平和な朝
さわやかな朝だ。寝室を出て台所に私が顔を出すと、妻が微笑んで目玉焼きを焼いている。
「おはようあなた。あなたの目玉焼き出来たわよ。冷めないうちに食べて!」
窓からの日射しでテーブルの上の目玉焼きが輝いている。その横に添えられたウインナーもだ。なんて美味しそうに輝いているんだ!
「あらあなた、どうしたの?立ち上がって…」
私は、アレが欲しくなって台所の冷蔵庫の扉をガランと開け、ソレを取り出した。
「あなたそれ、マヨネーズじゃない…どうするの?それを…」
私は冷蔵庫から取り出したマヨネーズの容器の口を、出来たてホヤホヤの目玉焼きに向けた。
「まさか、あなた…」
私は容器を掴んでいる手に力を入れた。
「やめて!」
妻が叫んだ瞬間、私は容器を押すのをやめた。容器の口から落ちた微量のマヨネーズは、目玉焼きにかからず、添えてあったウインナーにかかった。
「やめて…」
妻は二度言った。
「やめてというのは、私がいま働いている職場のことか?それとも、私が今手に持ってるこのマヨネーズを、ホカホカの目玉焼きにかけることか?」
私が問いかけると、妻は冷たい目で私を見た。さっきまでのあの笑顔はどこへ行ったのだろうか。
「あなたが行ってる職場に不満は無いわ」
「そうか」
「不満なのは、今あなたがやろうとしているその行為!」
「やはりそうか…」
「そう!その白い、マヨネーズという名の半固体のドレッシングをわたしのる作ったホカホカの目玉焼きにドロドロかけて、わたしの目玉焼きを台無しにする行為よ!」
「そうか、やはりな」
よかった。『やめて』というのが『会社をやめて』という意味では無くて、本当によかった。朝から辞表を書く自分の姿を想像してしまった。
「再確認しよう。このマヨネーズを、目玉焼きにかけることをやめろということだな」
「ええそうよ。その行為は、あなたとの結婚を後悔する要因のひとつに成りうるわ」
「なぜだ…君はマヨネーズが嫌いなのか?」
「いいえ!嫌いじゃないわ。むしろ好きよ。マヨネーズに目玉焼き…そのコンビネーションが嫌だといってるの」
「いや、君こないだ、ゆで卵にマヨネーズかけて食べてたじゃないか。しかも満面の笑みで…」
「ゆで卵と目玉焼きは別でしょ!」
「まあいい、とにかく今、問題なのは私が目玉焼きにマヨネーズをかけるのを君に妨害されていることだ。君はいま、自分が何をしているのかわかっているのか?」
「…!」
「朝起きると、台所から妻が美味しそうな目玉焼きを焼いて迎えてくれる。そしてその目玉焼きにマヨネーズをどっぷりかける!それが私の幸福の絶頂だ。それを君は!『やめて』のひとことで!私を幸せの絶頂から奈落の底へ突き落とそうとしているんだぞ!それに君はいま、私を見えない鎖で縛ろうとしているのだ」
「…なにをいってるの?」
「結婚前に約束したじゃないか!束縛はしない。言いたいことははっきりいう!お互いストレスをかかえないためにも、お互いの自由を尊重しよう、幸せになろうと…」
「そうよ。だから言いたいことをはっきり言ってるのよ。それがいけないっていうの?」
「しかし今、君は束縛している。私の自由を尊重していないし、マヨネーズを目玉焼きにかけられないことに私はストレスを感じている!」
「…そうね。あなたの言う通りだわ。」
「わかってくれたか。わかってくれたなら遠慮なく私は、目玉焼きにマヨネーズをかけるからな…」
私は再びマヨネーズの容器をにぎった。
「私達、結婚したのが間違いだったようね…」
妻のひとことに、マヨネーズはまたしても目玉焼きにかかることなく添えてあるウインナーの上に落ちた。
「結婚しなければ、あなたは誰にも妨害されることなく目玉焼きにマヨネーズをかけられるわ。そしてわたしも、そんな目玉焼きの醜い姿を見ないで済む…」
「ま、待ってくれ!君がいなくなったら誰が!私に温かい目玉焼きを作ってくれるんだ?」
「どうせマヨネーズに冷たくされるくらいなら、もうあなたの前で目玉焼きなんて作らない!」
結局その日、わたしはマヨネーズをかけることなく目玉焼きを食べた。
会社に行ってから私はずっと、マヨネーズを目玉焼きにかけることだけを考えていた。明日も明後日もこれから先ずうっと目玉焼きにマヨネーズをかけられなくなるかもしれないと不安が私の胃袋を刺激し、気分が悪くなり、昼で会社を早退した。
家に戻ると、そこに妻の姿はなかった。