第三話 ボウハンカメラ
そこに女の子がいた。
満月がきれいな晩だ。遠くの山から、オオカミの高く吠える声が響く。
周りに誰の姿もない通りで、黒いコートを羽織っている五歳の少女は、電灯の柱に付いている奇妙な箱のようなものを、じっと見上げていた。
なんだろう。ゆっくりと首をふっている所がかわいい。話しかけたら答えてくれるかな?
「もしもーし! あなたの名前は何?」
それは、無言で動き続けている。少女に返事をするつもりはないらしい。
「もう、どうして話してくれないの? あたしとおしゃべりしようよ」
やっぱり答えない。少女はピョンピョンと跳ねて触れようとするが、はるか高い所にあるから当然届くはずもない。
「こうなったら……!」
少女は石を拾い上げた。箱に当てて気付かせようとするつもりのようだ。しかし、投げる姿勢をとったところで手を止めた。
「かわいそうだから、やめ」
少女は、近くを流れる川に石を投げ込んだ。ポチャンと音を立てて消えた。
「おーい、そこでなにやっとるんじゃ?」
少し離れた所から、この近くに住んでいるおじいちゃんが歩いてくる。千鳥足で、今にも川へ飛び込んでしまいそうだ。
「ええっとね。あの子に話しかけてるの」
少女は、例の箱を指さす。隣に立ったおじいちゃんは、赤い顔でそれを覗き込んだ。
「なんじゃ、あのヘンテコな物は。わしは知らんのう……ヒック」
「おじいちゃん、お酒くさいよー」
少女が鼻をつまむ。
「ほっとけ。老人の唯一の楽しみなんじゃ。これで死ねるのなら本望よ」
おじいちゃんは、片手に持っているお酒のビンを傾け、口に注ぎ込んだ。
「ねえねえ、あの子って何をあげたら喜ぶ?」
おじいちゃんに、大きな瞳を向ける。
「うん……? 酒なんかいいんじゃないか?」
そう言うと、おじいちゃんは電灯の根元にお酒をかけた。あまり入っていなかったので、すぐに尽きてしまった。
それを見ていた少女は、パアッと顔を明るくした。
「わかった! ありがと、おじいちゃん!」
少女は嬉しそうに走っていった。あっという間に暗闇へと溶けていった。
次の日の晩も、少女はあの箱のもとへと出かけた。
その日、町では年に一度のお祭りが行われていた。
酒に酔っている人もいれば、お祭りの空気に酔っている人もいる。みんなが楽しそうに笑っていた。
「何してるんだ、お嬢ちゃん?」
上機嫌のおじさんが、電灯の根元へビンを傾けている少女に話しかけた。
「あのね、あの子にお酒をあげてるの!」
小さい指が、電灯に付けられている箱へ向けられた。ほうほうと納得した顔をする。どうやら、察したようだ。
「そんなに酒をあげてたら、ボウハンカメラが目を回しちまうぞ。これでもあげたらどうだ?」おじさんは、手に持っている串カツをその根元に置いた。
「え、あの子の名前ってボウハンカメラっていうの?」少女は、地面におかれた串カツとおじさんの顔を交互に見た。
「そうだ。ほら、あいつがこっちへ向いているだろう? 俺のかっこいい顔を見ているんだよ」
ニカッとおじさんは笑うが、ボウハンカメラはすぐにそっぽを向いてしまった。少女は、「ボウハンカメラ、ボウハンカメラ!」と嬉しそうに何度もジャンプしている。
「あんたたち、何やってるんだい?」近くでお酒を飲んでいたおばさんがやって来た。
「見ての通り、俺のイケメンぶりをあいつに見せ付けているのさ」
ボウハンカメラに向かってポーズをとっているおじさんは無視して、電灯にひとり言をつぶやいている少女に声をかけた。
「ボウハンカメラとお話してるの!」と少女は言った。
すると、やり取りを聞いていた若者が「ふん」と鼻を鳴らした。
「バカかこのガキは。機械がしゃべるわけ――んー、んー!」
おばさんに口をふさがれて連れて行かれた。
だんだん人が集まってきた。別のおばさんがいった。
「そういえば、あのボウハンカメラっていうやつ? 三、四日くらい前にお偉いさんが、町のあちこちに付けていったやつだよねぇ。いったいどんなものだろ?」
「さぁな。あいつらがすることはいちいち分からんことばかりだ。気にしていてもしょうがねぇだろ」
「あちこち? あの子が他にいっぱいいるの?」
「そうだよお嬢ちゃん。あたしは、あの角を曲がった通りにも見つけたよ」
「行ってくる―!」
少女が、走っていく。それをおばさんとおじさんが止めた。
「せっかく行くんなら、この肉を持っていきな。あげたら喜ぶぞ」
「あたしのパンもあげるよ」
「オレの酒もくれてやるぜ」
「手がいっぱいになっちまったな。おれが代わりに持ってやるよ」
その夜、少女は先頭に立って、みんなと町を巡った。笑い声が絶えなかった。
「おはよ! 今日は、はりきって早く来ちゃった!」
少女がボウハンカメラのもとを訪ねるのは、もはや日課となっていた。
「今日は川の水をあげるね。……明日はちゃんといいものを持ってくるから」
電灯の根元が濡れていく。全部はかけずに、自分も少し飲んだ。
その時、人の気配がして少女は振り向いた。逆光でよく分からないが、二人の男らしき人物が早足でやって来る。この町の人ではない雰囲気だ。
「あ。あの人たちなら、どうしたらあの子と話せるか知ってるかも」
「もしもーし!」と駆けていく。男たちが立ち止まった。何かに気づいたように、懐へ手を入れている。
「あのね……」と言ったところで、少女は左の男が何を持っているのかが見えた。はっと息をのむ。
「くらえ! 聖水!」
右の男が、小さいビンの中身を少女にぶっかける。そのとたん、少女が苦しみ出した。
「キィヤアァァァァ!!!」
少女の頭がなくなり、あっという間に全て溶けてしまった。黒いコートがバサリと落ちる。
「ようやく、子どもを倒せた……」
左の男が十字架をしまう。
「そうだな。カメラを仕掛けたかいがあった。残りは、父親だけだ」
右の男は、ポケットの中から少女の写真を取り出すと、それを川へ投げ捨てた。
「血を吸う化け物をこの世からせん滅させるのだ!」
男たちは、夕焼けで真っ赤に染まった通りを去っていった。
ボウハンカメラが、風になびく少女のコートをしばらく見つめていた。
さっそくあとがきのネタが無くなった、というあとがき。