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第四十七話 フィオナの選択


 その小さな家では、魔法使いが1人、静かなティータイムを楽しんでいた。


 カランコロン


「ただいまー」

「おや、ルイロット、おかえりなさい」


 彼女が去った後、入れ替わるように戻ってきた小さな精霊が、いつもの軽やかさのない足取りで、先ほどまで少女が座っていた席につく。


「どうしました? ルイロット。難しい顔をして」

「んーなんか最近、しつこいのがいてさー。うまく追い払えないんだ」


 納得いかなそうな顔で黙り込んでいた精霊は、少し疲れたような様子で、細い肩を落とした。


「ぼく、やっぱりだめなのかな」


 森の守護は、ローズレインの前任の魔女から託された彼の使命だったが――どちらかというとそれは、存在が消えかけているか弱い精霊の命を繋ぎとめる為の、手段という意味合いが強かったように記憶している。


 それでも、それは属性を失った精霊に与えられた第二の生だ。常々ノリの軽いルイロットだが、意外に責任感は強い。


「えいっ」


 しょんぼりと肩を落とす小さな精霊に、魔法使いは腕を伸ばした。


「いたっ、なにすんのさーレイン」


 つん、と指先で額を突かれ、ルイロットが抗議の声を上げる。


「働き過ぎですよ」

「んー」


 そのまま2本の指で眉間の皺を伸ばすと、目をつぶってルイロットが唸った。


「別に、少しくらいお客さんが増えようと、私はかまいませんよ?」

「……まあレインがそういうなら、いっか」


 あっさりと納得し、ルイロットはにぱっと笑顔を見せた。


「あーつかれた! ぼく、のどかわいちゃったなー」

「お茶入れますね」


 ローズレインは席を立ち、彼のために冷たい紅茶を用意した。


 おいしそうにそれを一気に半分ほど煽ったあと、精霊は満足げな息を吐き、いつものように両足をぶらぶらさせながら、大好きな質問タイムに入った。


 ルイロットは好奇心の強い精霊だ。退屈が嫌いで、変化を好む。

 悠久に近い時を、世界の安定のために存在し続ける六素精霊という『生き方』は、初めから彼には向いていなかったのだろう。


 そんな彼にとって、『人間』というのは興味の尽きない対象であるらしい。


「ねぇ、レイン。頭のいい人間って、どんな人間?」


 少し前に、この家に訪れた少女を『頭のいい人間』と評した言葉を覚えていたらしい。


「己を知る人間ですかね」


 答えながら、魔法使いは、傍らの袋からリンゴを1つ取り出した。


「自分の置かれた立場、弱さ、出来ることと出来ないことの分別がある者でしょう。残念ながら、大半の人間は己を客観視できない」


 手に取った果実を目の高さまで掲げ、艶を見る。少女の唇のように赤いそれは、みずみずしく輝いていた。

 出来は悪くない。己の作品に満足し、魔法使いは薄く笑みを浮かべた。


「――鏡が真実を告げても、それを見る者が直視しない」


 片手にナイフを持つ。銀の刃が、鏡のように魔法使いの顔を映した。


「人間が戦争を止めないのはなぜだと思います?」


 珍しく笑みを消し、魔法使いは手の中のリンゴを見据えた。光沢のある赤い表皮に、ナイフを添える。


「己を顧みないからですよ」


 小気味の良い音を立て、刃先が果肉に食い込む。言葉を紡ぎながらも、魔法使いがリンゴの皮を削る刃から目を離すことはない。


「出来ることを肥大化させ、出来ないことを矮小化させる。そうして過分な欲を満たす行動に出る。だから、頭のいい人間ほど、出来ないことを先に諦めてしまう傾向があります」


 ゆっくりと削ぎ落とされていく赤い皮に意識を集中させながら、魔法使いは続けた。


「全ての人間が賢ければ、争いは起こらないでしょうが、代わりに、ここまで彼らが繁栄することはなかったでしょう」

「うーん、そうなると……どうなるんだろう?」


 難しい顔を作り、ルイロットが唸る。彼は精霊の立場から、その仮定が持つ意味について考えようとしているようだった。


 『精霊』は本来、地水火風光闇の六素のいずれかの属性を持ち、生命をはぐくむ森羅万象を構成している。


 今やアースガルダ大陸の精神世界を支配しているといっていいアース教は、天界に住まうとされる神々を崇める宗教だ。

 このアース教が興る前は、万物を生成する精霊に対する信仰が盛んに行われていたが、現在ではほとんど神話やおとぎ話に登場する存在として、語られるにとどまる。


 ルイロットは元は風の精霊だったが、退屈しのぎに火の精霊をそそのかし、神聖な森で大火事を起こしてしまったのだ。

 その行いが精霊長の逆鱗に触れ、属性を剥奪され、行き場を失った。


 力のある魔女だったローズレインの母によって、森の精の属性を与えられなければ、使命を失った精霊は存在する意味をなくし、いずれ消滅していたことだろう。


 そういった経緯から、六素の属性を離れて久しいこの精霊に、まだそんな使命感がわずかにでも残っていたのは意外だったが、ローズレインはにべもなく答えた。


「大局を見ればこともなし、でしょうが、あり得ないので考えるだけ無駄です」


 ルイロットが肩をすくめる。


「……ああ、それと彼女のことですが、あなたが気にかけていたので、私もついお節介をしてしまいましたよ。まだまだですね、私も」

「レインが? めずらしー。やりでも降るんじゃない?」


 コロコロと笑う精霊。そこで会話が途切れ、ローズレインが皿の上に球体に近い物体を乗せた。


 会話に没頭していた精霊は、あまり彼の動きを注視していなかったらしい。身を乗り出し、不思議そうにそれをしげしげと眺める。


「ねぇ、なにー? コレ」

「見て分かりませんか? リンゴですよ」

「リンゴ……って、こんなにボコボコだっけ? あ、ほんとだ。赤い皮がのこってる。あんまりおいしくなさそー」


 正直な精霊は、差し出されたリンゴ……であった物体をつまみ上げた。ヘタもついたままだ。


「これ、レインがやったの?」


 返事の代わりに沈黙が訪れる。やがて、小さなため息。


「……ヴァリウスを呼び戻しましょうか」





               ◇  ◆  ◇





 フィオナは走り出していた。


 焦燥、ではない。


 突き上げる衝動が、答を出したいと叫んでいる。


(早く、早く――)


 薄曇りの空の切れ間から、冴え冴えと輝く月が姿を見せるように、答えが見えた気がした。


 息が切れる。それでも、身の内に湧く力と、はやる気持ちが抑えきれず、フィオナはただまっすぐに走り続けた。後ろは振り向かなかった。


 たくさんの思いが脳裏を巡る。全てを書き留めておきたいと思うほどに、思考は冴えていた。


 ――ヴァンのように、正しい道を、己の使命を信じて生きていければ理想なのかもしれない。


 だがそれは、数日先の未来も見えないようなフィオナには、到底出来ないことだ。


(でも、見えないのなら――)


 アタマで考えても分からないなら、


(ココロに聞くしかない!)


 自らの答えを出すために、フィオナは走った。




 まっすぐに進めと言われた道を突き進むうちに、唐突に視界が開けた。


 ――フィオナは、『ウィルの樹』の下に飛び出していた。


「フィオナ!」


 いきなり広がった視覚情報を整理する前に、かけられた声は耳に馴染む少年のものだった。


「リッド……きゃっ!?」


 急に抱きつかれ、フィオナは後ろに倒れそうになった。


 その身体を引き寄せた少年は、肩口に顔を埋め、大きく息を吐いた。背に回された腕が熱い。少し、汗のにおいがした。


「……もう、あいつのところに行ったのか思った……」


 絞り出された声は、彼のものにしては驚くほど弱々しかった。

 反対に、背中を抱く腕の力が強くなる。


 肩で息をする少年の浅い呼吸や、早い鼓動が、密着する場所から伝わってくる。

 朝から姿の見えないフィオナを、必死に捜索していたらしい。


「リッド……」

「なぁ……行くなよフィオナ」


 なんと声をかけていいか分からず、名を呼んだフィオナに、リッドが囁いた。

 縋るような、甘えるような声だった。


「ここにいろよ」


 彼の必死さや、失うことへの恐れが肌から伝わり、フィオナは喉の奥からこみ上げた感情を飲み込んだ。


「……今からこの森に来るやつは全員、迷っちまえばいいんだ」


 駄々をこねるように吐き捨てた声が、イアルンヴィズの森に溶け込む。

 風がざわめいた。

 ウィルの樹が揺れていた。強い風が吹き、天井のように頭上を覆う枝葉がさざめく。


 曇天の下ではどこか不気味に映るそれが、未熟な少年たちの選択を見届けようとしているように見えた。


「俺たちだけでいい」


 あの家の仲間たちを大切に思っているのは、リッドも同じだ。


「みんな、ずっとここにいればいいのに……」


 リッドの気持ちは、痛いほどわかる。

 本音を言えば、フィオナだって同じ気持ちだ。

 それが幼いわがままだと自覚していても、そうであればいいのにと思う心は抑えられない。


 ――今が、ずっと続けばいいのに。


 たぶん、間違いなく、『今』がリッドにとってもフィオナにとっても、一番愛おしい『時間』なのだ。


(でも、この先は――?)


「この森を出れば、もっと楽しいことがあるかもしれないわ」

「フィオナ……?」


 フィオナは彼の腕を取り、優しくほどいた。代わりに相手の肩に手を置き、黄金の瞳を見据える。


「先のことは、誰にもわからないもの。今が楽しくても、立ち止まらなければ、もっと素敵な未来が待っているかも」

「それって……」


 リッドの顔が曇る。

 この空を反映したような彼の表情に、フィオナは微笑みを返した。


 まるでそれがウィルのようだと自覚し、その瞬間――彼が、どうしてフィオナやリッドにあんなにも温かい微笑を向けるのか、分かったような気がした。


「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。帰りましょう、私たちの家に」


 自分で思っていた以上に、しっかりとした声だった。


 フィオナの落ち着きに、一瞬、目を丸くしたリッドだったが、すぐに感化されたように、己の顔を両手で叩いて気合いを入れる。


「ん」


 口を真一文字に結び、右手を突き出してきた少年の手を取り、2人帰り道を歩く。


 くすくす

 くすくす


「……?」


 どこからか笑い声が聞こえた気がして、フィオナはリッドに手を引かれながら、後ろを振り返った。


 もちろんそこには、静かに広がるイアルンヴィズの森があるだけだ。


 少し強めの風が吹く。何か歌声のようなものも聞こえた気がしたが、やはり意識すると、木の葉が奏でる音に混じってしまった。


 川の流れのように続く葉擦れの音。雲が動き、隙間から隠れていた太陽がわずかに覗いた。

 やわらかな木漏れ日が差し込み、森を照らす。


 同じ緑でも、日の当たり方によってさまざまに変化を見せるのだと、フィオナはこの森に来て初めて気付いた。


 ――迷いの森には精霊がいる。


 精霊と魔法使いに守られた、不思議な森。

 翠の(かいな)に抱かれて、2人手をつないで家路につく途中、自分がこの森に守られている意味を、フィオナはずっと考えていた。





 家に戻ると、庭先に赤毛の少年が立っていた。


「フィオナ!」


 駆け寄るカミュの顔が、フィオナが帰ってきたことに対する安堵で輝いたのは一瞬だった。すぐに、冴えない表情に一転し、苦い声で伝えてくる。


「さっきアルヴィスっていう、レナードの騎士が来た」

『………!』


 フィオナとリッド、2人が同時に息を飲む。


「夕方にレナード王子が迎えに来る。用意しておけってさ」


 そう言い置いて、家に戻るカミュの後をついて中に入ると、リビングでこちらに背を向け立っていたラウが振り返った。


「何だソレ」


 その向こうに見えた光景に、リッドが突っ込む。

 背の低い卓の上に、きらびやかな布が積まれていた。


「一昨日の騎士が運んできて、『ごめんねーだいぶかさばるけど』って……」


 困ったような顔でラウが抱えていたのは、絹の紅いドレスだ。


「未来の妃への貢物……みたいだヨ」


 ソファに座り、卓に積まれた絢爛な『貢ぎ物』の中から、大粒の宝石が嵌められたペンダントを摘みあげ、ユーリが補足する。

 途端にリッドが眦を釣り上げ、ラウの手からドレスを奪い取り、窓を開けて投げ捨てた。


「いらねーよこんなもん!!」

「おいおい」


 ラウがたしなめるが、拾いにいこうとまではしない。彼も、この望まざる贈り物をどう扱うか決めかねているのだ。


「……どうする?」


 ユーリが座るソファの傍らに立っていたジークが、フィオナに判断を委ねる。

 彼のことだから、「燃やしてくれ」と言ったら何の躊躇もなく、この軽く家が買えそうな品々を灰に帰してくれそうだ。


「とりあえず頂いたものなので、部屋に運びます」

「……分かった」


 一言そう答え、淡々と荷物を運ぶのを手伝ってくれるジーク。


「ヴァンとウィルは……?」

「ウィルは部屋にいるよ。ヴァンは……2階のバルコニーじゃないか。屋根で直したい所があるって言ったし」


 先ほどから姿が見えない兄弟について、フィオナが尋ねると、ラウが答えてくれた。

 ふいにその表情が改まり、肩に手を置かれる。見上げると、青い瞳がのぞき込むようにして語りかけてきた。


「姫サン。アルファザードの王子のことだけど……会いたくないなら、俺たちがなんとか追い返してやるから」

「おうよ! なんだったら、入口にタライのワナ仕掛けて……」

「ありがとう。ラウ、リッド」


 心配してくれている2人に礼を言い、だがフィオナは力強い声で意思表示した。


「でも、ちゃんと答えは出さないと」


 その言葉に、ラウとリッドが同時に口をつぐむ。


「あとで、ウィルと話がしたいの。それだけ、伝えてくれる?」


 昨日と打って変って落ち着いたフィオナの様子に、神妙な面持ちでラウが頷いた。

 それを見届けてから、フィオナは階段を上り、自室へと戻った。


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