無意識に君の名前を呼んだって、そんなのに深い意味なんてないんだから。
無意識に口にしていたのは、君の名前。
街灯の少なく、人通りの無い淋しい道である。
秋の夜はどこか物悲しく、冬では闇が濃く、春ならば闇が柔らかく、夏はどこかぼんやり明るいが何とはなしに空気が濃い。
心細さに知らず口から滑り落ちていた幼馴染の名に動転し、ぎくりと脈拍が跳ねた。
「呼んだ?」
「」
ポンと肩を叩かれて飛び上がる。
「何で、」
何故居る!?
こちらの混乱に気付かないのか意に介さないのか、飄々と笑みを浮かべている。
「部活早く終わって帰ったら、おばさんがお前迎えに行けって。なあ、今のってさ」
やっぱ、お前も夜遅いと怖いわけ。そう問う目は意地悪で、金魚が酸素を求めるように口をパクパクやっていた私に追い討ちを掛ける。
「違うから! 今のは何かの間違い! って言うか呼んだら来るとかアリエナイから! 寧ろ来たら逆に怖いから!」
ハイハイ、と笑うアイツは憎たらしく、ちっともこちらの言うことに耳を貸さない。
「ちょっと! 誤解しないでよね!」
「ハイハイ、怖かったな。よしよし」
「! ば、バカにして……!」
犬猫にするように頭を撫でるというよりガシガシかき混ぜられて、恐慌をきたした心臓が更にバクバクと音を立てるから振り払おうとするのに、身長差で適わない。
く、悔しい! 何よ、別に一人でだって帰れるんだから! 怖いわけじゃないもん!
「つか、ここだけ暗いな。塾の帰り、遠くても駅前の明るい道通れよ」
アイツは不意に少し声のトーンを変えて、神妙にそんな気遣うような言葉を掛けた。
どんなかおをして言ったんだろう。
振り仰いだアイツのかおはいつもの飄々とした、笑ってるけどちっとも笑ってないかおで、それでも「帰ろうぜ。腹減った」なんておどけてみせながら、目元が少し和んでいて。
それだけで急に柔らかくなった雰囲気に、胸がきゅうと締め付けられて、鞄の持ち手をギュッと握った。
さっさと家路をたどって歩き出す背に数歩遅れて、私も歩き出す。先を歩いていた足は歩調を緩めて、肩が並ぶ。
「お腹空いてるなら、迎えになんか来なければいいじゃない」
「今日お袋女子会で居なくてさあ。つかお袋達で女子会ってどうよ」
「別にいいじゃない。……つまり、うちの夕飯が目当てなのね」
「好きなんだよ」
邪気ない笑顔を向けられて、心臓が止まった。
「好きなんだよな。お前ん家のそうめん。うちのは具なんてないし、どうも茹で加減がさ。麺はもっとコシがないと」
殴りたい。コイツも一秒前の己も。
ときめいたわけじゃない。断じてときめいたりしない。
夜道だって怖いわけじゃない。今までだって一人で通った道だ。
ただ、寂しい時にはふと、コイツを思い出してしまう。幼い頃からいつも近くに居るから、きっと頭のどこかでそれが当然みたいに思っているのだ。きっと、それだけ。
心細さが消えて、安心してる理由なんて。きっと、それだけなのだ。