第六話 敬語使うな!
『森の家』の正面玄関は、床の位置が高くなっているため、階段の代わりに緩やかなスロープが渡されていた。
ちょうどそのスロープの前で、フィオナは、家の裏から戻ってきたらしいジークと鉢合わせた。
「おはようございます。ジーク」
「……おはよう。具合はどうだ?」
「すっかり元気です」
「……そうか。なら、いい」
短い挨拶を交わす。相変わらず表情や声の抑揚は乏しかったが、多分、気にかけてくれているのだと思うことにした。
ドアを開けると、すぐ左手に2階に続く階段がある。右手の空間には、続きになったリビングとダイニングが広がっており、その奥には、カウンターに区切られたオープンキッチンがあった。
キッチンのカウンターから、エプロン姿のカミュが顔を出した。
「やっほーお姫様! よく眠れた?」
「おはようございます、カミュ。お布団が気持ち良くて、ぐっすり眠れました」
「ならオッケー。もうすぐ朝ご飯出来るから、ちょい待ってて」
明るくウインクするカミュ。リビングには、車椅子のウィルがいた。
「ウィル、おはようございます」
「おはよう、フィオナ。いい朝だね」
「お布団、ありがとうございます。とてもよく眠れました」
礼を言うと、綺麗な笑顔が返ってきた。
その時、玄関のドアが開いた。
「ウィル、今日は午後から町へ出る。何か必要なものがあれば――」
入ってきた長身の青年――ヴァンの視線の先が、ウィルの向かいに立つフィオナに固定される。
「ああ、おはよう。変わりはないか?」
「おはようございます。ヴァン。昨日はありがとうございました」
「何の話だ?」
「ここに住むことを許可してもらって……」
「俺はこの家の主ではない。お前の同居を許可したのは、この家の住人の総意だ。礼を言われる筋合いはない」
「えっと……」
「お礼なんていいよ、ってさ。俺たちはみんな、この森と家に住まわせてもらってるんだから、お互い助け合って生きていくのは、当たり前なんだよ」
厳しい声ではねつけられ、言葉に詰まったフィオナの肩を、ふわりと白い手が包んだ。
優しい声音に顔を向けると、至近距離で向けられた穏やかな微笑みにドキリとする。
「――ね、ヴァン?」
「……とにかく、礼には及ばない。それよりも、一日も早く周囲の役に立てるよう精進することだ」
そう言い捨てて、リビングの奥に続く廊下――自室の方へと姿を消すヴァン。
「朝から説教喰らってんのかよ、オマエ」
頭上から降ってきた声に、フィオナとウィルは顔を上げた。
1階の半分は吹き抜けになっているため、2階の渡り廊下から見渡すことが出来る。
3人部屋から出てきたらしいリッドが、手すりにもたれかかり、二人を見下ろしていた。
「リッド! おはようございます」
「……よぉ」
挨拶すると、急に視線を逸らされた。
「ちゃんと寝れたのかよ? ……てか、そのー、頭とか、平気か?」
リッドが階段を下りてくる間に、ウィルはさりげなく場を離れ、ヴァンが消えた奥の廊下の方へ去っていく。
フィオナに近づいてきたものの、リッドは、決まり悪そうに視線をさまよわせていた。どうやら、昨日の怪我をまだ気にしてくれているらしい。
「もう痛くありませんし、昨日のことは気にしないで下さい」
「べ、別に気にしてるわけじゃ……ってか、オマエいくつだよ?」
「え?」
「トシだよ。それくらい分かんだろ」
急に話を変えられ戸惑うが、ぶっきらぼうに聞いてくるリッドに、フィオナは素直に答えた。
「昨日で……15歳になりました」
昨日、と言うと少しだけ胸が痛む。
15歳の誕生日は、思いもよらぬ形でフィオナの人生を変えてしまった。
「15!? マジかよ、じゃあ同い歳じゃん」
オレも来月で15だし、と付け足すリッドは、フィオナの表情には気付かなかったらしい。
だが、急に神妙な顔つきになり、大きな金色の瞳が、じっとフィオナを見つめた。
「じゃあオマエ、アレだぞ。気持ち悪いからやめろよ、ソレ」
「ソレ……とは」
「敬語だよ、ケーゴ! それやられると馬鹿にされてる感じがしてむかつく!」
「別に馬鹿にしてるわけでは……」
「オレが気になるんだよ。とにかく、敬語禁止な! 分かったな!」
「ハ……う、うん」
思わずハイ、と答えてしまいそうになり、慌てて言い直す。
言葉使いは乱暴だが、相手がとても緊張しているのが伝わってきて、多分、彼なりにこちらに気を遣わせまいとしているのだろうと思った。
ヴァンとウィルが今年20歳で、ジークとユーリはその一つ下、ラウが18歳、カミュは17歳になるのだと聞いた。
西大陸では、男性は17歳で成人と見なされる国がほとんどなので、新成人という中間的な立場にいるカミュを除けば、皆大人だ。
リッドは唯一の未成人で、最年少ということだ。
敬語を使わなくていいと言われ、初めて同じ歳の友達が出来た気がして、嬉しい気持ちが湧いてくる。
「いやぁ、スミにおけないねェ。リッドも」
「のわぁっ!?」
突然背後から降ってきた声に、リッドが飛び上がって驚いた。
「ユ、ユーリ?! てめー、いつから……!」
「キミが不器用にお姫サマを心配してるあたりから?」
「思いっきり最初の方からじゃねーかっ! 盗み聞きしてねーでとっとと声かけろ!」
「青少年の甘酸っぱい青春模様に、感動で声も出なかった……ってコトにしとこうか?」
「しとこうか? じゃねー! 人からかうのもたいがいに……」
胸ぐらを掴んで投げ飛ばそうとするも、頭一つ分違う身長差では、ぐらぐら揺さぶるくらいが関の山で、ユーリは掴まれたまま飄々としている。
「やァ、お姫サマ。ご機嫌いかが?」
ちら、と翠の視線が向き、フィオナはなぜか緊張した。
この家の住人はみな個性的だが、彼は特に不思議な空気を纏っている。
「体調はとてもいいです」
「残念だなァ」
「え?」
会話が繋がらず、思わず聞き返す。
ユーリは、読めない笑みをさらに深めた。
「リッドだけ特別……なんてズルくない?」
ぱっと、ぶら下がっていたリッドを簡単に払い、ユーリの手がフィオナの頬に伸びる。
初めて間近で見た顔に、フィオナは、彼の右目の下に小さなほくろがあること気が付いた。ジークにはなかったと思うので、彼らを見分ける目印といえるかもしれない。
「ボクも、アナタとの距離を縮めたいと、そう思ってるんだけどねェ……?」
顎をすくい取られ、耳元で囁かれた艶のある声音に、思考が停止する。
「は? な……?」
というか、近い。顔が近い。
気が付けば、驚くほど至近距離にあった翡翠に目を奪われる。普段、人を食ったような笑みを浮かべている顔から、ふっと表情が消えると、不思議な迫力があった。
「な……にしてやがるこの変態!!」
スパコーン! と、小気味の良い音が響き、目の前から翡翠が消えた。
代わりに、全力でユーリの後頭部をはたき倒したらしいリッドが、顔を真っ赤にして、肩で息をしている。凶器は履いていたスリッパだ。
「人の目の前で、趣味の悪ぃ冗談……」
「っ……くっ……」
「だ、大丈夫ですか?」
後頭部を押さえ、うずくまるユーリに、自分がされかけたことも忘れ心配するフィオナ。
「くっ……ははははははっ!」
「…………」
突然笑い出した相手に、打ち所が悪かったのだろうか、と別の意味で心配になる。
ひょい、と堪えた様子もなく立ち上がり、ユーリはさもおかしげに笑いながらフィオナを見下ろした。
「冗談だョ。いやはや、からかい甲斐のあるコが増えて、これからが楽しみだねェ」
「楽しみって……」
「そういうワケで、こーゆーコトされたくなかったら、口調改めたら? ……ま、されたいんだったらイイけど」
そう言って、ひょこひょことダイニングの方へ向かっていく。
「カミュ、ご飯マダ?」
「まだだっつっの。てか、早く食いたいなら手伝えよ、ユーリ」
「えー、ヤだ」
「……なら大人しく待ってろっ」
「はァい」
カウンターを挟んで、キッチンのカミュとそんなやりとりをしているのが、右から左に流れていく。
最後に投げかけられた言葉の意味を咀嚼するには、結構な時間がかかった。
「……あ。敬語使うなってこと……?」
「……だろーな」
疲れた様子で隣に立っていたリッドが同意する。
その一言を言うために、どれだけ人を振り回せば気が済むのだろう。
精神的にどっと疲れたフィオナの耳に、朝餉の支度が出来たと呼ぶカミュの声が届いた。