助け合い、共同生活をするための最小単位といえる。
エルフの森から出て海を渡り、この町の港に着いた時、何をしてよいか分からない状態でうろうろしていた彼は突然、ある男性に声をかけられた。
その、勇者の血をひくという人族の男性に誘われ、このグループに入ることになってしまった。
が、実は、その男性が声をかけたのはエルフの彼ではなかった。
小心者の彼は自分の容姿に自信が無く、本来のエルフではなく、違う姿に見えるという魔道具を使っていたのだ。
人族の男性の目には妙齢の人族の女性に見えていたらしい。女性を保護するのは使命である、と豪語した。
そして男性は、自分がリーダーだから遠慮はいらないと言ったのだ。ただの女好きだった。
しばらくは町の様子を見るつもりだった彼は、あまりの強引さに少々後ろ暗かったが着いて行った。小心者ゆえ仕方がない。
しかしそれは彼にとって望外に幸運なことであった。
なにしろそのグループは小さいながら一軒家を保有しており、宿代いらず、食事も分担で格安。
部屋は男女で分かれているだけの寝室と共有の台所兼用の居間、お手洗い。そして何より共有の倉庫があった。
彼は嬉々として倉庫に持参した物を運び込んでいった。森から持ってきた大量の木の枝や、薬草や木の実が入った袋などだった。
森の匂いがなければ生きられないエルフなのである。
最初に新入りが女性ではないと気づいたのは同じグループの人族の女性魔術師だ。
さすがに同性ではないとわかるのだろう。早くばれて良かったと心から思った。
女性用の部屋で寝るというのは、健全な彼にとっても非常にいたたまれない状態だった。
彼はその時部屋にいた魔術師の彼女にいち早く真実を打ち明け、とにかく必死に平謝りした。
皆何となく気づいていたらしく、グループから追い出されることはなかった。
「うちのリーダーは人を見る目がないからなあ」と皆笑っていた。
今、グループ所属の仲間で、この家で寝泊りしているのは魔術師の女性とエルフの彼のふたりだけだ。
まあ、たまにふらりと誰かが来ては休憩して出て行く。他の仲間を見たのは、ここに着てから2,3度ほどしかなかったが。
グループ所有の家としては町のはずれに有り、しかも狭いからだろう、と彼女は言った。
何せ個室がないのである。多少の収入がある者達は町の宿に泊まっているらしかった。
最近ではリーダーである勇者の子孫の男性さえ姿が見えない。
グループに女性を勧誘するために、もっと大きな町へ出かけているらしく、すいぶん長い間戻って来ていない。
小心者の青年エルフは、エルフらしからぬ弓矢の腕をしていた。未だにあまり狩りの腕は上がっていない。
肉親と呼べる者がいなかった彼は、森にいた時でさえ、他のエルフとは離れて暮らしていた。
そのため、エルフなら当然であろうと人族が思っている範囲に彼はいない。狩りに同行した皆も困惑したに違いない。
それでも初めの頃はグループの皆が狩りを手伝ってくれていたが、最近は狩りに誘われる事もほとんどなかった。
魔術師の彼女は毎日の積み重ねの努力を怠らない。群れるよりも効率を優先させ、ほとんど一人で狩りに出ている。
生真面目な性格であり、この町でもすでに上位の強さで、知らない人がいないほど有名である。収入もなかなからしい。
それでも節約し、この家にいるのは彼女の夢のためだ。グループで町の外へ狩りに出かけた時に彼女は熱く語ってくれた。
「私は今は魔術師だが、いずれは魔法剣士になるのだ」
子供の頃に見たあこがれの騎士になる、いやそれ以上の、未だ存在しないただひとつの存在、魔法剣士になる。
周りから見ればそれは無謀そのものだった。しかし彼女は、強くなればいつかはなれると信じて疑わなかった。
華麗に繰り出される彼女の魔法の数々、そしてそれ以上に彼女は魔術師の長い杖を剣のように振り回す。
え、これ誰も止めなかったのか?、と彼は不思議に思ったが、周りの者たちはすでに諦めているらしかった。
この町周辺ならば彼女の魔術師の杖でも敵を撲殺できる。
しかし今以上の収入が見込める危険な狩場へ行くためには、非力な魔術師でも装着ができる軽さの、特注の品が必要になる。
本物の剣が、魔法と相性のいい剣が欲しい。現在彼女はそのための費用を貯めているのだ。
貧しい青年エルフは狩りよりも商売を優先させている。
あまり一緒に狩りに出かけないのは彼女の足をひっぱることを恐れるからだ。
そして新入りの彼がそう思うということは、以前からいるグループの者たちも思うことなのだろう。
本当にここ半年ほど、グループの家では彼女とふたりきりだ。
しかし特に問題もなく、ふたりはごく普通に暮らしていた。
彼にとって、少ない人数であることの方が楽だったし、彼女も寝泊りできればそれでよかったようだ。
先輩である彼女は毎日の鍛錬をかかさず、狩りに出かけ、彼には気さくに話かけ、助言し、面倒をみてくれている。
自分はどうなんだろう、彼女のように目指すものはあるのだろうか。彼はこの家でひとり考え込むことがあった。
大切な森を守ることはエルフにとっては当たり前すぎる宿命のようなものだ。
しかし、彼個人はそれだけでいいのかと初めて疑問に感じた。まだ漠然とした思いでしかなかったが。
とりあえず彼は、やさしく強い魔術師の願いが叶うように、心の中で祈ることにした。
そして最近の彼はのんびりと、町の露店が並ぶ通りの隅で店を出していることが多い。
「守護の祝福をお願いします」
「はいどうぞ。いってらっしゃい、気をつけて」
エルフが得意とする精霊魔法のひとつで、対象者に守備力が一定時間上がる祝福を与える。
駆け出しの、まだ自分と同じような初心者相手に安い薬や小物を売りながら、彼は無料で精霊の加護を振りまいていた。
それが彼なりの商売のやり方だった。
自分のため、誰かのため、彼は自分なりにやれることを考え、それは多少なりとも客という他人との繋がりを特別なものにしていった。
それまで売り買いだけだった言葉が、挨拶になり、感謝になり、たまに何でもないおしゃべりにまでなった。
彼も努力しているのだろう。以前の引きこもり具合を知る者が見れば驚くほど、彼の様子は変わりつつあった。
敷物を広げただけの彼の店に、たまに狩りに出かける前の彼女が顔を出す。
彼の魔法力では彼女の守備力にはほんのわずかしか影響がないはずだが、いつも通り守護の祝福を唱える。
そうやって有名人の彼女がやってくると、われもわれもと彼女の真似をする者たちで彼の露店は賑わうのだ。
彼女への感謝も込めて、彼はいつの間にか、グループの家で自然と家事をこなすようになっていた。
森でもほぼ一人で生活していたようなものなので、何の不満もない。一人分も二人分もたいして変わらない。
そんな彼の料理の腕だけは上がっていたようで、彼女にはすこぶる評判がいい。
「それから・・またよかったらあの、お菓子も・・あれば」
たまに食後に少し恥らうような、珍しく女性らしい仕草をする。
「ああ、ありますよ」
彼女のお願いに、どうぞ、と荷物の中から箱に入った物を取り出す。
森の木の実をふんだんに使った、四角で少し固いお菓子のような物で、エルフにとっては旅に持ち歩く非常食である。
たまたま彼が持ち歩いているのを見て味見を希望した彼女が、あまりの美味しさに驚いていた。
たいそう気に入ったらしく、それ以来たまにこうして催促がくる。
大物が獲れたりして臨時収入があった時の、彼女なりの自分へのご褒美なのだそうだ。
エルフにしか効果がないため、市場にはほぼ流通していない。それを彼女は高値で買い取ってくれる。
彼自身、これをエルフ以外が買い求めるなど思ってもいなかったが、日持ちもするので手が空いている時には彼女用に作り置きしておく事にしていた。
「おおお」子供のように目を輝かせ受け取ると、数を数え、きちんと支払いをしてくれる。
彼女のおかげで彼は高収入を得て、予想よりはるかに早く、森の仲間へ商人としての姿を見せることができたのである。
そうして彼は、森や精霊以外にも自分が守られていることを知っていく。
町に新しく教会が建ったことは知っていた。
一人前になった青年エルフが森から戻ってしばらくしたある日、魔術師の彼女からの珍しいお誘いに喜んで見物に出かけた。
「今、この教会で結婚すると、特別な能力が付与されるらしいんだ」
教会の中で神様の姿らしきものの彫刻をぼーっと眺めていた彼の耳に、そっと爆弾が落とされた。
ふたりが並んで立っている場所は祭壇のまん前。今はちょうど他の見学者も途絶えたようで人影がない。
「考えてくれたんだよね?」
彼女の言葉に急に鼓動が激しくなり、背中を冷や汗が流れた気がした。
付与される能力とはどんなものなのか、興味の無かった彼は知らなかった。
それが欲しかったらしい彼女の白い指から、ひとつの銀色の指輪が渡される。彼女はすでに自分の分は装着済みだ。
あたふたしてもしょうがない、腹をくくらねばならない。自分は一人前のオトナになったはずだ。
戸惑いながらも、えいっと自分の指に指輪をはめた彼は、彼女をじっと見つめる。
今までこんなに他者を見たことはない。
長い藍色の髪はまっすぐで腰まで伸び、胸の起伏はやや少ないものの、規則正しい生活と運動で身体は引き締まっている。
狩りのせいで多少日に焼けてはいるが、改めて見ても彼女は美しいと思う。
総じて美男美女が多いとされるエルフ族と比べても遜色ないくらいだ。
それに比べ、彼はエルフの中では小柄で、背丈は女性の魔術師の彼女と同じくらいである。
太ってはいないが、目立つ筋肉などない。
容姿は、他のエルフ同様に金色の髪に深い緑の瞳、白い肌を持つ。
しかしそのどれを取っても彼のものは多少くすんだ色をしており、他のエルフより劣っている自覚はあった。
容姿だけでなく、子供の頃から弓矢の腕も精霊を操る魔力も誰よりも貧弱だった。
だから引きこもりだったのだ。
「いいんですか?、こんな弱いのが伴侶で」
声に出すとそれまで高ぶっていた神経が落ち着いてきた。おそるおそるというより、ため息混じりに問いかける。
彼女はただにこりと微笑んだだけだった。答えはとうにわかっていた。
あの日、告げられた時から考えていた。彼女が欲しいのは夫、ではない。
結婚と引き換えに付与される能力だ。
自分を高めるための力のみを必要としている。そのためなら、非道でなければ何でもするだろう。
ああ、彼女なら仕方ない。断れるはずはなかったのだ。
それでも彼は森から戻ってきた。その時、自分でも不思議なくらい、森を出ることに不安はなかった。
彼は、前に一度だけ見たことがある婚姻の作法にのっとって、彼女の頬にくちづける。
同時にふたりの頭の中で神からの祝福の声が響く。
獲物がどこにいるのか、その探索範囲が二人分になる。個人の能力とは関係なく、結婚という、その事実だけで付与されるらしい。
能力を得られた彼女はとてもうれしそうだ。色恋など全く関係ない笑顔である。
その笑顔に、こんな自分でも彼女の役に立てた、これでよかったのだと思えた。
片思いなのか、諦めなのか、ただの憧れなのか。
彼自身にもわからない。ただ彼には、彼女を否定するものは何も無かった。
たとえ遠い未来だとしても、その魔法剣士の姿を見てみたいとは思っていた。
その時に自分の姿はどうなっているだろうか。ほんの少し彼は顔をゆがめていた。
大丈夫。これからも、これまでと同じ日常が続くだけだ。何も変わるはずはない。
そんなことを自分に言い聞かせている彼の心情などお構いなしに、本当に彼女はいつもどおりだ。
「今日出来なかった分の遅れは明日取り戻す!」とすでに狩りの予定を立てている。
狩りに関しては頭が回るのに、女性としては少々残念である。これが脳筋ってやつなんだな、と彼は苦笑いした。
無事に予定を終えたふたりは、建物から出るために歩き出す。
すれ違う人々は誰もふたりが新婚夫婦だとは思わないだろう。
たとえグループの誰かに話したとしても、おそらく信じてはもらえない気がした。
いや、あのリーダーだけは、「彼女なら有り得る」と真顔で納得するのかもしれないな。
同じ肩の高さ、歩くたびに触れそうな手の距離をただ隣に立って歩くだけ。
これ以上近づくことも、離れることも、彼にはまだ想像も出来なかった。
白い教会にはまだまだたくさんの人が訪れていた。
〜完〜
初投稿です。生暖かく見守っていただけるとうれしいです。