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matataki

人を好きになってはいけないのです

作者: 大橋 秀人

横読み用

 瞬くと、シズクはどこかさみしそうに窓の外を眺めていた。

 横顔が黒髪に透けてかすかに見え隠れする。


 三月の教室。

 あとひと月で学年が一つ上がる。

 そうしたらこのクラスともお別れ。

 小学校での最後の一年が始まる。

 来年も一緒に過ごせるのだろうか。

 気が付くと窓際に目を向けてしまう。

「森成」

「はい!?」

 唐突に名前を呼ばれたものだから反射的に立ち上がってしまった。

 先生はあきれたようにこちらを見る。

 教室中に笑いの渦が巻き起こった。

 その中心で茹ったような顔でごまかし笑いをする。

 シズクも頬杖ついてこちらに微笑んでいた。

「何をよそ見していたんだ」

 先生の視線で突き刺された。

 彼女の方に視線が向くのを辛うじて制して、必死で答えを探す。

「キレイだなと思って・・・」

「キレイ?」

「そうです。校庭の・・・」

 窓際の席のシズクに見惚れていたなどと言えるわけもない。

 苦し紛れの言い訳にそう言うと、クラスメートたちが一斉に首を回すのがわかった。 

「校庭の?」

「・・・雲! です。キレイだなって」

 冷たく閉ざされた印象の冬の校庭からキレイと形容できるものが見つけられず、苦し紛れにそう受け答えた。

 校庭の隅の方に、冬特有の薄い雲が煙のように漂っているのが見て取れる。

「雲か・・・」

 顎を少し上げ、遥か遠方を見やりながら呟くシズク。

「森成」

「はい?」

「キレイな雲だな」

 そう言ってニコリと先生が笑ったものだから、僕もつられてニッコリ笑う。

「でも、授業中によそ見していていいのか?」

 間髪入れずの質問に僕は背筋を伸ばし、すいません、と応えることしかできなかった。

 クラスはひとしきり笑いが起きたあと落ち着きを取り戻したが、誰かが僕の見ていただろう雲を当てようとちょくちょく校庭を見ては先生に見つかり、叱られた。

 僕は自分でもどれかわからないキレイな雲を探して無為に視線を漂わせたのだった。



 また悪いことが起こった。

 なし崩し的に始まったホームルームの時間にそう思う。

 体に膜がかかった感覚がある。

 それまで見ていたものと何処とは言えないが確かに違う世界に迷い込んでしまったような。

 シズクを見ているとロクなことがない。

 いや、彼女のことを考えているだけで良くないことが立て続けに起こっている。

 この感情が何なのか、しばらく前に答えはでていた。

 僕は結局、シズクのことが好きなのだと思う。

 それは間違いなく恋だった。

 でもまだ、”好き”という感情がどういうものか僕には掴み切れていない。

 というより、その感情の正体がほとんど解明できていないのだ。

 そして、それは知ろうとすればするほど、僕は混乱に陥った。

 それでも、知らないうちに彼女のことを考えていたり、気付いたら目を向けてしまっていたり、彼女と話すと信じられないくらい素直になれない自分がいたりするのだから、疑う余地はないのだろう。

 それが恋なんですと教えてもらわなくとも、恋は僕の中にすでに存在していた。

 だからと言って浮かれているわけではない。

 想いに浸っているわけでもない。

 むしろ、僕は苦しんでいる。

 彼女を想うあまり、何事にも集中できずにいるのだ。

 勉強も、運動も、遊びの時だって上の空で失敗ばかり。

 恋は、大人がするもの。

 だから、僕にはまだ早いのかもしれない。

 きっとまだ僕は、人を好きになってはいけないのだ。

 例え好きという気持ちに目を背けられなくとも、それをできる限り抑え込まなければならないのだろう。

 それはきっと、少なくとも僕がこの気持ちときちんと向き合うことができるまで。


「森成くん」

 放課後、黄昏ていると思いもよらずシズクから声を掛けられた。

 彼女の長い髪が西日を透かして艶めいている。

 陰影で表情は窺いしれないが、口元はかすかに笑んでいるように見えた。

「あなた、さっき本当に雲を見ていたの?」

 恥ずかしくて直視できず、僕は彼女から顔を背けてなんのことか考えるふりをする。

 教室はすでにホームルームを終え、人もまばらになっていた。

「私も空を見ていたけど、キレイな雲なんてなかったわ」

 そう言われ、思わずムッとして反論しようとした。

 ―――すると彼女は思いのほか素早く僕に顔を近づけて、こちらを正面に見据えこう告げた。

「あなた、本当は私を見ていたでしょう」

 彼女との距離、そして放たれた言葉に圧倒され、僕はしばらくシズクから目を背けられなかった。

 何も言えないでいる僕を尻目に、彼女は悠然と教室を後にした。

 僕はその姿を目で追うことしかできなかった。

 

 彼女は一体、何を考えている?

 何を思ってそんなことを言った?

 僕の答えは聞かなくていいの―――

 

 頭の中に疑問が溢れてくる。

 理解不能。

 キャパシティオーバーだ。

 でもドキドキが止まらない。

 むしろ高揚で今にも走り出したい気分。

 僕は追いかけたい衝動に駆られる。


 どうしようもなく恋しい。

 僕はまだ人を好きになってはいけない。

 でも、この気持ちを抑えることはできないだろう。

 

 彼女の出て行った方を呆然と眺めながら、そんなことを思った。 

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