第五十二話 洗濯日和
「ううーっ。痛いーっ痛いぞアルヴィス! 僕は死んでしまうかもしれん!」
「はいはい、肋骨くらいは折れてるかもねー。結構ぶっ飛んでたからね、お前。でもまー、さっき死んでないなら、今から死ぬことはないっしょ」
同じ頃、じたばたゴロゴロしながら喚く意外に元気なキアルディに対し、アルヴィスが死ぬほど適当な慰めをかけながら、肩を貸してやっていた。
その様子を遠巻きに見ていたカミュとラウに対して、頭をかきながら謝るアルヴィス。
「申し訳ないねー、こいつ育ちが悪くって」
「近衛騎士がか?」
「いるんだよ、たまにはそーゆーのも」
カミュの鋭い突っ込みに、アルヴィスが何とも適当に聞こえる返事をする。
うまく流され、どう言ってやろうか思案するも、次に響いたキアルディの悲鳴に、またアルヴィスが適当にあやしだし、会話の続行が不可能になる。
そんな状況に、ラウとカミュは目を合わせて肩をすくめた。
ウィルを人質に取られたことに対して激しい怒りを感じていたはずだが、ヴァンの暴走と鉄拳制裁に毒気を抜かれてしまった。
未遂でもあったし、ことキアルディに関しては、十分報いは受けただろう。
「なんだよあいつ。すげーガキじゃんか。カッコワリ」
年が近いリッドは、わんわん泣きわめくキアルディを小馬鹿にしたように、鼻を鳴らす。
そういう彼も散々泣いたような跡があるのだが、大人なカミュは言わないでおいてやった。
※
その頃、一通り笑い終えたウィルが、改まった表情でレナードに向き直った。
「レナード、俺たちがこの森にいることは……」
「貴様等がどこで朽ちようと興味はない」
皆まで言わせず、レナードが冷たく告げる。
「むしろ、無能な第三王子が王位を継ぐのであれば、我が国としては好都合だ」
彼らしい言葉に、ウィルが微笑する。
その反応が気にくわなかったのか、レナードはつまらなそうな表情で、彼から視線を逸らした。
「――白雪姫」
予想外の急展開に呆気にとられていたフィオナは、急に自分に話が振られ、飛び上がるほど驚いた。
「は、はいっ?!」
よく考えれば、彼に求婚されている途中だった。
ヴァンの豹変あたりから、もはやそれどころではなくなっていたフィオナである。
「嫌がる女性を無理に略奪するのは美しくないな。私はシュヴァルトの民ではない」
優雅に顎に指先をあて、レナードは譲歩のそぶりを見せた。
「今回は、潔く身を引こう。ただし、貴様たちが白雪姫を傷つけないと約束するなら」
「当たり前だ」
「誓って言うよ。それだけは、絶対にないと」
同時に即答したヴァンとウィルに、面白くなさそうに鼻を鳴らすレナード。
「――フン、まあいい。貴様らも、このような場所に、いつまでも逃げ込んでいるわけにもいくまい。少しの間、時間をくれてやる」
どこまでも上から目線で、レナードは森の家と、その住人たちを一瞥した。
「いずれ選択の時も来るだろう」
その視線がフィオナの上で止まり、熱のこもった眼差しで見つめる。
「その時、お前は必ず私を選ぶ――」
その自信は一体どこから来るのか、聞きたくなるほどの断言ぶりに、フィオナは頷くことも出来ずに押し黙った。だが、少しばかり、彼が自分を見る目が変わったような気がする。
少なくとも、彼はフィオナに己を『選ばせる』つもりらしい。
そこに、フィオナの意思を尊重する意図が含まれていることに安堵する。
ウィルの言う通り、レナードは決して、傲慢なだけの人間ではないのかもしれない。
「……どういう意味だ?」
レナードの台詞に、別の部分で引っかかったらしいヴァンが、不穏な空気を漂わせて聞き咎める。
アルファザードの王子は、アイスブルーの眼差しを歪め、不敵な笑みを浮かべた。
「――また来る」
マントを翻し、表へと向かうレナードを、キアルディを抱えたアルヴィスが追う。
門前まで見送ってやる義理もなく、『森の家』の住人たちは皆、そこに立ち尽くして、過ぎゆく嵐の背を眺めていた。
「……二度と来んじゃねーよ」
疲れ切ったカミュの呟きに、その場にいる全員が同意した。
◇ ◆ ◇
招かざる訪問者たちの姿が、赤く染まる森の奥に消えた後、ひょっこりと双子の王子が帰ってきた。
「おまえら、どこ行ってたんだよこんな時に」
何事もなかったかのように、裏庭に姿を見せた双子を、カミュが呆れ顔で迎え入れた。
「うおっ、リッドどうした?」
2人を目にした途端、さっとラウの背中に隠れたリッドが、警戒心の強い野生動物のように双子を睨みつける。
じっとラウの影から様子を伺う少年に、ユーリが肩をすくめて近づいた。
「まァ、ボクらもまだ、ただの謎の双子でいたいってことですヨ」
「なんだよただの謎の双子って……」
相変わらず意味不明なユーリの言動に、うめくカミュとは対照的に、リッドの表情がパッと明るくなる。
その視線が、ユーリの斜め後ろに立つ同じ顔の青年に向けられ、目が合うと、ジークが黙って頷いた。
「……んだよ、それ……」
ぼやく声とは対照的に、ラウの背中にしがみついたまま、リッドが破顔する。
「あー! あっちー!」
途端、糸が切れたようにドカッと芝生に座り込んだ少年が、シャツをばたばたと仰ぎながら叫んだ。
「走ってきたから、汗だくだく……ラウ! 水ぶっかけて!」
「よしきた!」
家の裏手に置かれた、洗濯と水撒き用に溜めてある大きな水槽にバケツを突っ込んだラウが、容赦なくリッドに水をぶっかける。
「ぶわっ、それでくんのかよ! びしょびしょじゃねーかっ」
「あれ、違ったのか?」
「オレとしてはジョウロで涼しい感じに……まぁいいや! それラウ! てめーも濡れろ!」
「うおっ!? 冷てっ」
「ちょ、おい、かかったぞ! 俺まで巻き込むな!」
猫のような身軽さでバケツを奪い取り、水槽に駆け寄ってラウに水をかけ返すリッド。ラウの後方にいたカミュが巻き添えを食らい悲鳴を上げる。
「庭先で水浴びをするな! 川までいけ!」
案の定、すぐに互いに水を掛け合う事態に発展し、ヴァンの怒声が飛ぶ。
「ほら、フィオナも!」
「きゃっ」
その様子をぼんやりと眺めていたフィオナも、ジョウロを手に攻勢に出ていたカミュに頭からかけられ、飛沫を受ける。
「やったわね……えいっ」
水槽に近づき、仕返しに手で水を飛ばすが、あっさりと避けられる。
「甘い甘い!」
憎たらしく舌を出して逃げていく赤毛の少年。
素早く視線を巡らし、フィオナは壁に立てかけられた使われていない柄杓を見つけた。
さっそくそれで水をすくい上げ、挑戦的に近づいてきたリッドに向かって狙いを定める。
水いっぱいの柄杓は思ったよりも重く、フィオナは思いっきり振りかぶった。
「やぁ!」
「はっずれー」
ひらりと身を翻し、かわすリッド。
――バシャッ
「あ……」
リッドが間の抜けた声を最後に、その場の空気が固まった。
「ヴァン……!?」
「…………」
避けたリッドの後ろにいたヴァンが、見事に水をかぶっていた。
前髪から水をしたたらせ、無言で佇むヴァンに、フィオナは青ざめた。
「ご、ごめんなさいヴァン……」
縮こまって謝るが、それでヴァンの髪が乾くわけではない。覆水盆に返らず。読んで字の如く。
「お姫様やるぅ」
カミュが口笛を吹き、リッドが手を叩いて喜ぶ。本人以外には至って好評のようだ。
「はははっ」
彼らのやり取りを、壁際に寄って見ていたウィルすらも、ずぶ濡れになったヴァンに爆笑する。
「ウィル……」
「ごめん、だって……ぷっ、あはははっ」
不機嫌に名を呼ぶヴァンに、ウィルが必死に笑いを堪えようとするが、堪え切れていない。
「こうなると、ボクの新発明の出番みたいですねェ」
「うわっ? ユーリお前、いつの間にそんなもん持ってきたんだ。なんだソレ」
いつの間にか姿を消し、またいきなり背後に現れた気配に、カミュが驚いて仰け反った。
ユーリの腕には、長いホースと何かのハンドルのようなもの、そして先が3本に枝分かれした器具が抱えられていた。
「おっ、ユーリもしかして、前に頼んでた例のヤツ、出来たのか?」
ラウが声を弾ませて駆け寄る。
「例のヤツぅ……?」
うさんくさい響きに、嫌な予感がしたらしいカミュが、嫌そうに呻く。
「後はコレをハメたら完成だヨ。ウィル、ちょっとそこイイですか?」
「うん? ああ、ゴメン。これ?」
謝りながら、ウィルが水槽の隣から退く。
彼の足下には、水槽に横付けするように、なにやら木箱がくっついていた。
発明品というからには中にからくりが入っているのだろうが、一体どういう用途に使うものなのか、皆目見当がつかない。
その箱の蓋を開け、中にホースの片側を差し込む。反対側のホースの口に、3本脚の器具を取り付け、庭の真ん中あたりに設置した。最後に、ハンドルのようなものを箱の壁面に差し込む。
「このゼンマイを回したらいいの?」
「そうですヨ、こうやって……」
ウィルは、それの正体を理解しているらしい。ユーリと会話が成立していることに半ば感心していると、カチカチと音を立てながらハンドルが回った。
ウィルの言葉から察するに、その取っ手はゼンマイの巻きネジだったらしい。
巻き切ったユーリが手を離すと、取っ手は逆方向にゆっくりと回り出した。ガコン……と、箱の中からなにやら音がする。
(何が始まるのかしら……?)
フィオナが箱の傍に近寄り、ドキドキしながら眺めていると、唐突に庭から悲鳴が上がった。
「ぎゃーっ」
「なんだコレ!? 急に水が噴き出してきたぞ!」
リッドとカミュが騒いでいる。見ると、庭の中央に設置された器具がぐるぐると回り、勢いよく水を放出していた。
「広範囲に水を撒く散水機だね。いい出来じゃない」
「ラウが、自家菜園が広がってきたので欲しいと言い出しましてネ。あの脚の部分がクルクル回るのと、ゼンマイバネを使って一定時間散水されるので、放っておけば自動的に止まるのがポイントです。コレがうまくいけば、洗濯機ももっと改良出来ると思いますヨ」
「それは嬉しいな。楽しみにしてるよ。……でも、なんかみんな大変そうだけど?」
確かに広範囲は広範囲だが、ラウの栽培園のスペースを大きく超えている。水圧で回っているらしい3本脚の噴射口が、勢いよく回り過ぎて今にも振り切れそうだ。
360度降り注ぐ強烈な人工の雨に、少年たちが逃げ惑っていた。
細いノズルから吹き出る水に勢いがあるので、近くで当たったら、多分痛い。
「ユーリ! 飛びすぎだろコレ!」
「おやァ? おかしいですねェ、水圧の調整が上手くいってないようです」
依頼者のラウから苦情が出て、ユーリが首をかしげる。とはいえ、ゼンマイが切れるまで止めることは出来ない。
「……うーん。洗濯機の改良は、もう少し後でもいいかな」
「……そうですネ」
阿鼻叫喚の裏庭を眺めながらのウィルの感想に、ユーリが同意する。
「おい! フィオナずりーぞ!」
彼らと一緒に庭の惨状を傍観していると、裸足で逃げ回るリッドに呼ばれた。
この状況にずるいも何もない気がするが、実はフィオナも、先ほどからあの中に入りたくてうずうずしていたのだ。
「ホラ、お姫様も!」
濡れた赤髪を掻き上げ、カミュが手を伸ばして誘う。
「……私も!」
フィオナはドレスの裾を翻し、呼ばれるままに飛び込んだ。
※
「さて、責任をとってボクも濡れてきますかねェ」
水色のドレスの少女が庭に飛び出していくのを見送った後、事の元凶がそんなことを言い出した。
その横顔は、どことなく楽しそうだ。
「いってらっしゃい」
ひょいと噴水の中に飛び込んでいく背中を見送り、ウィルは笑みを浮かべる。
「ユーリ! この噴水を止めろ!」
勢いのある放水から腕で顔を隠し、ヴァンが叫ぶ。
ジークですら、長髪から水をしたたらせ、そういう石像か何かのように微動だにしない。
どうやら、早々に濡れるのも逃げるのも諦めたようだ。
すっかりそのアトラクションを楽しみだした年少組が、水でぬかるんだ地面を転がり出す。
「あはは、みんな泥だらけだ」
笑い声と悲鳴が響く夕暮れの森で、ウィルが笑った。
「今日は、洗濯物が増えそうだな」




