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第四十四話 アブナイ精霊出没注意


 その小さな家では、1匹の小さな精霊が、椅子に腰掛け、退屈そうにブラブラと両足を揺らしていた。


「うぉい、ローズ……」

「なぁにヴァリウス。レインならいないよ」


 唐突に現れたもう1匹の精霊の気配に、退屈な精霊は気のない声で応えた。


「なんだ、いねぇのか」

「昨日から帰ってないみたい」

「なんだそりゃ。どうせどっかで迷ってんだろ……しゃぁねぇ、待ってやるか」


 いつものパターンでいけば、どうせそのうち『呼び出し』がかかるはずだ。


「よっこらせっと」


 一番鏡に近い場所に置かれた椅子に、鏡の精霊が腰掛ける。


「親父くさ……いいの? こんなところであぶら売ってて」

「んー?」


 頬杖をつき、鏡の精はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。


「いよいよお役御免かもなー」


 何かを企んでいる顔だ。


「その顔、また何かやらかしたの?」

「別に、何もやらかしちゃいねぇよ」


 呆れたような声に、薄ら笑いのまま応える。


「俺は嘘は言わない。ただそれだけだ」


 彼を魔法の大鏡に封じた魔女との誓約書には、こう書かれている。



 一つ、鏡はありのままを映す。答を偽ることは出来ない。



「真実を映す鏡は、嘘を言わない」


 ただ、ありのままを答えるだけだ。


 問題は、真実は一つだが、真実を理解する人の心は一つではないということ。

 もっとも――


「どうとろうが、俺の知ったこっちゃねぇさ」


 それは鏡の精にとっては、管轄外だ。


「あいつは何がしたかったのかねぇ……」


 懐かしそうに、一瞬和らいだ漆黒の瞳が、空のままの鳥籠を映す。


「……教えてあげないよ」

「あん? 誰もてめぇに聞いてねぇよ。そもそも生まれてなかっただろうが、お子ちゃまは」

「ふふーんだ」


「あ、なんかムカつく。その顔すげームカつくわ。だからガキは嫌いなんだよ。ちょっとツラ貸せツラ」

「ふむぐっ……はひふんだひょー! いひゃいふぐーっ」


 逃げかけた小さな身体をつかみ上げ、柔らかいほっぺたを挟んだりつねったりして虐待する黒い精霊に、翠の精霊が全力で抵抗する。


 その小さな家の主を待つ時間は、賑やかに過ぎていった。





               ◇  ◆  ◇





 翌朝、フィオナは家の住人には内緒で、あの花が咲いていた樹の下に立っていた。


 ここに来たら、またルイロットに会える気がしたのだ。


 フィオナがいないことに気付いたら、きっとまた心配させるだろう。分かっていながら、誰にも話をせずに出てきたのは、昨夜の気まずさに因るところが大きいが――自分の判断で動き、答を出したいと思ったというのも、理由の一つではある。


 昨夜、ウィルに突き放されたことにより、フィオナは、己がどこまでも彼らに甘えていたのだと気付かされた。


 ウィルの『正しい』言葉に傷付いたということは、そういうことだ。

 自分で思っていた以上に、彼らが差し出してくれる優しさに縋っていた。


 彼らには、彼らの人生があり、生き方がある。

 たまたまその道が交わり、この止まり木で時間を共有したとしても、その時間を愛おしく思いこそすれ、依存してはいけない。

 それは、彼らに余計な負担を与えるだけだ。


 どんな決断を下すにせよ、その判断は、フィオナ自身の意思に因るものでなければいけない。


 一晩経って、そう自身に結論付けたフィオナは、気持ちも新たに、一人森の家を出た。


「ルイロット?」


 名前を呼んでみるが、反応はない。


「やっぱりだめかしら……」


 鬱蒼と草木の生い茂る森の中で、そこだけぽっかりと拓けた場所を見回し、小さく嘆息する。


 風のない日だった。わずかな空気の対流が聞こえるだけの、静かな空間で、


「はーい?」


 声は、頭上から聞こえた。


「え?」


 つられるように真上に視線をやると、青々と茂った枝葉の間から、逆さまの小さな顔が覗いていた。


 緑色のケープが、まるで保護色だ。


「ルイロット!?」


 驚いて叫ぶと、少年は横ばいに伸びる枝をつかんだまま、鉄棒で逆上がりをするようにクリンと回ると、パッとその手を離した。

 思わず顔を覆い、悲鳴を上げかけたフィオナの目の前で、強い風が吹いた。


 まるでその風に乗るように、ゆったりと落下した少年が、木の葉が地面に落ちるような柔らかさで足から着地する。


 ふわりと、金色の髪がそよぐ。


 その小さな身体を、フィオナは呆気にとられて見下ろした。驚くべきなのか、感心するべきなのか、微妙な心境だ。


 ヴァリウスといい、レインの周りにいる人物は、常人離れした動きをする。

 もっとも、レイン本人もホウキで空を飛ぶくらいだから、相当常人離れしているのだが。


「どうしたの? フィオナ。もう花、咲いてないよ」

「ええ、そうね」


 考えているうちに、見上げてくる少年に声をかけられ、フィオナはとりあえず頷いた。


「また来年!」


 にっこりと笑う。彼の無邪気な笑顔に微笑み返しながら、フィオナは、その笑みが寂しくなったことを自覚した。


 ――また来年、自分はここで、この花を見ているだろうか。


 あまりにも実感の湧かないその未来像は、フィオナの足下を余計に頼りなくさせた。


 満開の花天井の下で、またみんなで来よう、なんていう話をリッドと語り合ったのが、遠い昔のことのようだ。

 去来した不安を片隅に押しやり、フィオナは尋ねた。


「今日、レインいるかしら?」


 あんなにも恐ろしいと思った、あの不思議な鏡がある家。

 時が止まったような小さな家に、もう一度行きたいと思った。


 あの全てを知り悟ったような、彼の声が聞きたかった。


「レインならいないよ」

「えっ、どこに……」

「さぁ……」


 あまり深刻ではない様子で、ルイロットは首をかしげた。


「昨日から帰ってないみたいだからなー。またレナードに捕まってたりするんじゃない?」

「つかま……?」

「うん、捕まったんだってさ、レイン」


 レナード王子が寵愛しているという噂の魔法使いは、十中八九レインのことだろうと予想はしていたが、ルイロットの言葉はあまり穏やかではない。


「なんか町で迷ってるところをいきなり捕まえられて、城に連れて行かれたんだってー」


 それだけ聞くと、立派な人さらいだ。


「あ、あと踏まれたって言ってたな! あははっ」


 自分で言って、おかしそうに笑い飛ばす。


「踏まれ……?」


 いったいどういう状況だろう。


 謎は深まるが、ルイロットの無邪気で断片的な言葉だけではさっぱり分からない。


「あ、会いたいなら家で待っとく? そのうち帰ってくるだろうし」

「いいのかしら」


 軽い調子で提案された内容に、考える。


(でも、他に方法もないし……)


 レインは、「会いたくなったら探して下さい」と言っていた。それは、いつでも会いに行っていいと解釈してもいいのだろうか。


 具体的な方法を提示されていないだけに、遠慮をしてチャンスを逃すのももったいない気がして、フィオナはルイロットの言葉に甘えることにした。


「じゃあ、そうさせてもらっていいかしら?」

「オッケー。んじゃ行こうか!」


 軽い足取りで、ルイロットが先を歩き出す。


 しばらく道なき道を、明るい色の後ろ頭を目印に付いていくと、視界が白く霞み始めた。


「また霧……」

「ん? ああ、誰も入ってこれないようにね」


 フィオナの呟きに、なんてことはないように、ルイロットが応える。


 やはり、この霧はルイロットが操っているのだろうか。


「レインはこの森の魔女だから、外から来る人間とは接触しないようにしてるんだってさ」

「私は……」

「フィオナはまあいいんじゃない? 会ってくれたし。この森の中の人間だし」


 随分と軽いが、その程度の理由で禁忌を破っていいのだろうか。


 そんな疑問ももたげるが、実際、レインも同じくらい軽そうだから、あながち間違ってもいないのかもしれない。


「あっ!」

「どうしたの?」

「そういやヴァリウスがいるんだった!」


 急に立ち止まったルイロットが、思い出したように声を上げる。


「まあいいや。ヴァリウス、女の子好きだし。子ども連れてきたら怒るけど」


 が、すぐにケロリとして進み出した。

 ヴァリウスといえば、昨日ファザーンで出会って強烈な印象を残した、黒づくめの青年だ。


(指先への口吻は、誘惑――)


 レインの言葉を思い出し、右手の指先を左手で握る。なんとなく、危ない空気の漂うあの青年と顔を合わすことにためらいがないわけではないが、今さら「やっぱりやめる」とも言えない。


 そこから先は、さほど時間はかからなかった。徐々に霧が晴れ、いつかと同じように、森の奥に小さな家が姿を現す。


 また来てしまった。


 そこまで来ると、ルイロットはフィオナを振り返り、ちゃっと右手を挙げた。


「んじゃね!」

「ルイロットは一緒にいてくれないの?」


 少し焦る。


 ルイロットの言葉によれば、あの家には今、ヴァリウスがいるはずだ。彼と二人きりというのは、出来れば避けたいところだった。


 だが、フィオナの思いを知ってか知らずか、少年は小首をかしげ、難しい顔をする。


「えー。だってヴァリウスぼくのこといじめるんだもん」

「そうなの?」


 こんな小さな子をいじめるとは、ひどい男だ。


「それに、なんか、いやーな予感がするんだよねー。ちょっと見回りしときたい感じ!」

「そう……」


 少し不安そうなフィオナの様子をどう受け取ったのか、ルイロットはにんまりと笑った。


「フィオナは女の子だから、たぶん大丈夫と思うけど、もしいじめられそうになったら、セバスチャンに助けてもらえばいいよ。ヴァリウス、ネズミきらいだから」


 くすくすと笑い、そんな弱点を教えてくれる。


 ネズミに助けてもらう方法が今一つ多い浮かばないが、記憶には留めておく。


 それ以上引きとめる理由も思い浮かばず、フィオナは森の奥に消える翠の背中を見送った。





「はぁ……」


 春の森では保護色になるルイロットの後ろ姿が見えなくなった後、フィオナはため息をつき、その小さな家を振り返った。

 いまいち気が進まない部分はあるのだが、ここまで来てしまっては仕方がない。


 覚悟を決め――何の覚悟かは自分でもよく分からないのだが――小さな家の小さなドアをノックする。


 返事はない。


(居留守……?)


 人がいることは分かっているので、そのままドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。

 そろりとドアを開け、様子を探るように中を覗きこむ。


「お邪魔します……」


 カランコロン


 遠慮がちにかけた声は、不揃いな鐘の音にかき消されたかもしれない。


 案の定、その正方形に近い小さな部屋には、先客がいた。


「おせーぞローズ、またどこほっつき歩いて……お?」


 家の主に向けて投げられた声が途切れ、遅れて向けられた視線がドアの前に固定される。


 雑然と物が放置されたその部屋において、唯一生活味のあるティーテーブルの奥に、彼は腰かけていた。


 もてなす主はいないはずだが、彼の前にはティーセットが一式広げられていた。足を組んでカップを傾けるその姿は、完全にくつろいでいる。


 ヴァリウスだ。


 だが、先日会った時の彼にはなかった、左頬に浮かぶ不思議な文様と、尖った耳――


「これはこれは」


 そして笑みを刻んだ赤い唇から零れた、人にはない鋭い牙が、フィオナを戸惑わせた。


 どう見てもヴァリウスなのだが、今目に前にいるヴァリウスは、フィオナが過去に2度見た彼とは、明らかに違う。


「こんな場所に、何かご用ですか?」


 戸口の前で固まっているフィオナに、ヴァリウスは妖艶な笑みを投げかけた。



「美しいお嬢さん」




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