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第八話 とある兄弟の事情


「お前は、午後はどうするつもりだ?」


 朝食が済み、同居人たちが席を立ちだした頃、唐突にヴァンから質問を突きつけられた。


 真正面から見据えられ、食器を片付けようとしていた手が止まる。


 言葉に詰まり、ただじっと相手を見返すことしか出来なかったフィオナの思考は、答えを求めて空転した。


 ヴァンには、早く役に立てるようになれと言われていた。

 そのために努力するには、自分から動き出さなければダメだ。だが、フィオナは今日の予定をまだ考えていなかった。そのことに聞かれてから気付き、自分の甘さを痛感する。

 焦れば焦るほど、何も思い浮かばなくなっていく。


(どうしよう……どうしよう……)


 じっとフィオナの答えを待つヴァンの表情は、声と同様に厳しく、間が空けば空くほど眉間の皺が深まっていくような錯覚を覚えた。


「そうだ、フィオナ。午後は俺の仕事を手伝ってよ」


 そのうち窒息するのではないかと思うような閉塞感を破ったのは、柔らかなウィルの声だった。


「は、はい! 喜んで!!」


 泣きたいくらいの感激を抑え込み、フィオナは意気込んで応えた。この状況から救い出してくれた彼が天使にすら見える。


「まずは簡単なことから、ね。……と、言ってもリッドやユーリには任せられないし、俺が適任じゃないのかな。なぁ、ヴァン」

「ああ、そうだな。お前に任せれば安心だ、ウィル」


 そう言い残し、ヴァンがダイニングを去る。


 ログハウスの1階の広いスペースは、背の低い棚を仕切りにし、手前半分をリビング、奥をダイニングとして利用している。彼の背中が玄関の向こうへ消えるのを見送って、フィオナは大きく息を吐き出した。


 ようやく、呼吸の仕方を思い出した気がする。


「ふふっ……」


 そんなフィオナの耳に、くすぐるような笑い声が届いた。


「ウィル?」


 抑えきれない、というように肩を震わせるウィルの口から笑い声が漏れる。


「ふふっ、はははっ……すっかり怖がられちゃったなぁ、ヴァンも」


 どうも、先ほどからフィオナとヴァンの間に漂う緊迫感が、ツボにはまってしまったらしい。

 ひとしきり笑いおえてから、ウィルは目元を拭って軽い謝罪を述べた。


「ごめんごめん。女の子に怯えられてるヴァンがおかしくって……別に、あいつも怒ってるわけじゃないから、そんなにビクビクしなくていいよ」

「怒ってないんですか?」


 まだ少し笑いの余韻を残しながら、ウィルが頷く。


 彼はずっと怒っているイメージしかない。フィオナの滞在も、ウィルをはじめ、周りが置いていいと言うから仕方なく許可してくれてる風だ。


「あいつも、もっと言い方を考えればいいのにね。あれじゃあ、君が誤解するのも仕方がない。でも、あれがヴァンなんだよ。慣れてくれ……って、言うしかないのかな?」


 ふふっ、と、やはりおかしそうに笑う。

 初めて出会った時から思っていたが、彼の笑顔はとても綺麗だ。すこし、羨ましくなってしまう程に。


 ダイニングには、ウィルとフィオナしか残っていなかった。


 と言っても、カウンターを挟んだ向こうのキッチンでは、カミュと皿洗いのリッドが作業をしているのが見える。

 フィオナは、慌てて手にしていた空の食器を、リッドのところへ持っていった。


 ダイニングへ戻ると、ウィルに促され、となりのリビングへ移った。

 広間を観葉植物と棚で区切っているだけだが、雑談をするならソファの方がいいとウィルは判断したのだろう。


 リビングには3人掛けのソファが1つと、背の低いテーブルを挟んで1人掛けのソファが2つ置いてある。

 この3人掛けのソファは、最初にこの家で目が覚めたとき、フィオナが寝かされていたものだ。


 1人掛けのソファに座ると、ウィルが隣に車椅子を停止させた。その動きはとても滑らかで、フィオナは思わず、彼の動作にじっと見入った。


「ふふっ、車椅子が珍しい?」

「……あっ、すいません。器用だなぁって……」

「そうだね。もう、身体の一部みたいなものだから」


 しまった、と思ったが、ウィルは気にした様子もなく笑った。


 ぽん、と自分の膝を叩く。彼は、いつも足を隠すように裾の長い服を着ている。


「子どもの頃にね、事故に遭って、それ以来、膝から下が動かなくなってしまったんだ」


 ウィルは、フィオナが気になりつつも聞けなかったことを教えてくれた。

 車椅子は、実はユーリの特製らしい。


「本当は、ちょっとくらい荒れた道や段差でも乗り越えられるから、外を1人で出歩いても平気なんだけどね……口うるさい奴がいるから」


 他にも色々と便利な機能がついているらしいが、詳細は教えてくれなかった。


「さっきの話だけど、ヴァンは君を気にかけてるだけ――だと思うよ、多分ね」

「はぁ……」


 もしや嫌われているのでは、とすら思い始めていたフィオナには、意外な言葉だった。


「基本的に、偉そうで、上から目線でものを言うから、誰に対しても喧嘩腰に見えるけど、本人に悪気はないんだ」

「…………」


 結構な言われようである。


「まあ、責任感の強さとか――自分に厳しい分、他人にもそれを求めるから、ああなるのかな、とも思うけど」


 そう言ったウィルの目には、呆れたような口調とは裏腹に、親のような慈愛の色があった。


「ヴァンのこと、よく知ってるんですね」

「そりゃあね、兄弟だから」

「そうですよね、兄弟ですもんね……」


 …………


「ええっ?!」


 驚いた。


「わぁ、びっくりした。そんなに驚くことだった?」


 普段めったに出さないような大声を出してしまい、逆にウィルが驚いたようにフィオナを見る。


「兄弟だったんですか?!」


 似てない。


「似てないだろう?」

「はい! あ、いえ……ハイ、似てません」


 とっさに否定した方がいいのかとも思ったが、やはり肯定する。


「君、結構反応が面白いよね……まあいいや。似てないけど、一応、俺が兄……ってことになるのかな」

「一応?」

「俺の方が、少しだけ早く生まれたってだけ。同じ日に、別の母親から」

「……なるほど」


 納得する。フィオナの母国であるエルドラド王国もそうだが、大陸の多くの国が、王族の一夫多妻制を認めている。母親が違う兄弟、というのも珍しくはない。


 双子でもないのに同じに日生まれる、というのは逆に珍しいかもしれないが、2人が似ていないというのも、それなら納得できる。


 おそらく、ウィルは母親似で、ヴァンは父親似なのではないだろうか、と思った。なんとなくだが。


「だから、ヴァンのことは誰よりもよく知ってる。多分、本人以上にね」


 ふわりと笑う。自信を持ってそう言い切るウィルを見て、フィオナは羨ましくなった。


 フィオナには、兄弟はいない。

 母親が亡くなった後、後妻に入ったエクレーネ妃と父王の間に子どもはいない。

 王族の中ではめずらしく、フィオナの父王は複数の妻を持たない主義だった。


 だから兄弟の絆、というのはフィオナには分からないが――兄弟がいれば、フィオナが抱え続けている孤独も、少し違う形になっていたのかもしれない。


 国を追われることがあっても、2人一緒ならば、きっと1人よりも心強いはずだ。


 そう考えたところで、やはり『何で』という疑問が過ぎる。


 どうしてこの2人は、兄弟で国を捨てて、この森へやってきたのか――


 当然の疑問は、今はまだ口にすべきではないのだろう。誰も、フィオナの過去を詮索しないのと同様に。


 何も聞かないウィル達に甘えて、フィオナは自分の素性を話していない。

 話したところで、きっと困らせるだけだ。


「だから、あまり気にしなくていいよ。あれで面倒見はいい奴だから、色々と頼りになると思うし、仲良くしてやってくれ」


 兄らしい気遣いを見せるウィルに、やはりこの2人は兄弟なのだと実感する。


 たわいもない話に花を咲かせているうちに午後を迎え、フィオナは生まれて初めて『洗濯』というものに挑戦することになった。





「これ、結構大変な作業ですよね……」


 ウィルに丁寧に教えてもらいながら、洗濯を手伝っていたフィオナは、思っていた以上に、それが重労働であることに気付いた。


 案内されたのは家の裏手だ。

 水を貯めている大きな槽の隣に、見たこともない機械が設置されていた。


 大きな樽に、ハンドルや滑車のような物がついている。そこに洗濯物を放り込み、石けん水に浸して樽の中でぐるぐる回すらしい。


 同居人の数が増えるにつれ、徐々に課題になってきた洗濯の負担を減らすため、ユーリが勘案し、発明したものだという。

 車椅子のウィルが使いやすい位置に設えたハンドルは、フィオナの体格にも合っていた。だが、滑車の助けがあるとはいえ、これを回す作業は結構大変だ。


「みんな一番嫌がるんだよね。単調な作業だから飽きるんだろうな。疲れたら休んでくれていいよ」

「まだ大丈夫です!」

「そう? じゃあ頑張って」


 ウィルが笑顔で応援してくる。この後、干して畳むという作業もあり、合間休憩を挟んだが、全てが終わる頃には日が暮れかけていた。


「……ああ、残りは俺がやるからいいよ。お疲れ様。よく頑張ったね」


 耳心地の良い声にねぎらわれると、それだけで少し体力が回復する気がした。


 ソファの上で、フィオナはすっかり凝ってしまった肩をぐるりと回した。


「家事って大変なんですね。本当に、私、何も知りませんでした」

「そうだね。俺も知らなかったよ」

「そっか、ウィルにも知らない時期があったんですね」

「そりゃあね……だから、一歩ずつ、だよ。ゆっくり覚えていけばいい。出来ることから、ね。焦ることなんてないよ」

「……はいっ」


 優しい言葉に、力強く頷く。ウィルといると、自分に自信が持てる気がした。


 焦らなくていいと、隣で応援してくれる人がいるのは、とても心強い。


「今日は、フィオナがいてくれて助かったよ。ありがとう」


 そして、お礼を言われるのは、誰かの役に立てた気がして、くすぐったいようで、嬉しかった。




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