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第五十話 宿命のライバル


「マジで何がなにやら……」


 全く予想外の展開に、頭を抱えるカミュの目の前で、前代未聞の『決闘』がイアルンヴィズの森の中で行われようとしていた。


「なぁカミュ、これマズいんじゃないのか?」

「マズくねぇことはねぇだろうな……」


 いまいち状況を理解していないラウの問いに、こちらもいまいちピンとこないまま応えるカミュ。いろいろな事情を考慮したら、とてもマズいような気がするのは気のせいだろうか。


 深淵なる森を背景に、庭で対峙する2人の男。


 ギャラリーは、カミュとラウ。そして、家の裏手に回ってきたアルヴィスとキアルディだ。

 馬は表に繋いできたらしい。白い隊服の騎士2人は、このような状況でも涼しい顔で静観している。


 裏庭の半分くらいはラウの自家菜園になっているのだが、仕切りなどが立てられているわけではない。ヴァンはその辺気を遣った位置取りをしてくれているのだが、レナードにそれを求めるべくもなく、普通に踏み込まれている。


 実際戦うとなれば、ヴァンも足下に気を遣う余裕はなくなるだろう。このような事態になった時点で、ラウは覚悟を決めたらしい。


「……今度は柵作っとこ……」


 悲しい呟きに深く頷くカミュ。つくづくレナードとは迷惑な男である。


 そんな不満を募らせるギャラリーの視線を気にした風もなく、レナードは宿命の好敵手――と彼が一方的に思っているらしい男に言葉を投げた。


「やはり、お前とはこうなる運命らしい」

「そんなもの、誰が決めたんだ」

「相変わらず不愉快な男だ」


 闘志を燃やすレナードの台詞に冷水をぶっかけるヴァンの物言いに、金髪(ブロンド)の王子は秀麗な顔を歪めた。


 一事が万事この調子だ。ヴァンは、普段から愛想というモノからかけ離れた人間だが、この王子に対しては、一段と対応が雑だ。なぜかヴァンに対して対抗意識を燃やしまくっているレナードとは対照的である。


 出来るだけ関わりたくないと思うのはある意味当然の心理としても、かのアルファザード王国の王位継承者を、ここまで無下に扱う人間もそういないだろう。


 文武両道。才色兼備。西大陸一の大国の王子は、その性質が極めて『変わり者』であるという風評以外は、おおよそ欠点らしい欠点を持たない人物として知られている。


 彼がいかにナルシストで高慢であっても、そこには裏付けされた実力が伴っているのだ。


「――貴様はいつも、私の求めるものを先に持っている」


 そんな自他共に認める『完璧な王子』であるレナードに、あってはならない嫉妬の炎が、美しい碧眼に揺らめく。


「気のせいだ」


 その台詞にすら、ヴァンはにべもなく応えた。


「俺は何も持ってはいない」

「そういうところが、気に食わないと言っている」

「貴様の好みに合わせる義理はないな」

「……ッ!」


 唇を噛み、憤怒に眉を吊り上げたレナードが柄に手をかけた。


「さぁ剣を持て、ヴィンセント。丸腰では戦えぬぞ」

「一体何を始める気?」

「ウィル……!」


 レナードが作り上げた2人の世界を、別方向から飛んできた声が打ち壊す。

 ヴァンとレナードが同時にそちらを向き、カミュがその名を呼んだ。


 表の玄関から回ってきたらしい車椅子の青年と、その車椅子を押す少女が庭の端に姿を現す。

 いつも通り長い銀髪を肩口でゆるやかに束ねた麗人が、屹然とした表情で決闘を目前にした2人を見つめていた。


 すぐにレナードの視線が、ウィルから、彼の背後に立つフィオナへ移り……その美貌に、不敵な笑みが浮かんだ。


「ちょうどいい。目の前で、本当に相応しい者は誰か、真実を証明しようではないか」

「何を言っている」

「貴様が私に勝てたら、白雪姫から手を引いてやる」


 提案するレナードの目には、既に1人の男の姿しか映ってはいない。


「だが、私が勝ったら――彼女は私のものだ」

「勝手に決めるな」

「さぁ、どうする。ここで引き、戦わずして負けを認め大人しく白雪姫を渡すか――私と戦い、破れ、惚れた女の前で惨めな姿を晒してから姫を渡すか――好きな方を選ばせてやる」


 舞台と錯覚するような、完璧な謳い文句の後、ヴァンの足下に白い手袋が投げつけられる。


「その思い込みの激しさは相変わらずならしい」


 もはや突っ込むことの無駄を悟ったのか、淡々と呟いたヴァンは、レナードから視線を逸らし、一度フィオナを見やった。


 この突然の事態を、不安げに見守る少女と目が合う。


「――いいだろう」


 ヴァンが固い声で承諾し、足下の白手袋を拾い上げた。


「俺を倒してみろ、レナード」

「そんな……!」


 レナードの言いがかりとしか思えない決闘を、ヴァンが受ける義理はない。


「やめるんだ!」


 フィオナが止めようとする前に、いつになく切迫したウィルの叫びが割って入る。


「ヴァン、君は本当にこの決闘を望んでいるのか?」


 咎めるような色を含んだ問いに、誰よりも敬愛する兄を真正面から見返し、ヴァンが答えた。


「……当たり前だ」


 ハッと、打たれたようにウィルの表情が変わる。


「では、双方合意の上、ここに正式に決闘を始めるということでー」


 それ以上兄弟の会話が続く前に、間延びした声で、青髪の騎士――アルヴィスが場を取り仕切った。


「幸い人数も揃ってますしー。決闘責任者は、僭越ながら俺、介添人はレナード様側がこのキアルディ、ええっと……ヴィンセントさん側が金髪のお兄さん。王女様は報奨品となるので除外して、後の方はギャラリーということで。どのような状況であっても手出し無用でお願いしますよー。おい分かってんな、キア」


 実際のところ、一番ルール無用のキアルディに、アルヴィスが念を押す。


「ヴァン」


 ラウが、持ってきていたヴァンの長剣を投げ渡す。


「すまん。畑を台無しにすることになる」


 それを受け取ったヴァンが謝る。彼がこんな風に謝罪を口にすることは、珍しい。少し驚いたラウが、白い歯を見せて笑い、親指を立てる。

 その横で、カミュが真似して親指を立て、片目をつむって見せる。


「決闘に口出しなんて、野暮な真似はしねぇよ。頼むぜ、大将」


 決まってしまったものをとやかく言っても仕方がない。双方が受諾し、決闘責任者が名乗り出た時点で、ここは正式な決闘の場となる。


「ああ」


 短く頷いたヴァンが、レナードに向き直る。


「覚悟を決めたようだな、ヴィンセント」

「…………」


 レナードの挑発に、ヴァンは無言で答えた。射るような眼差しが、言葉よりも雄弁に彼の覚悟を伝える。


 対照的な2人の睨み合いは、あたかも1枚の絵のように、静寂の縁の中に圧倒的な存在感を描き出していた。


 緊張感が庭を包み、その場にいる全員が息を飲む。


 音を立てることが罪かと思うほどの沈黙の中、これほどの静けさでなければ、決して人に届くことのないであろう、微かな息遣いが風に乗って流れた。


「……ヴァン、君は彼女のことを――」

「それでは――始め!」


 呟く声は、開始を告げるアルヴィスの声に掻き消された。







 決闘開始の宣言と共に、最初の一撃は、レナードからもたらされた。

 受け止めたヴァンの表情が変わることはなかったが、レナードが薄い笑みを浮かべ、優位を確信する。


「鈍ったな、ヴィンセント」


 すぐに噛み合わせた刃を離し、追撃は上段の初撃を受け、隙のできた脇腹を狙い繰り出された。

 さらにそれを受け止めたヴァンに対し、身を翻す勢いを利用し真逆の横身を狙うレナード。

 ここまで3撃。いずれも防いではいるが、流れるような攻撃は重く、速い。


 戦いに慣れぬフィオナの目には、全神経を集中させても、何が起こったのか一拍おいて理解するのがやっとだった。


「すごい……」


 詰めていた息を吐き出すと同時に、フィオナの口からは感嘆の声が漏れていた。


 激しい剣戟がこだまする森は、いつの間にか夕焼けの様相を呈してた。


 フィオナとちょうど向かい合う位置で、正面から彼らの戦いを見守っているアルヴィスの、青みを帯びた黒髪が、西日を受け独特の群青色に染まって見えた。


 ふいに、フィオナの視線に気付いたように、アルヴィスの顎が上がる。

 こちらを見たようだが、長い前髪に隠れ、視線の先までは分からない。


 そう思った時、左から右に強い風が吹いた。一斉に森がざわめき、足場を揺らされた小さな鳥たちが、口々に囀りながら(あけ)の空に羽ばたく。


 フィオナの黒髪と、目の前に座るウィルの銀糸を巻き上げた突風が、同じように群青の髪を攫い、彼の隠された(おもて)を顕わにする。


 鼻筋の通ったその怜悧な顔立ちは、一度見れば忘れることはないだろう。

 左眼を黒い眼帯で覆った青年は、フィオナが抱いていた印象よりもずっと若かった。


 切れ長の右の眼は、夏の夜のような印象的な紺碧だったが、確かに目の前の激闘を見据えているはずの視線は、まるで空気でも映すように空虚だ。


 ――それすらも白昼夢のように、風の止み時と共に長い前髪の奥に隠される。


 その、場にそぐわない冷めた眼差しに一瞬気をとられていると、


「腕を上げたね、レナードは」


 すぐ傍で聞こえた声に、フィオナは意識を目の前の車椅子の青年に移した。


「俺たちがレナードと出会ったのはの12の時だけど、あの時の彼は、一度もヴァンに勝てなかった」

「そうなんですか?」


 意外な事実だった。今の2人は、見たところ互角のように思える。むしろ、ヴァンは防戦一方で、レナードの方が押しているか。


「それもあって、レナードはずっとヴァンを目の敵にしていたんだ」

「レナード王子とウィルとヴァンは、そんな子供の頃からの知り合いだったのね」


「一緒にいたのは半年くらいだけどね。俺たちの国に、レナードが留学にきたんだ。暑い夏の頃だったよ。俺はその時、もう歩けなかったから、あまり遊べなかったけど……彼らの喧嘩は見てるだけで、面白かったよ」


 過去を語る彼は、どこか楽しそうだ。


 ヴァンは、ウィルが怪我をした以降の記憶を語る時、ひどく憎悪と後悔にまみれた表情をしていたが、意外にウィルは、その時代をそれなりに楽しむことが出来ていたのかもしれない。


「毎日毎日、飽きもせずにレナードが勝負を挑んで……懐かしいな」


 最後の言葉は、どこか寂しげに呟かれた。そんな彼の視線は、休む間もなく2人の攻防を追っている。


(それが、なんでこんなことに……)


 胸が痛み、フィオナは無意識に唇を噛んだ。


 ウィルの言葉から分かる。彼らは、大切な友だ。

 たった半年であっても、12歳という幼くも尊い時間を、共有した対等な人間。


(それが、こんなことで争わなければいけないなんて……!)


 ぎゅっと胸元を握りしめ、視線を地面に落としたその時、鋭く金属を弾く音が響き、カミュが声を上げた。


「ヴァン!」

「……ッ」


 ウィルが小さく息を飲む。

 ハッと顔を上げると、レナードの目の前で、ヴァンが地面に膝をつき、手首を押さえていた。


 足下にヴァンの剣が転がり、肩で息をするレナードが口を開いた。


「無様だな、ヴィンセント」


 高く掲げられた銀の刀身が、西日を受け紅く輝く。


 振り下ろされるその瞬間を、黙って見ていることなど出来なかった。


「やめてください!」


 思わず身を乗り出したフィオナを、ウィルの腕が押さえた。


 ――レナードの剣は、敗者の肩口に食い込む寸前で止められていた。


 傲然と敗者を見下す男を見上げたまま、一瞬、ヴァンが視線だけをフィオナに向ける。


「下がっていろフィオナ」


 まるで今の状況を予想していたような、落ち着きを払った声に咎められる。


 剣を失ってもなお、強い眼光でレナードを睨め上げるヴァンが、淡々と賛辞を送った。


「随分と腕を上げたようだな」

「貴様は弱くなった」


 面白くなさそうに吐き捨て、レナードが剣を鞘に収める。


「この男のどこが相応しいというのだ?」

「……?」


 不機嫌な呟きの意図をいぶかしむヴァンを一瞥し、レナードは何かを振り払うように黄金の髪を払った。


「まあいい」


 ようやく誇らしげな笑みを浮かべ、レナードが勝者の余裕を見せる。


「所詮、鏡の言うことなど当てにはならんということだ」

「レナード様! さすがです! 戦女神フレイアすらも戦くその強さ、美神アルテミスすらも恥じらうその美しさ! まさしく至高! 選ばれし王、我らがレナード様の勝利に祝福を!」


 祝賀の鐘でも打ち鳴らしそうな勢いで讃える少年騎士の声のデカさに辟易したように、隣にいた青髪の騎士が、耳をふさぎながら離れる。


「アルヴィス、何をしている! レナード様の勝利を褒め讃えんか!」

「はいはい、レナード様サイコー。サイキョー。ちょーかっこいー」


 棒読みで声援を送るアルヴィス。いくらなんでも適当すぎる。


 だがどうも声援の内容はあまり気にしていないらしく、彼らの囃子立てを背に受け、仁王立ちするレナードはご満悦だ。


「これで分かっただろう。真に白雪姫に相応しい男はこの私だ」


 薄氷色の眼差しはヴァンを、そして、振り返ってウィルに向けられた。


「――離れろ。白雪姫は私がもらう」

「…………」


 口を閉ざし、ウィルは押さえていたフィオナの腕を放し、静かに車椅子で後退した。

 十分に彼が離れたことを確認してから、レナードは真っ直ぐにフィオナに近づいた。


「…………」


 フィオナは胸の前で両手を握り、気持ち後ろに下がりそうになるのを、かろうじて踏みとどまった。


「待たせたな」


 そう言って、つま先から頭の先までを観察し、レナードが満足げに目を細めた。


「私の贈ったドレスはどうした? 無論、その姿でも、充分美しいが」


 すっと右手を差し出す所作すらも、隅々まで洗練されていて、美しい。だが――


「さぁ――私とともに来い、白雪姫」


 深く息を吸い込み、フィオナは答えた。


「――行きません」

「何?」


 信じられない言葉を聞いたとでも言うように、目を見開いたその表情は、フィオナに対して初めて見せるものだった。


 つまり、彼のコレクションである美術品に対する目ではなく――ヴァンやウィルと同じ、彼の意に反した行動を起こす、人間に対するものだ。


 そのことにわずかな手応えを感じながら、フィオナは強く相手を見返した。


「私は行きません。今日は、あなたに正式にそう伝えるために、この姿でお待ちしておりました」

「フィオナ……」


 ウィルの呟きが耳に届く。


 それがどんな意味を持つものであれ、フィオナの心を揺らすことはなかった。


 むしろ気持ちは凪のように穏やかで、それ以外の選択など最初から存在しなかったかのように整理されている。



「私はここに残ります」


 以前の、諾々と王の命令に従っていたフィオナであれば、決闘の報奨品だと言われても従っていたかもしれない。だが――


『あなたは、どうしたいんですか?』


 今は、自分の意志で立ち、歩いて行く選択肢があることを知った。


「あなたは私の王じゃない。私は騎士でも、アルファザードの民でもない」


 ここがエルドラドの王城で、これが彼女の父であり、王であるエルドラド国王からの命令であれば、フィオナに選択権など与えられなかったはずだ。


 だが、今は違う。


 彼女には何もない。彼女の未来にずっと敷かれていた、舗装された道は、ある日突然、忽然と姿を消した。


 ならば、今のフィオナは自分で道を選ばなければいけないし、また、選ぶことが出来るはずだ。


「私は、あなたの命令には従わない」

「……なるほど」


 差し出した手を下ろし、矜持を傷つけられたはずの彼は取り乱す様子も見せず、唇をつり上げた。


「思っていたより気が強いらしい」


 その余裕のある態度に、フィオナは急に不安になった。


 あくまで選択肢の一つとしてではあるが――どれほど嫌だとわめいても、彼は無理矢理フィオナを連れていくこともできるのだ。


「――フィオナ!」


 その時、息を切らし、森から飛び出してきたリッドに、その場にいたほぼ全員の意識が向いた。


 フィオナの姿を認め、弾丸のように庭に転がり込んできた少年を、レナードの腕が遮る。


「何だよおまえ! どけよ!」

「それはこちらのセリフだ。貴様に、私の白雪姫に近づく権利はない」

「ざっけんじゃねーぞ! いつてめーのもんに……」

「ちょっ、とりあえずリッド落ち着け! お前、今までどこ行ってたんだよ」


 何をそこまで激昂しているのか、その場でレナードの腕に噛みつきそうな勢いのリッドに駆け寄り、無理矢理引き剥がすカミュ。


 暴れる少年をラウに託し、その顔をのぞき込んだカミュが息を飲んだ。


「リッド、お前……」

「ユーリとジークは? 一緒じゃなかったのか?」


 その泣き腫らした目には気付かず、問い質したラウに、リッドは再び火がついたように暴れた。


「知らねーよ! あんな奴ら、知らねー! 離せ! 離せよラウ!」

「ダメだ。暴れんなっ。ホラ、こっちこい」


 じたばたする身体を担ぎ上げて、ラウがレナードから距離を取る。もう散々好き勝手されている状況ではあるが、これ以上話をややこしくしたくはない。


 突然の怒れる少年の登場に、大多数の注目がそちらへ向けられた隙を縫い、事件は起こった。


「ウィル!」


 唐突に、ヴァンの逼迫した声が届き、フィオナは名を呼ばれた青年を振り返った。


 そこには、いつの間にいたのか、赤毛の少年騎士――キアルディが、短剣を手に車椅子のウィルを後ろから押さえつけていた。


「はーっはっはっは! そこまでだ貴様ら!」


 哄笑を上げた少年は、短剣の刃をウィルの首筋に這わせ、信じられないことを口にした。


「この女がどうなってもいいのか!?」



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